akane
2018/09/20
akane
2018/09/20
ADHDとは「注意欠如・多動症」と呼ばれる発達障害のひとつです。
主に、3つの特性があります。
まず、不注意です。
これは、複数の物事を同時にこなすときに、注意を複数に分配することが苦手であることを指します。この影響で、ひとつの物事を脱線せずに最後までやり遂げることができません。片づけができない、なくし物や忘れ物が多い、約束を忘れるといったように、多岐にわたって生活に影響が出る特性です。
次に、多動性です。
これは、一般的にADHDでイメージされている、授業中に椅子から立ち上がって教室中を歩き回る行動や、教室内外の出入りを繰り返す行動を指します。また、人と話をしているときに、その話に集中することができず、頭の中で次々と別のことを思い巡らせてしまうのも多動性です。
そして、衝動性です。
これは「やりたい!」「ほしい!」と思うと、その気持ちを抑えることができず、即、行動に移してしまうことを言います。アルコールや薬物依存も、この衝動性が関係しています。衝動買いをやめることができず、借金を重ねて自己破産に陥るケースもあります。また、後先を考えず、仕事や結婚・離婚などの大きな決断を衝動的にくだしてしまい、自分の人生や周囲との関係に大きな影響を及ぼしてしまうというケースも散見されます。
従来、ADHDは子どもの発達障害というイメージでとらえられてきました。しかし、最近の研究で、大人になってもADHDの症状が残ることがわかってきました。
日本で、大人になってもADHDの症状が続いているということが認知され始めたのは、2000年に翻訳されたサリ・ソルデン著『片づけられない女たち』(WAVE出版)の発刊がきっかけでした。
この書籍で衝撃を受けた読者の多くは、部屋が片づけられないのは自分がだらしないからだと悩み、自分を責めていた大人の女性たちでした。そして、この本を読んでADHDの特性というものを初めて知り、自分はADHDなのではないかと医療機関を受診するようになったのです。
福岡在住の臨床心理士・中島美鈴さんの新刊『もしかして、私、大人のADHD?』(光文社新書)によると、中島さんが成人のADHDの人を対象にした治療に興味を持ったのも、中島さんが大学院生だった2000年に図書館で『片づけられない女たち』に出会ったことがきっかけだったそうです。
「そうか、私がこれまで苦労したのは、ADHDのせいだったのかもしれない!」
このとき、中島さんは稲妻のような衝撃を受けたと言います。そうです、中島さんにも、大いにADHDの特性があったのです。
前述の書籍では、中島さんのもとに治療に訪れた、女性のこんなエピソードが綴られています。
ミサさんは、小さいときから「私は、ほかの子と違う」という思いを抱えて過ごしてきました。
小学校のことのミサさんは、ほかの女の子が身のまわりをきれいに整えて、忘れ物もなくきちんとしているのに、自分だけがいつもプリントをなくし、ハンカチを忘れてしまいます。授業は退屈でたまらず、教室の中を歩き回ることはしませんが、いつも頭の中は空想でいっぱいでした。もしこうだったら、ああだったら、と頭の中を常に忙しくしていないと、じっと座っていられませんでした。
当時は、みんなそんなものだと思っていましたが、大人になってから周囲の人に聞いてみると、そんなに四六時中いろいろと考えごとをしていないと気が済まないのは自分くらいでした。
(中略)
仕事に対しても、同じことの繰り返しで飽きてしまうのではないか、うんざりしてしまうのではないかと心配していました。ミサさんは学生時代にアルバイトをいくつか経験しましたが、どのアルバイトも1ヶ月もすると、行く前にどうしようもないくらい気分がどんよりして、やる気が起きず、どれもあまり長続きしませんでした。
結婚は、もっと心配でした。今だって朝ご飯も食べずにバタバタと飛び起きて仕事に出かけているのに、家族のために毎朝ご飯をつくることができるとはとても考えられなかったと言います。ただでさえ絶対無理と思っていることが、一生続くと思っただけでめまいがしそうでした。
ところが、こうした心配事を女友達に話してもあまりピンときてもらえませんでした。「そのうち慣れるんじゃないかな」とか、「完璧にできなくていいのよ」などと慰めてはくれるのですが、ミサさんと同じような危機感を持っている人はおらず、共感を得ることはできませんでした。
ミサさんのような人生を送っていると、普通の人と比べて漠然と「生きづらい」と感じる人は多いと推測されます。しかし、だからといって、こうした人たちが精神科に足を運び、医師の診察を受けるでしょうか?
決して、そんなことはありません。
日本には、精神科を受診することや、障害があることをネガティブにとらえる傾向が根強く残っています。
しかし、ADHDの特性を抱えて「生きづらさ」を感じている人が、症状を放っておいたらどうなるでしょう。ADHDの人が抱えている様々な生活上の困難というものは、本人のちょっとした気づきや精神力だけで埋められるものではありません。
したがって、そうした意味で、ADHDの周知が進む現代の風潮は、これまで見逃されてきた事態を確実に変えつつあります。
一方、「昔はこうした人たちを診断してレッテルを貼ることはなかったのに、どうして今になってレッテルを貼ろうとするんだ?」という声もあるのも事実です。
しかし、これまでADHDと診断されずに生きてきた人たちは、自分は周りとは違う、どうして、みんなみたいにちゃんとできないんだろうと、自分を責め続けることしかできませんでした。
そのために、就職や結婚を「手の届かない夢」と諦めてしまうことが多々あったと想像できます。自尊心が傷つくだけで人生が終わってしまうのは悲しいことではないでしょうか。
ADHDの人たちは、生きてきた年数分だけ、周りとの違和感、生きづらさを十分体感してきています。診断を受けることは、これまで医学が積み上げてきた知見に基づく治療や対応法を得ることであり、違和感や生きづらさを軽減していく第一歩になると中島さんは書籍の中で力説し、その対処法について詳細に綴っています。
*
この記事は『もしかして、私、大人のADHD?』(光文社新書)より一部を抜粋、再構成してお届けしました。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.