外交機密費は、戦前のほうが適正に管理されていた? あのリットン調査団もお世話になった『機密費外交』

辻田真佐憲 作家・近現代史研究者

『機密費外交 なぜ日中戦争は避けられなかったのか』講談社現代新書
井上寿一 /著

 

会見用シャンパン代、210.51円。接待煙草代、43円。料亭代、314.70銀弗――。

 

満洲事変の調査のため、1932年に東アジアにやってきたリットン調査団にたいして、日本側が行なった饗応の支出記録である。現在の貨幣価値に換算すると、シャンパン代は約38万円、煙草代は約8万円、料亭代は約37万円になる(本書の換算式による)。

 

在外公館別の支出で見ると、新京総領事館は61.90円、奉天総領事館は162.80円。少しでも日本の印象をよくするため、接待攻勢が行われていたことがわかる。そのほか、調査団に提供する「排日写真代」として1.50円、警備にあたった警察官を慰労する寿司代として48円なども計上されている。これらはすべて外交機密費で賄われた。

 

戦前日本の外交機密費は、領収書の貼付やメモ書きなどで支出がしっかり管理・記録されていた。そのため、以上のような詳細がわかるのである。

 

その内容はじつに興味深い。たとえば、官官接待。在外公館が、陸軍の軍人を料亭などで饗応しているのだ。役人が税金で飲み食いとは。だが、これは適切だったと著者はいう。帝国日本では、陸軍と海軍、外務省と軍部、中央と現地などがたびたび衝突や不和を起こしていた。そのため、融和や調整を図る官官接待は必要経費の範囲だった。

 

こうした外交機密費の使い道は、日中関係に大きく左右された。満洲事変時にはインテリジェンス(諜報)が、停戦協定成立後には接待が、そして関係改善期には広報が、それぞれ重視された。国内外のメディアはこの広報費に与っている。もっともではあるものの、それが資料で裏付けられているのが面白い。

 

では、1937年の日中戦争以降はどうなったのか。また1941年の太平洋戦争は。とても気になるところだが、残念ながらそれについて記述はない。敗戦時に、関係書類が焼却されてしまったからだ。満洲事変期のものは、奇跡的に残存していたにすぎない。

 

まことに痛恨の極みである。だが、それはただちに今日に跳ね返ってくる。現代日本の官房機密費は、使途の公表や領収書の提出義務もなく、戦前より管理・記録が疎かではないか、と。地味な領収書の束が教えてくれることは多い。この点だけは、せめて戦前に回帰したほうがいいのかもしれない。

 

『機密費外交 なぜ日中戦争は避けられなかったのか』講談社現代新書
井上寿一 /著

この記事を書いた人

辻田真佐憲

-tsujita-masanori-

作家・近現代史研究者

1984 年大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。2012年より文筆専業となり、政治と文化芸術の関係を中心に、広く執筆活動を続けている。単著に『文部省の研究』(文春新書)、『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(以上、幻冬舎新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、『愛国とレコード』(えにし書房)などがある。また監修に『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌 これが軍歌だ! 』(キングレコード)、『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)などがある。

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を