7人の会社をトップクラス企業に育てた『マジンガーZ』超合金
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『写真:AFLO』

 

1972年12月よりテレビアニメ『マジンガーZ』の放送がスタートした。『マジンガーZ』こそ、ロボットアニメというジャンルを作った作品である。

 

『マジンガーZ』の主要提供スポンサーは大塚製薬だが、玩具や模型の商品化権はバンダイが取得していた。正確にいえば、バンダイグループの各メーカーが受け持ったカテゴリーごとに商品化を行う、ということである。

 

1972年当時のバンダイグループには、キャラクター玩具専業メーカーとして、ポピー(現・バンダイボーイズトイ事業部)の存在があった。だが、ポピーは、本社と内容が被る商品を発売することは許されなかった。これは極めて過酷な条件であり、ポピーは崖っぷちからスタートしたと考えて間違いない。

 

ポピーは1971年より創業しており、1972年発売の「仮面ライダー 光る回る電動変身ベルト」「仮面ライダー ミニミニ サイクロン号」で実績を上げていた。

 

「変身ベルト」はモーターと電球を内蔵し、スイッチを入れると発光しながら回転して、仮面ライダーの変身シーンを体感できる。

 

「ミニミニ サイクロン号」はミニカーのフォーマットをテレビキャラクターに落とし込んだもので、ミニカーの重量感に加えて、各部に透明パーツやゴムタイヤを使用して高級感を醸し出した。付属のライダー人形には布のマフラーが巻かれるほどの徹底ぶりである。これが「超合金」を生み出す基礎となった。

 

『マジンガーZ』の玩具といえば「ジャンボマシンダー」か、それ以上に「超合金」を思い出す人も多いだろう。「ジャンボマシンダー」はマジンガーZの “巨大なロボット” という魅力に着目した玩具であり、全高は約60センチ。当時のキャラクター玩具としては異例の大きさを誇っている。

 

「ジャンボマシンダー」(1973年春)と「超合金」の発売時期(1974年2月)は1年近く開きがあるが、これはあえて発売時期をずらしたわけではない。「超合金」は開発に大幅に時間がかかったのだ。

 

幸運なことに『マジンガーZ』の放送が2年目に突入したこともあり、「超合金」は「ジャンボマシンダー」に続くヒット商品となった。

 

その人気の要因を分析する場合、架空のキャラクターが持っている魅力をどのように抽出して売り出すのかが、重要なポイントとなる。

 

「ジャンボマシンダー」は、その巨大さを商品サイズでストレートに表現したことが魅力に繋がった。そして「超合金」は、ロボットの重量感とアクションを玩具に落とし込んだものであった。

 

手に持つとダイキャストの重みがズッシリとして、金属の手触りが冷たい。そして両腕はスプリングで発射できる。おそらく発射ボタンを押す瞬間、児童の心はマジンガーZの操縦者と化している……!!

 

この “本物を感じさせる感覚” は、今も昔もキャラクター玩具において重要な要素だが、「超合金」は当時としては極めて、テレビとの一体感を感じさせるアイテムだった。今見ると造型そのものは稚拙かもしれないが、43年前はとてもセンセーショナルだったのだ。

 

「超合金」は、1975年には「ジャンボマシンダー」を抜いて、ポピーの主力商品となる。商品の魅力もさることながら、徹底的なコマーシャル戦略、特殊インクをもちいた美麗なアートディレクションが、ポピーの特徴だった。商品だけでなく宣伝やパッケージにもお金をかけたのである。

 

これが功を奏してポピーの商品は「指名買い」された。「指名買い」とは売り場に出かけてから欲しいものを探すのではなく、最初から「これが欲しい!」という固い意志を持った買い物のことだ。当時の売り場スタッフの証言によれば、「超合金」は圧倒的に「指名買い」が多かったという。

 

1971年の創業当時、ポピーのメンバーはわずか7名。泡沫的な存在だったポピーは、「超合金」のヒットにより、日本トップクラスの売り上げを出すメーカーの座へと駆け昇る。

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