2020/03/06
吉村博光 HONZレビュアー
『自分の中に毒を持て』青春出版社
岡本太郎/著
どちらかというと私は、受験勉強がつまらなくて、読書に目覚めたほうだ。部活をやめた高校2年生くらいから、本屋さんや図書館で自分にあった本を探すようになった。その頃出会った本の一つが、本書である。
高架脇にあった小さな本屋の入り口には、雑誌が堆く積まれ、店内に入ると湿り気を含んだ本の匂いがした。どうやって本書を見つけ、どういう動機でレジまで持っていったのか覚えていない。ただ、店を出るときに私が抱えていたのは、本書だった。
本屋さんの入口と出口の記憶だけが、鮮明に残っている。記憶は後から都合よく塗り替えられるというから、ただエロ本買う照れ隠しのために、この本を買っただけなのかもしれない。しかし、それが私の人生を大きく変えてしまった。
私は理系の科目が結構好きだったのだが、早稲田大学の第二文学部に進学することにした。飯の種にならない学部という点も、どこにでもある昼間の学部とは違っているという点も気に入った。岡本太郎的「人生の選択」について、本書にはこう書いてある。
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとうはそっちに進みたいんだ。
だから、そっちに進むべきだ。ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。 ~本書第一章より
私は、「芸術は爆発だ」とブツブツEながら、卒業後25年間会社員を続けてきた。無論、見る人が見れば私の仕事の中に本書の精神が生きていることがわかるだろう。しかし、そんなことはどうでもE。大切なのは、この精神からE仕事がいくつか生まれたことだ。
自分の中から沸きあがってきて形になった仕事の数々。サラリーマンでありながら、そんな仕事をさせてもらえたのは、周囲の方々のご理解やご支援の賜物だ。そして、本書のおかげだと思っている。心の底から、感謝している。
一口にサラリーマンといっても、色とりどりでじつは結構面白いものだ。ある人は、仕事というのはツライものだから、その対価としてお金をもらえるのだと断言していた。私は、掛け値なしに、それは凄い覚悟だと思った。私には、真似できない。
日本人は均一化されているといわれるけど、色々な考えを持つ人が共存できるのが会社の面白いところだ。仕事を通じて知識や経験を積み重ねていきたいと思っている人もいれば、考えを日々更新していきたいと願う人もいる。
ちなみに、私が今回この本を取り上げたのは、我が家の片付けに巻き込まれたのがキッカケだ。これから子供部屋をつくるのに、部屋には私の本が山のように詰まれていた。私はそこに一人でブチ込まれ、妻から強い口調でルール説明を受けた。
「1年以上使ってないものは捨てる」というのである。いまの時代は、昔のように蔵があるわけではないから、モノのない暮らしがベストだ。必要なときに必要なものが手に入る社会環境もできている、だから不要なものは捨てよう、と私にいうのである。
時代は変わっていく。「なるほど」と思った。もとより、家族の幸せが私の幸せだ。次の瞬間には、私は右から左に素早く本を選んでいた。だけどこの本には、ページを開きたくなる何かがあったのだ。開いてみると、最初のページにこんな一文があった。
人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く純粋にふくらんでくる。
今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。 ~本書第一章より
妻の言葉と重なって、本の活字が浮き出て見えた。「断捨離」なんて耳にタコができるくらい聞いてきたけど、その時私には自分の進むべき道が見えたのだ。コレクターの人は本を貯めればいい。でも、私にはそれができないし、そうする必要もないのだ。
読んでいる本だけ、本棚にあれば良い。ありがとう、妻。ありがとう、岡本太郎。世の中が大きく動くなか、これから自分が生きていく指針を得たように感じた。さらに仰天したのが、芸術・政治・経済の三権分立という著者の主張である。
政治はまことに政治屋さんの政治。経済人は利潤だけを道徳の基準にしている。そのモノポリー、両者のなれあいがすべてを堕落させ、不毛にさせる。これを根本的にひっくりかえし、「芸術」、つまり純粋な人間的存在と対決させることによって生命力・精神を生きかえらせなければならない。 ~本書第四章より
合理と非合理のうち、合理つまり「容易く見えるもの」のみに牛耳られてしまうと、世の中はロクでもない方向に向かってしまうのだ。近年は、アートの必要性を説く本が次々とベストセラーになっている。岡本太郎の言葉は、いま読んでも新しい。
『自分の中に毒を持て』青春出版社
岡本太郎/著