akane
2019/01/24
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2019/01/24
2011年1月から「週刊ポスト」(小学館)で、僕の『噺家のはなし』という連載コラムが始まった。内容は例によってお勧め落語家ガイドで、南伸坊さんが落語家の似顔絵を描いてくれたのだが、その連載5回目にして早くも僕は一之輔を取り上げ、「既に『人気真打』を思わせる風格がある」「『未来の大看板』と呼ぶに相応しい器の持ち主」と書いた。
当時、落語家ガイドを書くに当たって、僕の中で「白酒・三三・一之輔」は同じような位置づけにあった。と言っても白酒は2005年、三三は2006年に真打になっていて、2004年に二ツ目になった一之輔とのキャリアの開きは大きい。それを一括りにするというのは、例えて言うなら1900年生まれの六代目三遊亭圓生、1902年生まれの三代目桂三木助と1915年生まれの五代目柳家小さんを「昭和の名人」として一括りにする感覚に近い。
当時の一之輔は、いわば「スーパー二ツ目」とでも言うべき存在だった。2011年には「もう一之輔は真打でいいんじゃないのか」という空気が落語ファンの間で広がっていた。
だが落語協会では2010年6月に柳家小三治が会長に就任して以来、まだ新真打は1人も作られていなかった。香盤では一之輔の上に21人もの「待機組」の二ツ目がいる。当分の間、一之輔は「スーパー二ツ目」であり続けるのだろう……そう思っていた。
だが驚くことに、2011年9月15日付で落語協会より「2012年春に春風亭一之輔が単独で真打昇進」との発表があり、協会のホームページには小三治会長が一之輔を横に置いて「新真打推薦の弁」を述べる動画がアップされた。単独での真打昇進は2003年秋の古今亭菊之丞以来。一之輔は21人抜きの大抜擢ということになる。
通常、真打内定は披露目の1年前で、一之輔の「半年前」というのは異例のことだが、この決定は大英断だった。「21人抜きの大抜擢」にはニュースバリューがあったし、なんといっても「小三治のお墨付き」である。落語界を活性化させるには絶好の話題となったのは間違いない。
都内の寄席5軒での一之輔の真打披露興行は、2012年3月下席の上野鈴本演芸場(夜の部)を皮切りに、4月上席新宿末廣亭(夜の部)、4月中席浅草演芸ホール(昼の部)、4月下席池袋演芸場昼の部、5月中席国立演芸場(昼興行/18日のみ昼夜)と、50日間行なわれた。披露目での一之輔の全演目は以下のとおり。
<上野鈴本演芸場>
3/21『粗忽の釘』
3/22『百川』
3/23『薮入り』
3/24『茶の湯』
3/25『明烏』
3/26『花見の仇討』
3/27『子は鎹』
3/28『あくび指南』
3/29『不動坊』
3/30『長屋の花見』
<新宿末廣亭>
4/1『竹の水仙』
4/2『あくび指南』
4/3『らくだ』
4/4『百川』
4/5『初天神』
4/6『雛鍔』
4/7『花見の仇討』
4/8『子は鎹』
4/9『くしゃみ講釈』
4/10『茶の湯』
<浅草演芸ホール>
4/11『長屋の花見』
4/12『短命』
4/13『鈴ヶ森』
4/14『粗忽の釘』
4/15『百川』
4/16『蛙茶番』
4/17『代脈』
4/18『あくび指南』
4/19『茶の湯』
4/20『初天神』
<池袋演芸場>
4/21『明烏』
4/22『不動坊』
4/23『子は鎹』
4/24『青菜』
4/25『短命』
4/26『百川』
4/27『大山詣り』
4/28『らくだ』
4/29『茶の湯』
4/30『粗忽の釘』
<国立演芸場>
5/11『初天神』
5/12『鰻の幇間』
5/13『青菜』
5/14『子は鎹』
5/15『明烏』
5/16『薮入り』
5/17『茶の湯』
5/18(昼)『へっつい幽霊』
5/18(夜)『らくだ』
5/19『五人廻し』
5/20『粗忽の釘』
大初日と大千秋楽は十八番の『粗忽の釘』。大初日に『粗忽の釘』を演ると決めたのは当日の仲入り前、大千秋楽は「大初日と同じ噺を」と予め決めていたそうだ。
(この項続く)
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