ブラッド・ピットが右腕に彫ったイスラム神秘主義詩人の金言|宮田律『イスラムがヨーロッパ世界を創造した』
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ryomiyagi

2022/06/14

すでに100日を経過した、ロシアによるウクライナ侵攻。圧倒的とされたロシアに対する、ウクライナ軍の頑強な抵抗は、それを見守る世界の人びとの驚きと称賛の声を集めている。当初、開戦の理由はウクライナのNATO加盟をめぐる政治的問題とされたが、その背景には、プーチンの抱く大ロシア帝国に対する思いやロシア正教をめぐる宗教的理念など、およそ暴挙の正当化など出来ようもない理由の数々に、世界は呆れると同時に恐怖すら感じた。

 

前世紀までの世界は、国家的野望や宗教対立によって、幾度となく凄惨な戦いを繰り広げてきた。中でも、キリスト教徒にとっての聖地・エルサレムを奪還するべく数度にわたって遠征を繰り返した十字軍など、その規模の大きさと執念の深さには恐るべきものがある。まさかそれ以来の確執でもないだろうが、2001年9月11日に米・NYで起きた同時多発テロなどを見ると、キリスト教国とイスラム世界は、現代もなお戦い続けているように見える。私の周辺にこそ居ないが、グローバル化とともに急速に経済成長を遂げた東南アジアの国々からは、数多くのヒジャブで面を覆った観光客が来日している。国によっては、ムスリムというだけで様々な制約を受けたりするようだが、幸いにして日本にそのような発想はない。と同時に私自身にも、彼らイスラム教徒に対して、好奇心以外の敵意も警戒心もない。それにも増して、東洋とも西洋とも違う、イスラム文化特有のエキゾチックな風合いに憧れていたりする。
とはいえ、私が目にする彼らを伝えるニュースは、そのほとんどが殺伐としたものが多く、好奇心を満たすには知識と情報が少なすぎるのだ。そんなことが、彼らイスラム世界の住人を誤解と偏見に満ちた世界に貶めているに違いない。『イスラムがヨーロッパ世界を創造した』(光文社新書)の著者は、一般社団法人・現代イスラム研究センターの理事長を務める宮田律氏だ。「イスラムがヨーロッパ世界を創造した」とは、なんと興味深い情報だろう。あの荘厳な寺院建築や洗練された美意識が、今や世界の仇のように思われているイスラム世界がもたらしたのだとしたら、これほどの皮肉はない。

 

日本は明治期以降、ヨーロッパ文明から少なからぬ影響を受けてきました。実は、そのヨーロッパ文明の中にはイスラム起源のものが数多くあります。私たち日本人は、ヨーロッパのものだと思って受け入れたものの中に、イスラムの知恵や文化や、科学が含まれていることをほとんど知らないのです。

 

例えば私たちは、ゴッホやモネが日本の浮世絵に影響を受けたと知り嬉しくなるし、誇らしくすら感じるけれど、レンブラントがムガル朝の細密画を称賛していたなどとは全く知らずにいる。言われてみれば至極当たり前のことで、イスタンブールのブルーモスクなど、イスラム文化が放つ他を寄せ付けない美しさなど、ヨーロッパ各国の寺院にみられる古代の建築様式など、その崇高なまでの絢爛には、イスラム建築に通底したものがある。また天文学に始まる科学的知識や、オリーブ・オレンジなどの農業技術の多くが、十字軍によって持ち帰られたとは何とも皮肉である。

 

そんなトスカーナ地方にある中心地のフィレンツェは、14世紀から16世紀にかけてヨーロッパの商業や金融における中心地となり、学問や芸術でルネサンス文化を大きく開花させました。特に、ムスリムたちによる数学理論、幾何学、光学の分野での発見は、イタリアの芸術家たちが絵画の遠近法を習得するのに役立ちました。また、ルネサンス以降、思想の面でも人間性が重視されるようになったのですが、それはムスリムたちが訳したギリシア・ローマの古典文化が手本となったのです。

 

15世紀から18世紀までフィレンツェを支配したメディチ家は、多くのイスラム芸術や文化を迎え入れるなど、エジプトのマルムーク朝との深いつながりがあったらしい。

 

フィレンツェとイスラム世界とは1400年代の初頭から間断のない交流があり、フィレンツェには、ヴェネツィアやジェノバと同様に、異教世界のものであっても優れた芸術を評価し、また称賛する想いがありました。フィレンツェにあるイスラム世界の文化遺産は、イスラムが決して文明のない人々の宗教ではなく、ムスリムたちがイタリア文化の形成に重要な影響を与えたことを明確に示しています。

 

ルネサンス以前の中世ヨーロッパは、強固なキリスト教支配がなされた多様性を排する暗黒時代と言われる。そんな中世ヨーロッパの無知と排他性を、開明した文化運動をルネサンスと呼ぶ。そんなルネサンスの幕開けを、イスラム世界の文物が助け、数多のムスリムたちが関与していたという事実が何とも言えず心地よい。

 

アメリカの俳優ブラッド・ピットの右腕にはルーミーの詩の一節がタトゥーとして彫られています。それはコールマン・バークスの英訳で「There exists a field,beyond all notions of right and wrong.I will meet you there.(正しさと誤りの概念を超えたところに野原がある。そこで君と会うだろう)」というものです。人間は互いの相違を乗り越えて寛容にならなければならないというメッセージがそこにあります。

 

ルーミー(1207~1273年)とは、多くのアメリカ人が敬愛するアフガニスタン生まれのイスラム神秘主義詩人。本書を手にした時、何よりも目を引いた帯封に記された一編の詩。「すべての宗教は、同じ一つの歌を歌っている。相違は幻想と空虚に過ぎない」。これもルーミーの詩作である。
加えて本書では、彼の詩編が異教徒の共感を呼ぶことの不思議を尋ねられ、それに対して「道はいろいろ違っても、行きつく先はただ一つ」と答えたという。そして行き着く先をメッカにたとえ、ある者は陸路を、またある者は海路をたどってメッカに向かうが、そこには全くの差異が無いと諭している。
その通りだと改めて思う。同じく日本にも、鎌倉時代の僧侶・西行法師が、神道の総本山ともいえる伊勢神宮を参拝した際に詠った「何事がおわしますかはしらねども、かたじけなさに涙溢れる」という歌を残している。
未だに、ムスリムに対して、ある種の違和感を拭いきれずにいる私たちは、このムスリムの詩人や我が国の歌人に対して何と答えればいいのだろうか。少なくとも、他者の信仰心に対して寛容な風土に生まれた日本人が故のアドバンテージは、とても大きな財産だと思う。
私の大好きなローマやヴェネツィアの、絢爛で荘厳な芸術品や建築物の中に、イスラム世界がもたらした概念や技術が内包されているという事実は、とても素敵な物語であり歴史的事実だと思う。
『イスラムがヨーロッパ世界を創造した』(光文社新書)は、終わることなく続く宗教対立に感じていた暗澹とした気分と、恥ずかしいかな自分自身の無知を払拭してくれた。誰しもが知るべき、読むべき一冊である。

 

文/森健次

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