2021/03/01
吉村博光 HONZレビュアー
『競馬の“言葉力”』KADOKAWA
関口隆哉、宮崎聡史/著
私が競馬に出会ったのは、小学校一年生のときだ。父親に手を引かれて中山競馬場に行った。最初に連れていかれたのはパドックだった。目前にレースをひかえた馬たちが整然と並んで歩いている。その美しさに感動を覚えた。
それから45年。競馬は私の血肉になった。コロナ禍の影響で競馬場に行けない最近は、栄養不良気味になり、実際に貧血で卒倒しそうになったほどだ。それでも中山金杯だけは静かなスタンドで馬たちの走りを見届けたが、家族からは白い目を向けられた。
自宅兼事務所となっているこの部屋で、馬券など買って何が楽しいものか。私は「禁酒」ならぬ「禁馬券」の願掛けをはじめた。コロナが収束して競馬場に行ける日が一日も早く訪れることを願ってのものだ。それまでは、茫然と競馬中継を眺めると決めた。
本と競馬が大好きな私は競馬関係の本をたくさん読んできた。ディックフランシスを読むようになったのは最近だが小説や、寺山修司や山口瞳のエッセイ。血統の本も読んだし、騎手や調教師などの競馬関係者の本なども読んできた。馬券をやめても、本は読む。
競走馬が飼い葉を頬張るように、いやもっと平易にいえば「砂漠に水がしみこんでいくように」それらの本に踊る活字は私の身体に染み入りドクドクと流れていく。いずれ私は、競馬の本の書評家として競馬文化興隆のために働きたい、とすら願っているほどである。
本書には、私と生まれ年が同じ米国競馬史上最強馬セクレタリアトがベルモントステークスを勝った際のレース実況もあれば、ディープインパクトが皐月賞を勝った後の「走っていると言うよりも飛んでいる感じ」という武豊のコメントも収録されている。
それらの言葉は全くもって私の人生そのもので、どのページを開いても、血がたぎるのを抑えきれなかった。
共同馬主の趣味をもつ私は、募集馬の5代血統表を眺めるのが最大の楽しみの一つだ。本書を読むと、関係者の言葉を通じて、血統表に名を連ねる過去の名馬たちの個性を感じることができる。これでまた一層、趣味は深まることだろう。
馬券をやめても、馬主は続ける。コロナ禍を経て私は、馬券を買わずに競馬を楽しむ領域に達しようとしている。形を変えても、競馬界への預金は続けているのだ。今後も、愛する競馬のために私にできることをやっていきたいと思っている。
そんな私だが、本書を読んで一つだけ強烈に寂しいと感じた点があった。それは、かつては当世一流の文化人が競馬サークルに多数出入りしていたという事実だ。彼らは競馬の楽しみを美しい言葉で表現しただけでなく、功成り名を遂げた馬主だった。
いまや彼らに変わって馬主になっているのは、毀誉褒貶の激しい実業家諸氏である。あるいは私のような輩が属するクラブ法人か零細馬主だ。作家として成功しても馬主になるほどの財は成せない、ということもその大きな理由だろう。
それが私は寂しいのだ。最終レースの馬券を買い、泣いても笑っても今日はこれが最後、という気持ちでスタンドからターフや暮れなずむ空を眺めるあの気分。ペンで身を立てることが華やかだった時代は、もう来ないのか。
作家吉屋信子が「あれはダービーを勝つために生まれてきた幻の馬だ」といったトキノミノルのオーナーは、映画製作会社大映の社長・永田雅一だった。「トキノ」は永田の恩師・菊池寛が生前に使っていた冠号である。
この10戦10勝の名馬トキノミノルは、ダービー制覇の数週間後にこの世を去った。「ダービー馬のオーナーになることは一国の宰相になることよりも難しい」というのは、最も広く知られている競馬の名言かもしれないが、その背景にも本書は触れている。
競馬に関する言葉を列挙するだけでなく、その背景に迫っているのも本書の読みどころだ。競馬の神様大川慶次郎がオグリキャップのラストランとなった有馬記念のゴール前に「ライアン、ライアン」と叫んだのは有名だが、その理由はご存知だろうか。
サラブレッドは言葉を持たない。だからこそその「走りそのもの」が、ヘミングウェイや寺山修司をはじめとした言葉の紡ぎ手の想像すらも超えて、大きな光を放つ。その光にあてられた者たちが残した言葉の数々を堪能できる、本書との出会いを逃してはならない。
『競馬の“言葉力”』KADOKAWA
関口隆哉、宮崎聡史/著