akane
2018/10/31
akane
2018/10/31
ふつうモノクロでしか見ることのできない昭和30年代の日本を、カラー写真で記録していた人物がいた。
アメリカ出身、日本と日本の鉄道をこよなく愛する、元祖「カラー撮り鉄」、J・ウォーリー・ヒギンズ氏。
1956年に、初来日。’58年に本格的に来日以降、日本に在住。国鉄の顧問を務め、日本全国をくまなく巡りながら、趣味の鉄道写真を中心に、当時としては超贅沢なカラーフィルムで日本の風景を多数撮影してきた。
そんなヒギンズ氏が、このたび出版した『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』から、いくつかの写真と、それにまつわる思い出話をご紹介する。
・・・・・・
大分へは、関西汽船を利用して行った。大阪と別府を結ぶ夜行客船があったのだ。
途中で神戸や今治、高浜に停まって別府までをつなぐ総計19時間の船旅が、当時は三等の客室であれば片道920円だった。
写真は帰りの関西汽船から。別府港でテープを手に、別れを惜しむ人々。
こうした光景は、本州の北端と北海道を結ぶ青函連絡船でも見られた。
・・・・・・
次は前の写真から7年後の、1964年の写真だ。
当時私は、立教大学の学生たちに、週一回、自宅で英会話を教えていた。とてもいい人たちだった。
この写真は、彼らが我が家から帰る時に、一緒に多摩川に立ち寄った際のものだ。たくさんの人たちがボートに乗っていたので、写真に撮った。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.