akane
2018/08/20
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2018/08/20
ジェームズ・コミー著『より高き忠誠 A HIGHER LOYALTY』より
私がFBI長官になる以前、NSA(国家安全保障局)の委託業者エドワード・スノーデンが、NSAの活動に関する極秘データを大量に盗み出し、マスコミに盛大にばら撒いた。この窃盗事件の当然の帰結として、国の情報収集能力は壊滅的な打撃を受けることになった。そしてスノーデンの暴露の翌年、もうひとつの結果が生まれる。世界じゅうの悪い連中が、強力な暗号によって守られている装置とチャンネルを標的にし、政府による監視活動を妨害しだしたのだ。そこには裁判所の認可を受けてFBIが行っていた電子監視活動も含まれていた。長期にわたってモニタリングしていたテロリストのネットワークが、われわれの目の前から消え失せた。恐ろしい事態である。
2014年9月、われわれの法的能力が弱まっていくのを見守りはじめてから1年が過ぎた頃、アップルとグーグルの発表が目に飛び込んできた。両社はそれぞれ自社の携帯端末を、初期設定の状態から暗号化することにしたというのである。この発表は少なくとも私の耳には、裁判所命令をはねつける機器をつくることに重要な社会的意義があると主張しているように聞こえた。頭にくる話だ。私はただ、裁判所が電子機器へのアクセスを命じて当然なケースについて、それを妨害すればどれだけ社会的コストがかかるかを頭のいい連中がどうしてわからないのか、不思議でならなかった。われわれは、FBIと司法省の双方を担当する記者団と年4回の定例会見を設けていたが、ある会見でアップルとグーグルの発表が話の目玉になった。当初は暗号化について話す予定はなかったが、私は自分を抑えることができずに、暗号化への動きに対するフラストレーションをぶちまけることになった。
私は法の支配の熱烈な信奉者であると同時に、この国の誰も法律の向こう側に行くことはできないと信じる者です。この件で私が懸念しているのは、企業が人々に法を超える力を与える製品を大っぴらに売ろうとしていることです。
この発言によって、私はとんでもなく複雑で感情的な争いに巻き込まれることになった。
FBIとアップルのような企業との断絶は、つまるところ、それぞれの世界に対する見方の違いと、その限界に起因していると説明できるだろう。ざっくばらんに言ってしまえば、両者が本当に相手の話を聞くことは稀なのである。テクノロジー企業のリーダーたちは、FBIが見ている暗闇を見ていない。われわれの日常はテロ攻撃を計画している人間、子どもたちを傷つける人間、組織犯罪に従事している人間を追いかけることで過ぎていく。来る日も来る日も、われわれは最も腐敗した人間を見ている。FBIの職員は、考えられないようなおぞましい行為が横行する世界で生き、呼吸し、それを終わらせようとしているのだ。私としてはテクノロジー企業の人間がそのことを理解しないことにあきれてしまう。私は暗号化問題の解決策の模索を託されたFBIの「ゴーイング・ダーク(Going Dark)」チームとよく軽口を叩き合った。「もちろん、シリコンバレーの連中は暗闇なんて見ないさ。連中の住んでいるところでは、お天道様はいつでもごきげんで、誰も彼もが金持ちで頭がいいときているからな」彼らの世界では、テクノロジーが人間の結びつきを強めることになっている。猫のGIF動画をおばあちゃんとシェアすることが嫌いな人間がいるだろうか?あるいはアプリでオーダーしておけば、スターバックスに入ったときにコーヒーがすでに用意されているという便利さを嫌悪する人間がいるだろうか?もちろんそんなものは軽口にすぎない。けれどもテクノロジー村の人々が、法執行機関の善良な人間が証拠を得るために裁判所命令を使えないことの代償をきちんと認識しているとはとても思えなかった。われわれがその代償を多く見積もりすぎているというなら、それはそのとおりだろう。なにせ一日じゅう、われわれの窓の外は真っ暗なのだから。
世界を眺める立ち位置の違いが双方にバイアスをもたらしている以上、アップルもしくはFBIのどちらかが主導して解決策を提示することは、是が非でも避けなければならない。アメリカ国民が自らの手で、自分たちの生き方も統治法も選ぶべきなのだ。しかし、現実問題としてそのことが正確に何を意味しているのかと問われれば、答えるのはきわめて難しい。暗号化という文脈でプライバシーと公共の安全の衝突を論じようとすれば、そこにはテクノロジー、法、経済学、哲学、イノベーション、国際関係、その他の利害関係や価値観に関する諸問題がどっさりとからんでくる。
アメリカ政府の中枢における綱引きでは、これまでプライバシー陣営が圧倒的優勢を誇ってきた。だがコミュニティを守るために、適切な証拠と監視によってプライベートな空間をのぞき見る必要が出てきた場合は、プライバシー陣営も折れなければならないだろう。かつて一度も、アメリカの大部分が裁判所の権威を排除するような事態は見られなかった。オバマ大統領は出自的にも心情的にも市民的自由の擁護者だが、彼は暗闇の存在に目を向けることができる人物であり、プライバシーを絶対の価値として語ることの危険性も理解している。2016年の春、テキサス州オースティンで大統領は人々に向かってこう説明した。
しかしながら、危機は現実のものです。法と秩序と文明社会を維持することが重要なのです。われわれの子どもたちを守ることが重要なのです。だからこそ私は、この件に関して絶対主義者の視点に立つことがないように自戒するばかりです。われわれはいつでも妥協点を見つけてきたのですから……。自分たちの情報は特別なのだから、公共の安全のためにわれわれが犠牲にしているほかの物事とは区別すべきだという考えに、私は同意できません。
大統領はこの問題に飛び込んでいき、プライバシーと安全の衝突についてホワイトハウスでじっくりと検討するようにという前例のない指令を出した。ホワイトハウスのシチュエーションルームで、このトピックについてのミーティングが大統領自らの主導で数回開かれたが、そこで大統領は、アメリカ社会が大々的に裁判所命令を受けつけなくなるというような事態へわれわれが向かっているとしても、それは一企業が決めるべき類いの事柄ではない、と発言した。そうなればわれわれの生活は一変するだろう。だからこそ、これは合衆国市民が決めるべき案件なのだと。
残念なことに、オバマ大統領にはもうあまり時間が残されていなかった。この問題について政権はいくらか議論を前進させはした。そこにはいわゆる「概念実証(PoC)」と呼ばれる技術プランの展開も含まれていた。プライバシーが保護される携帯端末をつくりつつ、必要な際には判事がアクセス命令を出せる設計が可能であることをデモンストレーションしようというプランである。しかしながら、オバマ大統領は次にすべきことを決める前に退任することになった。たとえば、法律をつくるべきか、それともなんらかの規制を設けるべきかといった問題は積み残されたのだ。
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