激動の時代に向き合った「10年に一人の大蔵次官」|『秘録 齋藤次郎~最後の大物官僚と戦後経済史』倉重篤郎

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『秘録 齋藤次郎~最後の大物官僚と戦後経済史』光文社
倉重篤郎/著

 

存命する人を評価するのは難しい。しかも世の中で「大物官僚」とされる人物については、評価する側にもいささかの迷いや躊躇があるだろう。役所を離れて久しくなっても、霞が関の内外に隠然たる影響力を及ぼす人が今も多くいるからだ。だが、その難しい作業に本書はあえて挑戦した。

 

旧大蔵省で「大物次官」と呼ばれた齋藤次郎氏について記した異色の本である。「●年に一人の大物官僚」という表現は、霞が関や永田町を取材する記者やメディアが好んで使いたがる人物評だが、中には「本当か?」と首をかしげる御仁も多い。しかし、本書が描く齋藤氏は、まさに「大物」にふさわしい存在であったことが、多くのエピソードから理解できる。

 

なぜか。一言でいえば、類い希なる実力と人間性を兼ね備えていたからであろう。齋藤氏を近くで取材した練達のジャーナリストがその人生を活写した。

 

本書を読み進めると、大蔵官僚としての齋藤氏は、実に優れた行政官であったことがわかる。二度にわたって赴任経験のあるドイツの手法をまねた「主計官フレーム」や、各省庁の概算要求に上限を設ける「シーリング」など、齋藤氏の編み出した予算編成システムの大枠は今に至るまで引き継がれている。時代に合わせて、あらゆる行政手法を駆使して新政策を打ち出すのは、官僚の能力を示すバロメーターであるが、齋藤氏は若い時から、担当した分野の多くで新しい発想による政策立案に取り組んできた。幹部になってからも政治家や他省庁と渡り合い、そうした中で若手政治家として頭角を現した小沢一郎氏と親交を深め、気脈を通じてゆく。

 

官僚にとって政治家との向き合いは、ある意味リスクを伴う仕事である。政治の世界はまさに「一寸先は闇」であり、政治と関わった齋藤氏の人生を振り返ってもそうしたことの連続である。大蔵省がかつて「パワフルMOF」と呼ばれた頃から、バブル崩壊後急速に力を失っていく時代まで、独特の存在感で昭和から平成の時間を駆けぬけた齋藤氏。そんな人でも、まぼろしに終わった国民福祉税や大連立構想など政治の動きだけは制御不能であった。もくろみ通りに事が運ばず、政治の奔流の中で、官僚人生は実際に大きく左右された。

 

しかしながら、通読すると、齋藤氏はどの局面においても類い希なる行動力と人間性で勝負し続けてきたことがわかる。これが周囲に「十年に一人」と言わしめる所以なのだろう。

 

本書は齋藤氏の伝記であると同時に、昭和から平成にかけての政と官の関わりの記録でもある。近年官僚は、官邸主導の人事に翻弄され、キャリア官僚を志望する学生は減っている。仕事としての魅力が急速に色あせている時代であるのは確かである。

 

それに呼応してか、官僚の質は年々低下し、能力と胆力を併せ持つ人物を探すのは難しい。政治家も同じである。著者は「理念と行動力を持った人々よ、現れよ」と最後に訴える。この異色の力作には齋藤氏のライフストーリーとともに、小粒になった官僚や政治家の再生にエールを送る著者の思いが凝縮されている。

 

『秘録 齋藤次郎~最後の大物官僚と戦後経済史』光文社
倉重篤郎/著

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ビジネス・経済分野を中心にジャーナリスト活動を続けるかたわら、ライフワークとして書評執筆に取り組んでいる。英国の駐在経験で人生と視野が大きく広がった。政治・経済・国際分野のほか、メディア、音楽などにも関心があり、英書翻訳も手がける。

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