〈あとがきのあとがき〉フォースター『モーリス』訳者、加賀山卓朗さんに聞く
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光文社古典新訳文庫の翻訳者にインタビューする〈あとがきのあとがき〉。「訳者あとがき」には書き切れないような、翻訳にまつわる裏話、訳書との出会い、はたまた翻訳者の知られざる私生活まで、縦横に語ってもらいます!

 

 

誰にも打ち明けられない衝動、社会に認められない願望を抱え、モーリスは少年時代からずっと苦悩していた。大学に進学すると、学舎で出会った知的なクライヴと急速に親しくなり、二人は互いに愛の言葉を口にするようになる。しかし、幸せな時間は永遠ではなくて……。

 

20世紀初頭、同性愛が犯罪と見なされていたイギリスで書き上げられた『モーリス』は、57年の時を経て、作家の死後、1971年にようやく発表されます。作家自身のセクシャリティが明らかになり、大きな衝撃を与えた本作を翻訳した加賀山卓朗さんにお話を伺いました。

 

世の中の多様性を応援したい

 

ーー刊行と同じタイミングで、偶然にも映画、リマスター版『モーリス 4K』が公開されました。あちらは製作30年記念だそうで。映画はご覧になられましたか?

 

加賀山 ええ、観ました。でも古い方で。4K版の予告編を見ると、やっぱり映像がきれいで全然違います。ドラマ『SHERLOCK/シャーロック』のレストレード警部役でいま注目されているルパート・グレイヴスが、モーリスと結ばれる森番アレック役で出ているのも話題を呼びそうですね。

 

ーーじつは、今日こんなものを持ってきました。1988年の日本公開時に発売されたCDです。

 

 

加賀山 サントラまで出ていたんですね!……ああ、こんなにいろいろ曲が流れているんだ。

 

ーーインタビューに備えて気持ちを盛り上げようとCDをかけて読み始めたんですが、物語に入り込んできたら音が邪魔になって途中で消しました。映画と原作は別のものだなぁと思いながら

 

加賀山 そうですね。主人公のモーリスからして人物がぜんぜん違いますしね。映画では線の細い金髪の青年ですが、小説ではスポーツマンで黒髪ですから。

 

ーー1980年代は、同性愛を描いたイギリス発の映画が複数公開されています。『プリックアップ』(1987)とか……。

 

加賀山 ああ、ありましたね。あとは、『マイ・ビューティフル・ランドレット』(1985)でしたっけ。

 

ーー『アナザー・カントリー』(1984)に『レインボウ』(1989)も。『モーリス』は1914年に脱稿したものの、1971年まで発表されなかった。それが1980年代には、こんなに同性愛が広く語られるようになったと思うと感慨深くて。

 

加賀山 イギリスでは同性愛は1967年まで犯罪でしたからね。作家なら作品を発表したいと思うのはたぶん間違いないはずですが、『モーリス』はずっとそうできなくて、作家の生前は内輪でひっそり回し読みされるだけだった。だから他の作品とはまた違う強いこだわりがあると思う。フォースター自身のエッセンスみたいなものが入っているというか。

 

 

ーーちなみに、映画『モーリス』を撮ったジェームス・アイヴォリー監督は、ほかにもフォースター作品をいくつか映画化しています。

 

加賀山 『眺めのいい部屋』とか『ハワーズ・エンド』とかですよね。でも、フォースターに興味を持って、これは読まなければと思ったのはずっと後です。法廷ミステリーで知られるアメリカの作家、スコット・トゥローの推薦文を読んで。『東西ミステリーベスト100』のリニューアル版に寄せて、”20世紀文学の傑作中の傑作”として、フォースターの『インドへの道』を歴代ベストテンに挙げていたんです(トゥロー『出訴期限』〔文藝春秋〕巻末に特別収録)。

 

ーートゥローのコメントがすごい! ”作中人物の欠点を余すところなく理解し、にもかかわらず彼らに対して共感を抱いている点では、フォースターはチェーホフに比肩しうる”。

 

加賀山 そんなに誉めていたら、やっぱり読まなきゃと思うわけです。トゥローはすごく好きで、昔から読んでいたので、この人が薦めているのであればと『インドへの道』を手にしたらおもしろくて。それで他のフォースター作品も読んで、『モーリス』を訳してみたいと思ったんです。

 

ーーフォースターは名誉ある勲章も受勲していて、イギリス人にとっては国民的作家なわけですが、『モーリス』はどのように読まれているのでしょう。

 

加賀山 改めて評価されてすごく読まれている、というものではないと思うんです。古典の一つという位置付ではある。もう20年ぐらい英語のことで質問をしているイギリス人がいるんですけど、その人は『インドへの道』がいいと言っていましたね。フォースターと言えば『インドへの道』という感じで、おそらく一番人気があります。

 

ーー『モーリス』は、三島由紀夫でいう『仮面の告白』というか、たまたま映画にもなって広く知られている作品というわけですね。

 

加賀山 そうそう。代表作の扱いではないですね。いつか『インドへの道』も訳してみたいですけど、あれはけっこう長いから、今回はこっちでよかったかなと思っています。

 

ーーよかったというのは長さが?

 

加賀山 やはりそこは、LGBTsの問題に話題提供できればという気持ちがありました。世の中全体がだんだん厳しくなっているでしょう。たとえば同性婚にしたって、夫婦別姓の問題にしたって、わたしはいいと思うんです。自分の迷惑になるわけでもないし、他の人がこれによってプラスαで幸せになるんだったらかまわないと思うんだけど、それをなぜか否定する風潮がある。それがすごくいやで、個人的には多様性を応援したいと前から思っているんです。

 

ーー若い世代と話をすると、多様なセクシャリティに寛容というか、好きになったらそれでいいじゃない、と自然に口にできる人が少なくないように感じます。アレックは、そんな21世紀の若者に近い感覚を持っている気がしました。

 

加賀山 フォースターはたぶん、階級とか、それぞれが住んでいる社会とか、民族とか、あるいは性別なんかもすべて超越して、人と人とが向き合ったらどうなるかというのを大切にしているんですよね。『インドへの道』ではそれが一番初めから示されるし、『モーリス』でも端的にそれが出ている。自身が同性愛者であり、そもそも頭のいい人なので、自然に多様性をリベラルに認めるという方向に進んだんだろうと思います。だから、現代的ですよね、フォースターって。古典というよりは、むしろ今の作家という感じがします。

光文社古典新訳文庫

光文社古典新訳文庫

Kobunsha Classics
「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」
2006年9月創刊。世界中の古典作品を、気取らず、心の赴くままに、気軽に手にとって楽しんでいただけるように、新訳という光のもとに読者に届けることを使命としています。
光文社古典新訳文庫公式ウェブサイト:http://www.kotensinyaku.jp/
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