ryomiyagi
2022/05/30
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2022/05/30
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マルコム・グラッドウェル(作家)
プロの音楽家として活動を始めた頃、アビー・コナントはイタリアのトリノ王立歌劇場でトロンボーンを吹いていた。1980年のことだ。その夏、彼女はヨーロッパ中のオーケストラの欠員募集11件に応募した。1通だけ返事が来た。ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団だ。手紙は「親愛なるミスター・アビー・コナント様」と始まっていた。あとから思えばそのときにおかしいと気づくべきだった。
オーディションはミュンヘンのドイツ博物館で行われた。ミュンヘン・フィルが活動拠点とする文化センターは建設中だった。応募者は33人。選考委員から見えないように、一人ずつ仕切りの陰で演奏した。当時ヨーロッパで仕切り越しのオーディションは珍しかった。だが地元のオーケストラ関係者の息子が応募していたので、公平さを期すために、初回の選考は仕切り越しに行われた。コナントは16番目。フェルディナンド・デイビッドの「トロンボーンのためのコンチェルティーノ」を演奏した。ドイツではオーディションでよく演奏される曲だ。音符をひとつミスした。ソの音がかすれてしまった。「だめだ」と彼女はつぶやき、楽屋に戻って帰り支度を始めた。だが委員会の判断は違っていた。
訓練を積んだクラシックの音楽家は、演奏の善し悪しをほとんど一瞬で判断できるという。最初の数小節、ときには最初の一音でわかることもあるという。
彼女がオーディションの部屋を出ると、ミュンヘン・フィルの音楽監督セルジュ・チェリビダッケが「欲しいのはこの演奏者だ!」と叫んだ。順番を待っていた残りの17人は帰された。楽屋にいたコナントは呼び戻され、オーディションの部屋に戻って、仕切りの後ろから姿を現した。するとバイエルン訛りのドイツ語で「どういうことだ! まったく! 勘弁してくれ!」と言う声が聞こえてきた。男と信じきっていた演奏家が、実は女だったからだ。
かつて第二次世界大戦の直後にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が仕切り越しのオーディションを試みたことがある。元会長オットー・シュトラッサーはオーディションの結果について、回想録に「異様な光景」だったと書いている。「ある応募者が素晴らしい演奏をした。幕を上げると現れたのは日本人だ。審査員はあぜんとした」
シュトラッサーはヨーロッパ人の作曲した曲を日本人が心を込めて忠実に弾きこなすことなどできないと思っていたのだ。
チェリビダッケも同様に、女はトロンボーンなど吹けるはずがないと考えていた。ミュンヘン・フィルはバイオリンとオーボエに1、2名の女性を雇ったことがある。だがいずれも「女らしい」楽器だ。トロンボーンは男性的。男が軍楽隊で演奏する楽器だ。
オーディションはあと2回あった。コナントは2回とも見事に合格した。だが、チェリビダッケら選考委員は彼女の姿を見たせいで、演奏を聴いたときの第一印象と長年抱いてきた偏見がぶつかり始めた。彼女は楽団に雇われ、チェリビダッケはそのことをよく思っていなかった。
一年が過ぎた。1981年5月、コナントは会議に呼ばれ、第二トロンボーンに降格すると告げられた。理由は教えてもらえなかった。コナントは一年間、研修生として練習を積み、もう一度実力を証明しようとしたが、無駄だった。「どうしてかわかるだろう」とチェリビダッケは彼女に言った。「トロンボーンのソロは男性に吹いてもらいたいんだ」
コナントは仕方なく裁判所に訴えた。楽団側は「原告はトロンボーンセクションで首席を務めるだけの体力がない」と主張した。コナントは呼吸器専門の病院に送られて、詳しい検査を受けた。特別な器具に息を吹き込み、採血して酸素の吸収量を測定し、胸の検査を受けた。身体能力は平均値を超えていた。看護師にスポーツ選手かと聞かれたほどだ。裁判は長引いた。楽団は次に、モーツァルトの「レクイエム」を演奏したとき、有名なトロンボーンソロでコナントの「息が短いのが耳障りだった」と言った。だがこの曲を演奏したときの客演指揮者は彼女の演奏を絶賛していた。トロンボーンの名演奏家を招いて、特別なオーディションが行われた。コナントはトロンボーンのレパートリーの中で最も難しい楽節を7か所演奏した。名人は彼女を絶賛した。それでも楽団は抵抗し、彼女は信頼できない、プロとして失格だと言いつのった。もちろん根拠はない。彼女が第一トロンボーンに復帰できたのは8年後のことだ。
だが、別の戦いが始まった。それがさらに5年続いた。彼女は男性の楽団員と同じ給料を払ってもらえなかったのだ。彼女はふたたび法廷で争い、勝った。訴えはすべて通った。楽団に反論の余地はなかった。
彼女の能力に文句を言ったチェリビダッケは、純粋に客観的な判断のできる状況で彼女の演奏を聴いていた。そしてなんの先入観もない状況で彼は「欲しいのはこの演奏者だ!」と言い、ほかの奏者を帰していた。アビー・コナントはオーディション会場の仕切りに助けられたのだ。
この数十年間にクラシック音楽の世界も大きく変わった。アメリカではオーケストラの団員が組織として団結するようになった。彼らはオーディションのルールをきちんと決めるように要求した。そして指揮者が一人で選考する従来のやり方を廃止し、公式の選考委員会ができた。楽団によってはオーディションの最中に審査員どうしが話し合うことを禁じる規則を設けたところもある。一人の意見が他の審査員の意見を左右しないようにという配慮だ。演奏者は名前ではなく番号で区別し、委員会と演奏者の間には仕切りを設けた。演奏者がせき払いをしたり、誰かわかるような音を立てたら、部屋の外に連れ出されて新しい番号を割り振られる。このような新しいルールが国中で導入されると、予想外の事態が起きた。アメリカ中の楽団が女性を雇い始めたのである。
仕切りが一般的になったこの30年間に、アメリカでは一流のオーケストラに在籍する女性の数は5倍に増えた。
クラシック音楽の大変革にはなるほどと思える教訓がある。指揮者はなぜ長い間、自分たちの瞬時の判断が鈍っていることに気づかなかったのか? 私たちは瞬時の認知という自分の力に無頓着なことが多すぎる。第一印象がどこから来るのか、また正確に何を意味しているのかわからない。だから、この吹けば飛ぶような情報をありがたく思わない。瞬間的な認知の力を真剣に捉えるということは、無意識から生まれたものを変質させたり、台なしにしたり、偏見で歪めたりする、ちょっとした影響を認める必要があるということだ。
音楽の善し悪しを判断するのは簡単そうだ。だがそんなことはない。仕切りがなければアビー・コナントは演奏を始める前に不合格になっていただろう。仕切りがあったからこそ、彼女はミュンヘン・フィルにふさわしい力があると認められたのだ。
オーケストラは自分たちの偏見に直面したときにどう対応したか? 問題を解決した。これが本書の第二の教訓だ。私たちは瞬時の判断を鵜呑みにしすぎる。無意識の中から湧き上がってくるものは制御できないように思う。だが実は制御できる。瞬時の認知が生じる環境を制御できるなら、瞬時の認知も制御できる。
オーケストラで女性が演奏するようになったことは取るに足らない変化ではない。それまでチャンスに恵まれなかったグループに道を開いたのだから大きな変化だ。また、オーディションでの第一印象の質を改めた点でも重要だ。能力だけを基準に判断することによって、オーケストラはより優れた演奏家を雇うようになった。よい演奏家が集まれば、音楽の質は上がる。そのためにクラシック音楽界の活動を見直したわけではなく、新しいコンサートホールを建てたわけでもない。莫大な資金を投入したわけでもない。ほんのささいなこと、すなわちオーディションの最初の2秒に注目しただけだ。
ジュリー・ランズマンがメトロポリタン歌劇団の首席ホルン奏者を選ぶオーディションを受けたとき、練習用ホールには仕切りが設けられたばかりだった。そのとき、歌劇団の金管楽器のセクションに女性はいなかった。女性は男性のようにホルンを吹けないというのが「常識」だったからだ。だが、そこにランズマンがやってきて演奏した。素晴らしかった。「最終選考で演奏したとき、結果を聞く前に合格したとわかった」と彼女は言う。「最後の曲を演奏したときにちょっと小細工したの。確実に審査員の印象に残るように、最後の高いドの音をかなり長く伸ばしてみたの。審査員は笑い出したわ。必要以上に伸ばしたから」
だが、合格者が発表されて彼女が仕切りの後ろから現れると、みんな息を呑んだ。コナントの場合のように、彼女が女性で、女性のホルン奏者が珍しかったからだけではない。男性の演奏と間違えるような力強く大胆に引き伸ばした高いドの音のせいだけでもない。審査員は彼女を知っていたのだ。ランズマンは以前にメトロポリタン歌劇団で代役として演奏したことがあった。だが耳だけで聴く前は、その演奏の素晴らしさにみんな気づかなかった。仕切りのおかげで純粋な瞬時の認知が可能となり、小さな奇跡が起きたのだ。最初の2秒を大事にすれば、いつでも起きる小さな奇跡だ。そうして彼らは、ランズマンの本当の力を知った。
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