2021/03/17
藤代冥砂 写真家・作家
『宇宙に行きことは地球を知ること』光文社新書
野口聡一 矢野顕子/著
もし、宇宙飛行士になれたら、やはり地球を宇宙から眺めてみたいと、私は思うだろう。
もはや世界的な名宇宙飛行士と言っていいはずの野口聡一さん。そして音楽家の矢野顕子さんとの、宇宙への愛情たっぷりな対談を読み耽りながら、そう思った。
人類で初めて地球を眺めたガガーリンさんの「地球は青かった」の感動を、味わってみたいという思いは、多くの人が抱くだろう。
だが、その思いは夢で終わらず、間もなく一般人でも実現可能な雰囲気になってきている。少なくともビリオネア達にとっては地上の享楽の果ての最後の選択肢になりそうだ。
NASAがスペースシャトル開発を手放し、民間へ宇宙旅行の夢を譲って十年が過ぎ、イーロン・マスクさんのスペースXが古参のボーイング社を差し置いて、宇宙ステーションへスペースシップを飛ばしてしまう時代にいつの間にかなっている。すでに民間機が宇宙に堂々と行き来しているのだ。
まさに今、地球の青さを体験できる時代が間近に迫っているのだが、この対談の中で、野口さんから語られる宇宙空間でのリアルなエピソードにいちいち感動しているうちに、「地球を宇宙空間から眺めてみたい」という昂りが静かに冷めていくのも感じた。
世界一古いSF小説である竹取物語の中の、かぐや姫を見送る人たちでいいや、という気持ちが芽生えたのだ。
どういうことかと言うと、野口さんが語るリアルなエピソードを読むごとに、なんとなく満腹になってしまったのだ。というか、すでに行った気になるほどに、その印象が強烈に感じられた。
地球の青さに、宇宙を司る大きな存在を感じる、といった宇宙飛行士たちの感想は有名で、目を閉じればまさにそんな気にもなるだろうと予測がつく。
だが、実際の宇宙はそんなロマンに駆り立てられて陶酔できる場面ばかりではない。野口さんはあくまで仕事として派遣されたのであって、宇宙ステーションではかなり多忙らしい。
まあ、多忙なのは仕方がないとして、人間が生存できない環境であるデスゾーンとしての宇宙を、野口さんはさまざまなエピソードを介して紹介してくれるのだが、そのどれもが、背中がひんやりとするような、不吉感が伴う。まさに死と背中合わせのような環境にいることが、生々しく伝わってくる。
例えば、45分ごとに入れ替わる昼と夜の存在だ。それは夕日を眺めてしみじみと感動するというわけにはいかず、突然闇に襲われる感じらしい。
船外活動においては、昼と夜の気温差260度に晒されながら、小さな地球環境である宇宙服によって辛うじて生きながらえている状態で任務を全うする。宇宙ゴミの衝突や何かに服をひっかけて穴でも空いたら、そこにはすぐに死が迫るのだ。
つまり、宇宙に行くことは、死をリアルに意識しに行くことでもあって、船窓から青い地球を眺めてロマンに浸ってばかりはいられないことが野口さんの話によってよく分かる。
夜の船外活動中においては、闇と無重力によって、自分の四肢の状態さえ把握できなくなるという。肘が曲がってるのかさえ、よく分からなくなるというのは、いったいどういう感覚なのだろうか。おそらくそれは、魂だけになって、肉体を失って、広大な闇の中に浮かんでいるようなものだろう。
この状態は、おそらく最も「死後」に近い感じではないだろうか、と私は想像してしまった。幽体離脱とでも言えば近いのだろうか。
また、船外で地球を足元に見るときは、地球に落っこちて行きそうで、最初のうちは手すりを握ってしまうそうだ。もちろん無重力空間なので、地球に落下するというのは妄想に過ぎない。地球上にいる時の感覚が残っているうちは、何度でも手すりを握ってしまう。
こういったエピソードを読み進めるうちに、地上の自宅のソファで、ゆったりと宇宙空間にいる妄想に耽るくらいでいいかなあと、思い始めてしまった。どうせ死んで肉体を離れたら、きっと月にでも飛んでいけるんだろうし、地球の青さはその時に楽しめるな、などとさえ思うのだった。
本書のタイトルは、「宇宙に行くことは地球を知ること」だ。それは地球の青さを見つめながら、拡張された意識で、地球を知り直し、地球という生命体を未来へ引き渡していくという流れを表しているのだけれど、本流とはちょっと違うルートだが、結局地球の素晴らしさと居心地の良さを有り難く思うという同じゴールに私も辿り着いたようだ。
これまでいくつもの宇宙本を読んで、宇宙から地球を眺めてみたいと焦がれる情熱がその都度高まったが、この本ほど宇宙に出ることの実感を伝えてくれたものはなく、結果、かぐや姫を地上から見送る側に自分を転向させたあたり、リアル感は凄いはずだ。矢野さんとの軽い口当たりの対談だけに、その重さは際立つのである。
『宇宙に行きことは地球を知ること』光文社新書
野口聡一 矢野顕子/著