わたしは世界で初めてルービックキューブを解いた
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ryomiyagi

2022/03/28

 エルノー・ルービック(ルービックキューブ発明者)

 

1980年の発売から40年余りで、累計3億5000万個を売り上げたルービックキューブ。その発明者エルノー・ルービックが、キューブが辿った数奇な運命と尽きせぬ魅力を綴った初の自伝『四角六面 キューブとわたし』から、読みどころをピックアップしました。

 

(3×3×3のキューブの)最終形の物体をテーブルから持ち上げ、慎重に回転させ始めた瞬間のことを覚えている。ここまでほぼ一人で取り組んできた。待ち続けた瞬間をようやく味わえた――わずかな時間だったが。なぜならそこで、新生児と同様、キューブが裸であることに気づいたからだ。飾り気がなければ、キューブの持つ重要な情報は理解されないままだ。全ピースの外から見える面は、全て同じに見えた。個々のピースの見分けがつかなければ、素晴らしい動きも目で追えず、キューブの膨大な可能性も見て取れない。配列の変化も見られない。

 

各面を違う色でペイントしてはどうだろう? 6種類の鮮やかな色を使えば全ての面が見分けられ、それぞれのピースにも個性が出る。各面のセンターキューブは一色が見えている状態で、エッジキューブは2色、コーナーキューブは3色が見えることになる。個々のピースの色の組み合わせは、他のどのピースとも異なる。そしてピースの色が、秩序立った配列になった際の正しい位置を教えてくれる。これが次のステップへ導いてくれると、すぐにわかりそうに思えるかもしれないが、これらの情報はどれも、キューブに親しみはじめたばかりのわたしにははっきりとわからなかったのだ。

 

最終的な選択は、美術学校時代に培った色彩に関する知識と経験が基となった。まずは原色――、青、赤――のシールを隣り合う3つの立方体の面に貼っていった。そして補色の緑とオレンジを加えた。6番目の面は白にした。紫を使わなかったのは、キューブの男性的な雰囲気に合わないと感じたからだ。

 

キューブに色をつけ終えると、個々のピースがどう動き、互いにどう関わっていくかを追いたくなった。簡単だろうと思った。見たままを記憶していくだけだと思ったのだ。まずある列について、90度回転を連続して2回行い、全体がどう変わったかよく見た。次に2回、異なる軸で90度回転させても、元の状態に戻すのは簡単だった。

 

キューブが突然、迷子のような様相に

 

しかしそれ以上回転させると、外国の街で道に迷ったときのような、何やら爽快で、ときに苛立ちを覚える体験になっていった。何ブロックか進んだだけの場合、来た道は簡単にたどれる。しかしさらに1、2ブロック進み、左か右に曲がると、出発地点に戻るのはやや難しくなり、さらに歩いていくと、もといた馴染みのホテルに戻るのは絶望的といってもいいほど難しくなり、迷子になってしまう。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』にも、野原や公園、森を通る長く覚えにくい道中を経て出発した正確な地点(二人の家)に戻ってくる重要性を、父親が息子に説く場面がある。家からのその道中を、語り手はとても長いものだと感じている。

 

迷子になった事実を認めようとしなければ、出発点からどんどん先へと挑んでいき、さらに混乱が深まっていく。
この時点では、自分がパズルを作っているとは一度も考えたことがなかったということは記しておかなければいけない。

 

わたしは混沌を作り出し、戻る道をどう探せばいいか試みて無力さを感じた。前提となる情報はない。無だ。解法を探しに行ける場所もどこにもない。自分で作った脱出部屋に閉じ込められ、ルールも壁に書かれていない。なんてバカなことをしたんだ! 配列をバラバラにしても、難なく元に戻せるなどと、なぜ考えていたのだろう? わたしは史上初めて、バラバラな配列のキューブと対面した人間だったろ。

 

わたしはどうにかこうにかやってみさえすれば、何らかの方法を試せばうまくいくだろうという、曖昧で漠然とした感覚を抱いていた。しかし回転させればさせるほど自信を失っていった。次第に、そもそも迷子になるまでに費やした時間より、来た道を戻ろうとあがくことに費やした時間の方が長くなっていることに気づき始めた。

 

 

その瞬間から40年以上が経過したが、おそらく何億人もの人々が同じ体験をしてきたことだろう。その人々と同様、わたしは目標にどのくらい近づいているのかも全くわからなかった。しかしいくらか希望はあった。論理的に考えて、何らかの解法は必ずあるはずだ。

 

世界で初めて、ルービックキューブを解く

 

わたしたちの頭は、見たこと、やったことのないものに対処する準備ができていない。特に三次元の問題には。既に言及したが、キューブの六面を同時に見られる人はいない(後ろに鏡を置かない限り)。回転の操作はできても、その様子を見ていなければ意味を追うのは不可能だ。

 

部屋の中でテーブルを回転させたいときは、単純に持ち上げて回転させればいい。しかしキューブの場合、わたしは代わりに部屋を回転させなければならなかった。

 

何が変わり、何が変わらないかを理解しなければならない。一般的に、わたしたちはシンプルなやり方を実行する。列全体(隣り合う3つのピース)をどの方向に動かしても、実際のところ変化はない。三つのピース(または色)の関係性は一定だ。それから次々に、解法の一端となる小さな発見をしていく。誰でも物――車のキー、お金、メガネ、パスポー――をなくしたとき、(そのときは意識的ではなくても)単純に自分の足取りをさかのぼったり、それまでの時間を振り返ったり、自分がした通りのことをもう一度やってみたりすることで、すぐに見つけられた経験があるはずだ。しかしペアのもの――手袋、靴下、イヤリングなど――をなくしたとき、感情面の体験は全く異なる。ペアの片方を見つけると、ある種の安堵感とある程度の満足感は得られるものの、欠けている、これは片方だけだという認識からなかなか逃れられず、強い苛立ちを覚える。もう片方を見つけたときにようやく、強い達成感を覚える。まさに、わたしにとってはそういうものだった。

 

 

解法の一端を見つけたとき、それがどのような働きをするのか、そして全体の中でどんな位置を占め、どう機能しているのかを理解した。動作の一端を繰り返し、目標を達成できた。

 

そしてついに、素晴らしい記憶に残る瞬間が訪れた。全てが定位置におさまったのだ。

 

結果的に、出発点に戻るのに丸1か月かかった。

 

見てみると、全ての色があるべき位置におさまっている。本当に素晴らしい気分だった! 大きな達成感と心からの安堵感。そして真の意味での好奇心。もう一度やったらどんな感じだろう? その過程で今度はどんな発見をするだろう? わたしはこの奇怪なキューブのどんな本質を学んだのだろう?

 

わたしが初めて解法を見つけたときのことを書いた記事を、いくつか読んだことがある。たいてい、あたかもわたしが部屋に閉じこもって、キューブという厄介な物体に昼夜取り組み、頭を悩ませていたように書かれていた。しかし実際には単なる気晴らしだった。仕事に行く。友人と時を過ごす。日常生活を送る。日々のルーティンを変わらずこなし、その一方で構造を完成させていき、よりうまくいく新しいモデルを作っていた。時間があるときは、それを解いて遊んでいた。結果的にどんどん引き込まれていき、速く解けるようになり、人生に占めるキューブの割合が大きくなっていった。

 

この記事を書いた人

エルノー・ルービック Erno Rubik
ハンガリーの発明家、建築家、建築学教授。1974年に発明したルービック・キューブはたちまち世界中で人気となり、商品化された1980年以降、世界で3億5000万個のキューブを売り上げ、人口の7人に1人がこれで遊んだことがあると言われる。最近では、巡回展示の〈ビヨンド・ルービックキューブ〉など子供たちに科学や数学や問題解決に親しんでもらうための団体にかかわっているほか、ハンガリーの学生に北米留学の機会を提供するプログラムでも委員を務めている。

 

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四角六面

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