暴かれた「人体」の恐るべき真実――中世の解剖学が切り開いた「生のはかなさ」

馬場紀衣 文筆家・ライター

『内臓の発見 西洋美術における身体とイメージ』筑摩書房 
小池寿子/著

 

 

中世後期、人体解剖術の拡がりとともに暴かれた人体の内部は人間精神に何をもたらしたのか。その答えを探るのが、本書である。生きた身体へ向けられた眼差しを、本書は多様な視点から解き明かそうとする。

 

西欧中世の医学は、12世紀に移入されたギリシア・ローマ医学を継承して発展していった。死体を不浄のものとする古代以来の見方は、解剖学への発展にも影響を与えることになる。古代医学移入以降のヨーロッパでは、解剖を担当するのは身分の低い者で、数世紀のあいだ解剖学者が自ら執刀することはなかったらしい。現代では、自分の死体を解剖学実習のために提供できる献体のシステムがあるが、当時、解剖される人体といえば罪人のものに限られていた。地獄行きの罪人の身体なら解体しても死後の道行きには関係ない、そんな思いがあったのだろう。処刑された死体は大学医学部の所有物だったのだ。

 

この時代、解剖の手順はしっかりと定められていた。まず「栄養に関わる部分(腹腔の内臓)」、次に「霊的・精神的部分(胸郭の内臓)」そして「魂をつかさどる生命的部分(頭蓋器官)」最後が「末端部分(手足)」。この順序は、感情をつかさどる魂は心臓に、神的で精神的な魂は頭部にあると考えたプラトンやアリストレス以来の魂の在りかたについての思想が色濃く反映されている。こうした4つの定式は、腐敗してゆく死体に配慮したものでもあったと著者は指摘する。

 

しかし、医学が進歩すれは死体の数が足りなくなってくる。そこで医学生たちは墓を荒らして死体を盗み出し、解剖の練習をしたのだという。死体を盗んだのは、なにも医学生だけではない。ルネサンス期の画家たちもまた、死体を求めて墓へ出向いた。レオナルド・ダ・ヴィンチは人体の構造について正確な知識を得るために30体もの死体を自ら解剖している。

 

大学医学部では、古代円形劇場にならった円形教室で多くの観衆を前に公開解剖が行われていた。ヴェサリウスの『人体の構造について』の挿絵には、溢れだす好奇心を抑えきれないといった様子で、内部を晒した人体を覗きこむ人びとが描かれている。こうして皮を破り、剥がされた死体によって、これまで神秘に包まれていた人体の恐るべき真実が暴かれてゆくことになる。

 

人体の内部をありありと公開し、そのさまを人びとに見せつけた公開解剖は、神に見放された人体のモノ化を加速しているように思えてならないと、著者は述べている。一方で解剖の技術は「かぐわしい生の内に潜むおぞましい実態」をも明らかにしてゆく。つまり、生のはかなさだ。身体の内部へと歩みを進めたことで、人びとはいつか自分にも訪れる死を強く意識せざるを得なくなったようだ。

 


『内臓の発見 西洋美術における身体とイメージ』筑摩書房 
小池寿子/著 

この記事を書いた人

馬場紀衣

-baba-iori-

文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を