BW_machida
2021/02/26
BW_machida
2021/02/26
私たちの生活は、何でもあらかじめ知ることに慣れきっている。
来週の天気も、目的地に着く時間も、そして気になるあの店の味も……インターネットを使えば労せずして知ることが出来てしまう。予測することは、損を避けることができるし確かに合理的だ。しかし、「孤独のグルメ」の原作者・久住昌之は違う。口コミサイトなどインターネット上の前評判に頼ることなく己の勘のみを駆使して、作中に登場するような名店を見つけ出してきた。『面(ジャケ)食い』(光文社)では、そんな彼と、6年間以上をかけて見つけたおよそ50もの飲食店との出会いが記されている。久住氏がその勘によっていかに“いい店”を見つけてきたのか、「リアル孤独のグルメ」とでも呼ぶべきそのストーリーがここに……!
本作のタイトルになっている「面(ジャケ)食い」は、久住氏によって作られた造語だ。
飲食店の見た目を見て入店するか否か判断することを、レコードのジャケットから好みの音楽かどうかを見極め購入する「ジャケ買い」になぞらえている。
見たこともない、でも気になるレコードは、ジャケットの裏表を、穴の開くように見て、「勘」に頼って買うしかない。失敗は痛い。真剣勝負だ。これを「ジャケ買い」と言っていた。真剣勝負を続けていると、不思議とジャケ買い勘は鋭くなった。
飲食店でいうジャケットとは店の見た目、店構えである。事前調べなし。ふらふらと歩き、目に留まった店をひたすら観察し、考えた末“勝負”をかけるのだ。モダンな外装の小ぎれいな店、食品サンプルケースにビニールスイカや木製の飛行機が並ぶ店、「エレキ300円」という謎メニューが掲げられた店……。様々なジャケットを持った店に時に躊躇しながらも久住氏は「よし、勝負だ」と足を踏み入れていく。
己の足で歩き回って、見つけて、観察して、考えて、勝負する。それでよかったり、失敗したりの経験を積み重ねるしか、自分好みの美味しい店を見つける能力は磨かれない。
「面(ジャケ)食い」は、まるでギャンブルのような一発勝負の賭けだ。しかしそれでも、「面(ジャケ)食い」をすることでしか得られない、口コミサイトの星の数でははかれない魅力を持った店との出会いもある。
東京都・武蔵境で、その古い大衆そば屋は久住氏の目に留まった。
看板には屋号よりも大きく「おそば」の文字。丼ものもやっているらしいが、特に商品の売り文句も見当たらない、本格そば屋というわけではなさそうな見た目の店だ。しかし何より久住氏の興味を引いたのは、そうした看板や店構えだけではなく、店先にある空っぽのサンプルケースだった。
食べ物がなにひとつ置かれていない。もちろん、昔はあっただろう。今は全部ない。品名が書かれた黒い小さな板だけが、墓石のように並んでいる。
サンプルケース左側一番上の段には鉢や紙のポットに入った”造花が並んでいる。花の上にはひとつずつ、クマのぬいぐるみものっている。中断には、なんか小さなふたつの人形(かわり雛?)とミニチュア石灯籠。下は民芸風ミミズク型容器の大・中・小。
家の中で邪魔になったけど捨てられないものを、ここに持ってきたように感じられる。ここに飾ろうと覆って買ったものではないだろう。
普通ならちょっと引いてしまう、なかなか個性的なジャケットの店である。
その一方で年季の入ったジャケットから、地域に長く根差してやってきたような雰囲気も感じ取っていた久住氏は、勝負に出た。
入店するとなべ焼きうどんをメインに頼み、待っている間にビールを注文する久住氏。ビールには、「雪の宿」という白い砂糖がまぶされたせんべいがついてきたそう。
せんべいをかじって、ビールを飲む。せんべいは、ちょっと甘い。静かだ。どこか地方に旅に来たようだ。表のサンプルケースの裏側は、一部透明のところを除き、懐かしい模様ガラスになっている。昔の実家にあった。子供の頃を思い出す。
そんなノスタルジーを感じていると、鍋焼きうどんが出来上がっていた。
海老の天ぷらがのっている。ナルト、しいたけ、かまぼこ、ネギ。ネギは大きく切ってある。小松菜。そこに生卵が落としてある。まるで、親戚の家で出された一品みたいだ。汁をすする。熱い。つゆ、やや濃い。のぞむところだ。天ぷらをかじる。コロモが家っぽい。いや、家っぽくもない。サクサク、ではない。固め。噛むとボリンとしている。揚げたてではない。揚げ置きなのか。上等上等。
出されたなべ焼きうどんは、一流店が出すようなものでも、グルメリポーターが絶賛するようなものではなく、ごくごく素朴なものらしい。それなのに、湯気がたつ汁をうまそうにすすり、海老天を満足げにほおばる久住氏の姿が読者の目に浮かんでくるのはなぜなのか。
なべ焼きうどんのお供に常温の正一合瓶酒を頼むと、久住氏はますますうまそうに食べすすめる。
ガラスの一合瓶から、安いお猪口に酒を注ぐ。
それをついっとあおると、冷たくない酒が、するりと唇から滑り込む。
ナルトをつゆに浸して口に入れ、後から酒を追っかける。
そして、まだ熱いうどんをたぐる。お猪口の酒をひと口。
君よ、ほかになにが欲しいというのだ。
どこか懐かしい店の雰囲気のためか、ビールでご機嫌になったためか、それとも思いがけず味わい深いなべ焼きうどんのためか。
ひなびたジャケットに気圧されながらも踏み入れた先で出会った、得も言われぬ満足感。そんな「予期せぬ」食事に、また、時に優しく時にくせが強い(笑)、店主や常連さんに出会えるところに、「面(ジャケ)食い」の真髄はあるのかもしれない。
写真・文/ふじさわ りさ
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