おもちさん、83歳。私にもどうやら「死」というものが近づいてきたらしい

横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店

『にぎやかな落日』光文社
朝倉かすみ/著

 

 

どんなに辛いことでも覚えてるほうがいいワ。ついさっきのこと、ついこないだのこと、忘れたことからして忘れるのは、大した気味が悪いよ

 

こう語るのは主人公のおもちさん、御年83歳です。
おもちさんというのはもちろん本名ではありません。おもちさんの本当の名前は「もち子」といいます。もち子って・・・少し変わった名前ですよね。
もち子さんは、本当は「まち子」という名前になるはずでした。しかし、父親が役場に届け出るときに「ま」と「も」を間違えて「もち子」と記入をしてしまったのです。
「まともじゃないね」とさらりとシャレをかますのが、鉄板のおもちスタイルになりました。
それに、卵が先かにわとりが先か――そもそもおもちさんは丸顔で、面白くないことがあるとプーッとほっぺたをふくらませる癖がありました。おもちに似た、もち子さん・・・
おもちさんという愛称がぴったんこな、もち子さんなのでありました。

 

また、おもちさん持ち前の明るさは、図らずしもみな笑いをさそい、和ませてしまいました。竹を割ったような性格で、寝たり、食べたりすれば嫌なことはけろっと忘れてしまうという特技アリ。人付き合いは多岐に渡りますがマメに帳面をつけ、かつおしゃれなおもちさんは、ムードメーカーでもあります。
それらは、おもちさんが「おばあちゃん」と言われる年齢になっても決して衰えることなく、むしろパワーアップをする勢いでますますきらりと光る魅力でありました。
だからこそ、ついついみんなは言ってしまうのです。
「おもちさん、だーい好き」って。

 

さて。時は流れ、日々も流れ。時計の針がちくたくと進むごとに、おもちさんにも「死」がひたひたと迫りくるような日々が訪れました。

 

まず、夫の勇さんに異変が起こりました。
おもちさんより一つ年上の彼は、若いころから口下手、職人気質で不器用な所がありましたが、おもちさんを見つめる瞳がやさしい男性でした。お見合いで一緒になった二人は、山あり谷あり幾度の危機を乗り越えながら、二人の子をなし夫婦二人三脚で、家族という小さな船を進めてきました。
友人との時間を存分に楽しんでいた勇さん。遊びにきた孫たちを嬉しそうに見つめていた勇さん。しかし、病が勇さんの身体を蝕んでいき、ついには介護が必要となり、おもちさんによる自宅介護生活がスタートしました。
そして、数年が経ったころ、おもちさんの手ではいよいよどうにもならなくなった勇さんは「特養」に入居することになりました。
閉ざされた二人の日々に、手を上げてしまったこともありました。暴言を吐いてしまったこともありました。でも。
おもちさんはやるせない思いがしました。今までの努力が全部無駄だったとみじめな気持ちがしました。勇さんを取り上げられた気もしました。
けれど、もう「限界」なのだと分かってもいたのです。

 

そうやって、おもちさんにとって初めての独り暮らしが否応なく始まりました。
おもちさんは、めげません。いや「めげる」ときもありました。一人で越すお正月のなんとさみしいことか。北海道の厳しい寒さが、うーんと、うーんと沁みました。
おもちさんをおもちさんたらしめる「明るさ」をもってしても、さびしさはそんなものひょいと乗り越えて懐に潜り込んできました。
しかししかし、おもちさんが培ってきた日々が、おもちさん自身を守ってくれるようもなったのです。

 

おもちさんの身を案じ、東京に住む長女が、朝夕と毎日電話をかけてきてくれるようになりました。お電話をくれるのはいつも決まった時間です。

 

「ごはん、食べた?」
「食べたよ。納豆サ。それとおトーフのおつゆ」

 

毎日のお電話ですから、大した話なんてしません。でも、娘との何気ない会話は、おもちさんの心をほかほかとあたためたことでしょう。
息子の奥さんの「トモちゃん」は義理の娘にも関わらず、病院や買い物に連れて行ってくれました。おそらく何度も聞いたであろうお話も、うんうんと頷きながら聞いてくれました。(途中で「この話前にもしたカナ?」と気づいても話し続けました)
優しく、気配りのできるトモちゃん。息子の一番の孝行はトモちゃんと結婚して孫の顔を見せてくれたことだと、おもちさんはしみじみと思うのです。(息子には内緒だけどネ)
ご近所さんとお茶を飲みつつおしゃべりをして。カラオケ会に、忘年会。月に一度はデパートへ。もちろん、勇さんのところへも行きますよ。
足取りは随分ゆっくりになりましたが、おもちさんの日々はさして変わらないように思えました。

 

けれど、勇さんが入居して二年が経ったころ。おもちさんも体調を崩し入退院を繰り返すようになりました。風邪をひいて、ほうほうの体で家の中を這っていたところをトモちゃんに発見され、命拾いしたこともありました。
それだって、日によって思い出せたり、思い出せなかったりするのです。

 

薄ぼんやりと靄がかかったような記憶のなか、思い出せることの方が少なくなってしまいました。でも、おもちさんには大切な思い出が、たくさんやどっていました。
勇さんや子どもたちと過ごした日々。生まれ家族との思い出。薄れゆく記憶のなかの、今だって。今この瞬間も。
楽しかったことも、辛かったことも、ぜんぶ、ぜんぶ。
すべてはおもちさんの中に変わらずあって、ときおりひょいと顔をのぞかせては、おもちさんの心をふくふくと満たすのです。

 

おもちさんの物語を読みながら、私は旅立った祖母と祖父のことを思い返していました。喧嘩ばかりして決して仲のよい夫婦でなかった二人。けれど、「またね」ってあいさつを交わした二人は照れくさそうに、手をつないで旅立って行ってしまいました。

 

二人のことを思い返すと、思いのほかたくさんの記憶が思い出されます。忘れていることもきっとあるでしょう。それでも有り余るほどのたくさんの記憶です。
悲しい気持ちになったこと、辛い思いを抱えたこともたくさんあるけれど、やっぱりみんなと過ごした日々は楽しいものだった。
うん、楽しい日々だった。

 

さまざまな形をした思い出をやわらかなヴェールに包むように、大切に胸のなかにしまっておきます。
またいつか、この中身を開けてともに語らい合いましょう。

 

また、いつか。
きっとね。

 

『にぎやかな落日』光文社
朝倉かすみ/著

この記事を書いた人

横田かおり

-yokota-kaori-

本の森セルバBRANCH岡山店

1986年、岡山県生まれの水がめ座。担当は文芸書、児童書、学習参考書。 本を開けば人々の声が聞こえる。知らない世界を垣間見れる。 本は友だち。人生の伴走者。 本がこの世界にあって、ほんとうによかった。1万円選書サービス「ブックカルテ」参画中です。本の声、きっとあなたに届けます。

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