2019/11/13
長江貴士 元書店員
『ABC予想入門』PHP研究所
黒川重信・小山信也/著
まず先に書いておかなければならないことがある。僕は本書の内容のほとんどを理解することが出来なかったということだ。これまで数学に関する一般書は結構読んできたが、これほど難解で、何が書いてあるのか分からない本も久しぶりだった。とにかく、それぐらいこの「abc予想」というのは難しいのだ。
僕が「abc予想」の存在を知ったのは、2017年だったと思う。ある時ネット上で、「宇宙際タイヒミュラー理論」という謎めいた単語が大いに話題になっていたのだ。
何だろうと調べてみると、この理論は、2012年に京都大学の望月新一教授が発表したものであり、この「宇宙際タイヒミュラー理論」によって「abc予想」が証明されたのではないか、とネット上で大いに盛り上がっていたのだ。
しかし、2012年に発表された理論が何故2017年に話題になっていたのか。そこには、数学や科学理論につきまとう検証の難しさがある。
数学や科学において、発表された理論は当然、その時点で正しいと認められるわけではない。発表された理論を、当人以外の数学者や科学者が検証し、そこで正しいと認められてようやく理論として受け入れられるのだ。
この「宇宙際タイヒミュラー理論」は、望月教授自身のHP上で発表されたらしいが、そこから5年間検証が続けられ(これは、検証の期間としては相当長い印象がある)、ようやく「正しいっぽいぞ」ということが分かってきたということだ(どうやらまだ、確定はしていないようだが)。
「abc予想」は、数論と呼ばれる数学の分野においても相当重要な予想であるようだが、「宇宙際タイヒミュラー理論」によって「abc予想」が証明されたかどうか、ということ以上に、この理論そのものが今後の数学界において革新的な意味を持つだろう、と捉えられているようだ。
「宇宙際タイヒミュラー理論」についてネットで調べると、大抵「独創的」という言葉で表現されている。それぐらい、これまでの考え方にはなかった、斬新で革命的な理論であるらしい。
とはいえ、この「宇宙際タイヒミュラー理論」は、2012年に発表された当時は、世界中でも数人しか理解できない、と言われていたようだ。
世界中に数多いる天才と呼ばれる数学者たちの中でも、数人しか理解できないと言わしめるほどの難解な理論だが、望月教授の弟子らが熱心に普及活動を続け、少しずつ理解できる人が増えてきているのだという。
しかし、そんな理論を打ち出し、しかもどうやら正しいっぽいと認められつつある望月教授って、どんだけ天才なんだよ、と思うのであった。
さて、「宇宙際タイヒミュラー理論」や「abc予想」について調べている中で、面白い記述を見つけた。それは、「abc予想が証明されれば、フェルマーの最終定理は10行程度で証明できる」というものだ。
「フェルマーの最終定理」というのは、恐らく世界で最も有名な予想(現在は解決済み)だろう。1600年代にアマチュア数学者として活躍したフェルマー(本業は法律家)が遺したもので、数百年間未解決だった超難問だが、1995年にイギリスの数学者・ワイルズが完全に証明し、世界的な話題となった。
ワイルズは、子どもの頃に「フェルマーの最終定理」と出会い、これを解決するために数学者になったという人物であり、7年間たった一人で研究を続け、その証明は100ページ以上に及んだ。
そんな「フェルマーの最終定理」が10行程度で証明できるというのだ。その証明をネットで読んだが、僕でも理解できる程度の非常にシンプルなものだった。それを読んで、「望月教授の論文が発表される前に証明できて良かったね、ワイルズ」と感じた。
しかし本書を読んで、実はその理解は間違っているのだと知った。というのは、「abc予想」として捉えられているものは実は複数存在し、「フェルマーの最終定理」を導き出す「abc予想」と、望月教授が証明したと主張する「abc予想」は別物なのだ。その話は後ほどしよう。
さて、そんなわけで、ようやく「abc予想」そのものの話をしようと思う。ここから数式を出さざるを得ないのだが、なんとか頑張ってついてきて欲しい。
まず、本書の中で【「abc予想」(☆)】と表現されているものから書こう。これは、「望月教授が証明したと主張するabc予想とは違うが、たぶん正しいだろうと信じられているabc予想」だ。なんだそりゃ、って感じだが、とにかくまずこの話をする。
【「abc予想」(☆)】はこうなる。
『a,b,cを互いに素な整数でa+b=cを満たすものとすると、
max{|a|,|b|,|c|}<(rad(abc))^2
が成立する』
数式の意味は後でするが、まずは表記から。「(rad(abc))^2」というのは、「rad(abc)の2乗」という意味である。
一つずつ行こう。
まず「互いに素な整数」から。これは、「a,b,cに共通の約数が存在しない」ぐらいの意味だ。例えば、「2,4,6」という3つの数字は、2という共通の約数があるので「互いに素」ではない。これを2で割った「1,2,3」という3つの数字は「互いに素」だ。共通の約数を持たない3つの数字を選ぼう、ということである。
次は【max{|a|,|b|,|c|}】だ。これは日本語で書くと、「a,b,cの中で、絶対値が一番大きなもの」となる。「絶対値」というのは、「マイナスの数もプラスの数として考える」ぐらいに思ってもらえればいいだろう。例えば、「a=3,b=-25(※見にくいですが、「マイナス25」です),c=-22(※マイナス22)」とすると、数字として一番大きいのは「3」だが、絶対値というのはマイナスをプラスの数字だと思って考えるので、このa,b,cにおいて【max{|a|,|b|,|c|}】を考えると、25ということになる。
最後に【rad(abc)】だ。これはちょっと説明しにくいが、「rad」というのが「a,b,cの素因子の積」ということになる。
具体例で説明しよう。
「a=8,b=6,c=15」とする(今説明のために、a+b=cという条件は無視している)。それぞれ因数分解すると、「8=2×2×2」、「6=2×3」、「15=3×5」となる。つまり、この三つの数a,b,cに使われている「素因子」は、「2」「3」「5」ということだ(因数分解して出てくる数字が「2」「3」「5」だけということ)。なので、これら三つの数を掛け算して(2×3×5)、rad(abc)=30となる。
もう一つ、別の例を。
「a=30,b=14,c=1」としよう。これも素因数分解すると、「30=2×3×5」、「14=2×7」なので、「素因子」は「2」「3」「5」「7」。よって掛け合わせると、rad(abc)は210となる。
実際には右辺は「rad(abc)」を2乗するので、先程挙げた例ではそれぞれ、30の2乗で900、210の2乗で44100となる。
とりあえずこれで、
『a,b,cを互いに素な整数でa+b=cを満たすものとすると、
max{|a|,|b|,|c|}<(rad(abc))^2
が成立する』
の意味は理解できるのではないかと思う。
とはいえ、望月教授はこの【「abc予想」(☆)】を証明したわけではないのだ。
では望月教授が証明したとする「abc予想」(ここでは【「abc予想」(望月)】と表記することにしよう)とはなんなのか。
【「abc予想」(望月)】
『任意のε>0に対して、ある正の定数K(ε)≧1が存在して、次を満たす:
a,b,cを互いに素な整数でa+b=cを満たすならば、不等式、
max{|a|,|b|,|c|}< K(ε) (rad(abc))^(1+ε)
が成立する』
この式の意味は理解できなくて構わない(僕もちゃんと説明できるほどには理解できていない)。ただ一つだけ確認して欲しいことがある。【「abc予想」(望月)】において、「K(ε)=1、ε=1」とすると、【「abc予想」(☆)】になる、ということだ。
「abc予想が証明されればフェルマーの最終定理が10行で証明できる」という時の「abc予想」というのは【「abc予想」(☆)】のことだ。しかし、【「abc予想」(望月)】が仮に証明されたとしても、それによって【「abc予想」(☆)】も証明される、ということにはならない。何故なら望月教授は論文の中で、「ε=1の時にK(ε)=1となる(A)」ことを示していないからだ。(A)が示されているのであれば、【「abc予想」(望月)】の証明と同時に【「abc予想」(☆)】が証明されたことにもなり、「フェルマーの最終定理」の証明が10行で与えられるということになるのだが、(A)が示されていないのでそうはならない、というわけである。
「abc予想」も「フェルマーの最終定理」と同様、予想の内容そのものを理解するだけならそこまで難しくはない(【「abc予想」(望月)】はちょっと難しいが、【「abc予想」(☆)】なら理解可能だろう)。しかし、「フェルマーの最終定理」を証明するのに、「志村=谷山予想」や「楕円関数」、「保型形式」「岩澤理論」などの難解な数学を必要としたように、「abc予想」も「宇宙際タイヒミュラー理論」という超絶難解な数学を必要とした。今後の数学において重要な役割を持つだろうと期待されているこの「宇宙際タイヒミュラー理論」を、一般人にも概略が理解できる形で説明してくれる「宇宙と宇宙をつなぐ数学」(KADOKAWA)という素晴らしい本が出ているので、是非読んでみてほしい。
『ABC予想入門』PHP研究所
黒川重信・小山信也/著