2019/04/15
ブレイディみかこ ライター・コラムニスト
『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』光文社
ジェームズ・ブラッドワース/著 濱野大道/訳
冒頭からあとがきまで、ジャック・ロンドンの『どん底の人びと ロンドン1902』を髣髴とさせた。百年以上も後に書かれた本がどうしてこれほど「どん底」なのかと思え、読んでいると気分が悪くなった。ありありと現場の情景が浮かぶからだ。
大げさじゃなく、ほんとうにアマゾンの章では吐きそうになった。
日本のブラック企業も真っ青という英国の地方の労働現場(アマゾンの倉庫、介護、コールセンター、ウーバー)に潜入したジャーナリストの迫真のルポだ。
著者も23歳になるまで最賃(最低賃金)に近い仕事を転々とし、大学に入り、大学院まで進んだ。そしてフリーのジャーナリストになったいま、社会の最下層に潜入して英国に何が起きているのかを探ろうとする。
この取材の動機やスタンスも、20世紀初頭のジャック・ロンドンとよく似ている。
そして「実際に底辺階級に身を置いてみること」が自らの精神状態や行動にどのような変化をもたらすかを記録しているところもそっくりだ。
著者は執筆の動機をこうサマライズする。
「『緊縮財政』や『貧困者』についての血が通っていない大げさな学術書を書くようなことは避けたかった。そんな本はすでに世のなかにたくさんある。代わりに望んだのは、少なくとも自分でその苦労の一部を体験することだった」
一日の歩行距離が最長で23kmにもなり、満足に休憩も与えられない重労働をしているのに、なぜかアマゾンの倉庫で働き始めてから体重が増えていることに著者は気づく。
ブラック職場で長時間働いて狭い部屋に帰れば、家に帰ってキッチンでブロッコリーを茹でようなんて気にはならないこと、テレビの中で高価な食材で作られた健康的な料理を称賛している美食家たちを地獄に送ってやりたい気分になることを知る。
下層階級は太っている。下層階級は不健康だ。下層階級は物を考えない。
そう彼自身がリベラルで知的な仲間たちとふつうに語り合っていたことは、下層階級の人々の道徳性や人間性に起因するわけではなく、彼らの労働環境に起因していたことを著者は身をもって知る。いつしか彼はタバコも吸い始めていた。チョコレートバーや強めの紅茶やタバコは、一時的に肉体と精神を高揚させ、労働を続けさせる気付け薬だった。
最賃の職場は移民の職場でもあった。アマゾンの倉庫でルーマニア人たちと共に働いた著者は、ルーマニア人たちにとって英国人は2種類しかいないことを知った。著者の言葉を借りれば、「ルーマニア人が母国に帰ることを望む人々」と「リベラル系の新聞社に手紙を送り、ルーマニア人がいかにすばらしく勤勉であるかを色とりどりの言葉で誇張する人々」だ。
その移民たちと、より低い報酬、よりひどい待遇をめぐって「底辺への競争」を繰り広げる労働者たちは、21世紀の世界では「有害な戯画」か「崇拝される聖人」のどちらかにカテゴライズされる。著者はブレグジット・ブリテンが労働者をどう忌避し、同時に利用してきたかをこう書く。彼の言葉は百年以上前のジャック・ロンドンと同じ怒りと辛辣な皮肉に満ちている。
「生まれながらに外国人を嫌悪し、学者の理論を理解しようとしない労働者は、あたかも現代のリベラル派をとことん失望させるために存在しているかのように見える。対照的に、現代の保守派は反対の結論にたどり着いた。ビールを浴びるように飲む労働者階級の男という人物像――妻を殴りつけ、外国のあらゆるものに対して憎しみを大声で叫ぶフーリガン――こそ、民主的で健全なすべての物事の真の代表者だと祭り上げたのである」
『HIRED』という原題のこの本は、英国では保守派にも左派にも大きな衝撃を与えた。
ダグラス・マレーの『西洋の自死』を読んで英国の混乱の原因がわかった気になっている人は、ほんとうに、心から、この本を読んで欲しい。そして知って欲しい。
動乱の震源地には、ここに書かれている下部構造があるということを。
そして渾身の体験取材のあとに著者が淡々と書きつけた言葉を、いまこそ左派は噛みしめるべきだ。
「左派が『社会主義』という言葉を取り巻くロマンティックで曖昧な部分――スローガン、仰々しい演説、革命の気配――に執着せず、もっと退屈な事柄にもう少しだけ興味を抱くことができたら、スティーブンが説明したような劣悪な仕事場ははるかに少なくなるにちがいない」
『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した』光文社
ジェームズ・ブラッドワース/著 濱野大道/訳