2018/12/14
坂爪真吾 NPO法人風テラス理事長
『全国マン・チン分布考』インターナショナル新書
松本修/著
2018年10月、私は『パパ活の社会学』(光文社新書)というタイトルの新書を刊行した。
若い女性が、年上の男性(パパ)から金銭的援助を受ける見返りとして、デートや食事に応じることを意味する「パパ活」。
この言葉は、男性から金銭的援助を受けたいが、援助交際というネガティブな言葉でくくられたくない女性たちの自己弁護として、そして出会い系のマッチングアプリや交際クラブのアフィリエイト(成果報酬型広告)で稼ぐために、援助交際という言葉を使わずに宣伝したい人たちに使われたことで、短期間の間に爆発的に広がった。
しかし、今度はパパ活という言葉自体が、かつての援助交際と同じ意味で用いられるようになった。「パパ活=児童買春・性暴力被害の温床」といった切り口での報道が繰り返され、現在では「パパ活=援助交際」というイメージが定着しつつある。
歴史を振り返れば、そもそも「援助交際(=金銭的援助ありの交際関係)」や「売春(=春をひさぐ)」という言葉自体、金銭を介した性行為をうまくオブラートに包んで言い換えた言葉だった。負のイメージの連鎖を断ち切るために生み出された言葉が、結局は負のイメージを継承する言葉になってしまう、というジレンマ。
このジレンマを、空前絶後の壮大なスケールと膨大な資料調査によって描き出したのが、言語地理学の視点から女陰・男根の語源を調べた本書『全国マン・チン分布考』である。
現在、女性器を意味する「おまんこ」という言葉は、卑猥な言葉として放送禁止用語になっている。口に出すこと、文字にすること自体が恥ずかしい、という人も多いだろう。
しかし本書によれば、「おまんこ」の語源はお菓子の「饅頭(まんじゅう)」であるという。中世室町において最高級の贅沢品であった饅頭を表す言葉として、御所で天皇に仕える女房達の言葉(女房詞)として使われてきた「マン」が、いつしか女児の性器を表す言葉になり、そこに上品さと親愛さを増すために語頭に「オ」、語尾に「コ」がつけられた。
「おまんこ」という言葉自体が、女性たちの世界で生み出され、女性たちによって使われてきた言葉であった可能性を本書は示唆している。女陰の語源の歴史は、「女性の陰部が愛らしく、かわいらしく、いとおしいものであることを主張し続けてきた歴史であることが分かった」と著者は述べている。
しかし、そうした歴史があるにもかかわらず、現在「おまんこ」は人前で口に出すことすらはばかられる言葉になっている。女性の・女性による・女性のための言葉というイメージも一切無い。公の場で女性器について語ることをタブー化する近代社会の斥力の前に、「おまんこ」は完全に敗北したのだ。
平成の世も終わりに近づいているにもかかわらず、女性器には未だに公の場で使える日本語の通称が存在しない。私たちはこれまでも、そしてこれからも、ぎこちない英語(プライベートゾーン)や仰々しいラテン語(ヴァギナ)、あるいは堅苦しい医学用語を使って、間接的・学術的に女性器を語るしかないのだろう。
そう考えると、本書は「敗軍の将」ならぬ「敗軍のマン」による、三百年を超えた壮大な敗戦記だと言える。敗戦記でありながら、いや、敗戦記であるからこそ、本書全体には語り部である著者の人柄が伝わってくる心温まるエピソードと笑いに満ちた一冊になっている。
読者は、女陰や男根の語源を巡る創世神話、幾多の歴史上の英傑や碩学、そして名もなき市井の人々が織り成す叙情詩として、本書を堪能することができるだろう。著者のような語り部によって、満腔の熱意で語り継いでもらえるのならば、近代化の波に呑まれて消えてしまった「敗軍のマン」たちも、きっと浮かばれるに違いない。
『全国マン・チン分布考』インターナショナル新書
松本修/著