BW_machida
2022/05/23
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2022/05/23
『世界は宗教で動いている』光文社未来ライブラリー
橋爪大三郎/著
海外では、よく「日本人は信仰心が希薄だ」などと言われる。たしかに、万物に神が宿るとする神道をベースとする日本人の信仰に対する圧倒的な寛容さは、そのほとんどが一つの宗教を信仰する他国人からすると、不謹慎かつ不思議でならないだろう。12月ともなれば、日本中はクリスマス一色となり、大みそかには、そこかしこの寺院から響き渡る除夜の鐘に頭を垂れ、年が明けるとともに初詣に行列をなす。これぞ、1億2千万余人の日本人の宗教信者数が1億8千万余人となる所以である。かくも日本人の信仰心とは、他国人にとって奇妙奇天烈である。
そんな日本を訪れる外国人の多くには、日本人の信仰心を疑う向きがある。しかし、日本人が有する信仰心は決して稀薄ではない。ただ、自らが信じる神的存在と、他者が信じる神の、どちらに対してもリスペクトできる寛容な民族であるだけである。しかし、そんな日本人特有の信仰心を当たり前としていると、海外に出かけた際に思いもよらぬ不興をかったりする。それでなくても、日本人的思考がスタンダードと思い込みがちな日本人だけに、そんな日本人とは違う海外のスタンダードをわきまえておく必要があるように思う。そんなことを考えているところに、『世界は宗教で動いている』(光文社未来ライブラリー)を手に入れた。著者は、『ふしぎなキリスト教』(講談社新書)『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)『教養としての聖書』(光文社新書)など、数々の著書で宗教社会学を教授する橋爪大三郎氏だ。さっそくページを繰ってみる。
「ビジネスパーソンなら、宗教を学びなさい。」
ビジネスパーソンの皆さんには、こう言うことにしている。
なぜ「宗教」、なんですか。
宗教なら知ってますよ。
神を信じたり、仏を拝んだりしている、あれでしょう。(中略)
宗教を、経済・政治・法律・科学技術・文化芸術・社会生活と、別物と思っていませんか、あなたは。(中略)
でもそれが、大きな間違い。日本以外のたいていの国では、経済・政治・法律……社会生活を、まるごとひっくるめたものが「宗教」なんです。
とは、本書冒頭の著者の言葉。
たかだか海外旅行ですらも、考えてみればムスリムに違いないコーディネーターにお酒をすすめてみたり、半ば観光地化しているとはいえ、寺院にショートパンツで入ろうとしたり、何気ないことで相手に嫌な思いをさせ、そんな自分の見識の無さを痛感させられた経験がある。今思い出しても、ちょっと恥ずかしくなる。これがプライベートな旅行だから笑えるが、ビジネスライクなお付き合いの席でともなれば、言うまでもなく日本特有の呑みの席などもっての外だろうし、なにより、これからビジネスをしようとする相手が、その国の文化を理解していないと思わせる行為は致命的に違いない。
しかし、そんな私の経験など、まさに取るに足らないことかもしれない。それが、政治や法律にかかわる問題だと考えると、知らずにいることはとても恐ろしくなる。
橋爪 かつて中東地域が西欧の植民地にされたとき、植民地政府はイスラム法を無視した立法行為を一方的に行いました。ここに大きなトラウマがあります。ほとんどのイスラム諸国が植民地になった結果、イスラム共同体がズタズタにされてしまったのです。しかも独立後にも、イランのパーレビ王政のように西欧化を進める政権があり、それはけしからんと、近代化に対する反動が起こりました。それがイスラム回帰、イスラム復興という考え方で、これはなにもイランのホメイニに限ったことではなく、イスラム世界ではあちこちで起こりました。こういうのを見て、キリスト教徒はファンタメンタリズム(原理主義)という名前を付けました。(中略)
受講生 そういう意味では、ジハードもそうですね。
橋爪 はい。ジハードはクルアーンに出てきますが、これはイスラムを守る“努力”という意味です。聖戦と訳していますが、“戦”ではなく“努力”というのが正しい。戦うという意味はもともとありません。しかも、相手が先に手を出した場合の防御的な努力です。
本文の多くに、上記のように受講生を交えての、まるで講義授業のようなやり取りが紹介されている。そんな一問一答方式が、とても分りやすい。それにしても、今やイスラム教徒と聞けば、原理主義者的な過激なムスリムを連想し、そんな彼らが掲げるジハード(“聖戦”)という宗教的概念は、そのままテロリズムを想起させる。しかし本来ジハードとは、テロ行為どころか「防御的努力」でしかなく、それをもって過激な攻撃性と解釈した時点で彼らとの付き合い方を誤ってしまう。
橋爪 イエス・キリストは、神なのか、人なのか。ここまでの議論を踏まえて、考えてみましょう。
受講生 神、です。
橋爪 神ですね。でも、人でもあったのではないか。一度は死んだのだから。じゃあ、角度を変えて、つぎの質問。イエスの母はマリアですが、父親は誰か?
受講生 大工のヨセフ、です。
橋爪 そうですね。大工のヨセフは、マリアと婚約していた。婚約しているあいだ、マリアは律法に従って貞操を守っていたのに、妊娠してしまいます。これは大変なことで、男性の側から婚約を破棄できる。ヨセフも悩んだが、そこに天使が現れて励ましてくれたので結婚した、と書いてあります。(中略)
受講生 でもイエスは、ヨセフの子ではないですよね。
橋爪 そう、そこが問題です。(中略)つまり、マリアがに妊娠したのは、聖霊による。聖霊を通して、天なる神がイエスの父親になっているから、イエスは神の子。ならば、ヨセフの子ではない。『マタイによる福音書』にはヨセフが父だと書いてある。『ヨハネによる福音書』には天なる神が父だと書いてある。福音書によって、言っていることが違う。いったいイエスの父は、ヨセフなのか、天の父なのか。どちらも父でないといけないので、これを両方とも信じるのが、キリスト教なのです。
9-11以後、ムスリムと聞けば原理主義者を連想するようになってしまった。しかし、それは全くの誤解だし、なにより世界中が警戒する“ジハード”にしても、本来それは“抗うための努力”であり、決して他者を攻撃する教えではない。故に、敬虔なムスリムとは、決して他者を傷つけるような存在ではない。そして、唯一絶対神を信奉するキリスト教徒は、その始まりの部分に、圧倒的な矛盾を抱え、その矛盾をも矛盾とせず受け入れる、複雑かつ強固な信仰心の持ち主なのかもしれない。これら、ジハードの概念や矛盾でしかない曖昧さを許容する彼らの信仰心は、森羅万象に神が宿るとする日本人の、「曖昧だ。希薄だ」と称されがちな信仰心とも、いつかどこかで通じ合えるような気がする。
本書『世界は宗教で動いている』(光文社ライブラリー)は、教えられることもなく曖昧なまま受け継いでいる我々日本人の、信仰に対する世界標準を知るうえで、とても参考になる一冊だった。今や国境がなくなったビジネスフィールドに、これから出ていこうとする方々に、是非一読、熟考することをお勧めします。
文/森健次
『世界は宗教で動いている』(光文社未来ライブラリー)
橋爪大三郎/著
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