カラー写真で記録されていた60年前の日本が意外すぎる!秘蔵写真の一部を公開(3)
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ふつうモノクロでしか見ることのできない昭和30年代の日本を、カラー写真で記録していた人物がいた。

 

アメリカ出身、日本と日本の鉄道をこよなく愛する、元祖「カラー撮り鉄」、J・ウォーリー・ヒギンズ氏。

 

1956年に、初来日。’58年に本格的に来日以降、日本に在住。国鉄の顧問を務め、日本全国をくまなく巡りながら、趣味の鉄道写真を中心に、当時としては超贅沢なカラーフィルムで日本の風景を多数撮影してきた。

 

そんなヒギンズ氏が、このたび出版した『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』から、いくつかの写真と、それにまつわる思い出話をご紹介する。

 

・・・・・・

 

別府港(大分県)1957年5月5日

 

大分へは、関西汽船を利用して行った。大阪と別府を結ぶ夜行客船があったのだ。

 

途中で神戸や今治、高浜に停まって別府までをつなぐ総計19時間の船旅が、当時は三等の客室であれば片道920円だった。

 

写真は帰りの関西汽船から。別府港でテープを手に、別れを惜しむ人々。

 

こうした光景は、本州の北端と北海道を結ぶ青函連絡船でも見られた。

 

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登戸(神奈川県)1964年5月17日

 

次は前の写真から7年後の、1964年の写真だ。

 

当時私は、立教大学の学生たちに、週一回、自宅で英会話を教えていた。とてもいい人たちだった。

 

この写真は、彼らが我が家から帰る時に、一緒に多摩川に立ち寄った際のものだ。たくさんの人たちがボートに乗っていたので、写真に撮った。

 

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秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本

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J・ウォーリー・ヒギンズ

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