2020/01/03
藤代冥砂 写真家・作家
『魂問答』光文社
清原和博、鈴木泰堂/著
清原和博さんとは同い年なので、高校生の頃から、勝手な親近感を持っている。自分が生きた時代を振り返る時、同い年の有名人を定規の目盛りのようにして、あの時はこうだった、あの時はああだったと懐かしむことがあると思う。私にとって清原和博さんは、そんな存在だった。
清原さん自身が、選手としてのピークだったかもしれないと述懐する高校野球時代には、自分世代の象徴的存在として、憧れ以上の輝きを放っていた。スター性という言葉そのもので、彼がホームランを打つたびに、勇気のような、励ましのようなものを勝手に感じていた。
だが、自分が成長し、社会に出て、やるべきことに熱中し始めると、時代のヒーローすら視界から遠のいてしまうことは、よくあることだろう。
彼が覚醒剤で捕まった時のショックは、それほど大きくはなかった。そういうこともあるのだろう、とニュースのひとつでしかなかった。
逮捕後からこれまでのことを、信頼する僧侶である鈴木泰堂さんへ存分に語り尽くした本書を読み終えた今、まるで自分が故郷に帰省した時に、友人伝手で聞いた別の友人の噂話のような親近感を覚えた。
「あいつ、実はこんなことがあって、今はこんな感じで頑張ってるんだよ。」
「へえ、そうか、大変だったな、こんど一緒に飲もうか」
そんなやりとりをした後で、でも連絡先知らないな、となる感じである。
そういう話になると、もしかしたらあの友人に起こったことを、自分も経験していたかもしれないと、妙に生々しく感じることも多い。
なので、私がこの本から受ける感想は、一般的ではないと思うが、それを承知で続けるなら、清原和博さんには、やはりホームランを打って欲しいと願うのだ。もちろん、野球のホームランという意味ではなく、何をこれからするにしても、あの右方向への綺麗なアーチを、彼が興味を持つ新しい世界で架けてほしいと願うのだ。
この本を読めば、覚醒剤にのめり込んでいく状況や、それを克服する辛さ、孤独、死にたいほどの苦しみ、そしてそれを少しずつ乗り越えていく姿を知ることで、清原和博さんの現在を知るだけでなく、彼自身の人間像をも感じることができるだろう。
だが、それらを知った時に、読者が手にするのは、覚醒剤の恐ろしさへの知識ではなくて、苦しさから立ち上がることの尊さではないだろうか。
私が、清原和博さんに願うホームランは、その尊さへのエールなのだと思う。
罪は罪として罰せられるのは当然だろう。だが、罪を犯してしまった人が立ち直ろうと努力する姿勢と未来は、誰にも罰することができない。
また、清原和博さんと、その心の依どこである鈴木泰堂さんとの対話の中に、私は人は会話によって救われるという思いも得た。
『魂問答』光文社
清原和博、鈴木泰堂/著