2018/11/12
田崎健太 ノンフィクション作家
『昭和の怪物 七つの謎』講談社
保阪正康/著
ノンフィクション作品でどの人物を取りあげるか、どのような切り口で描くのかは、書き手自身の哲学に深く関わってくるものだ。書き手の人物評価の“物差し”が、作品の中にはっきりと示されることがある。
『昭和の怪物 七つの謎』で、保阪正康はこう書く。
〈大日本帝国の軍人は文学書を読まないだけでなく、一般の政治書、良識的な啓蒙書も読まない。すべて実学の中で学ぶのと、「軍人勅諭」が示している精神的空間の中の充足感を身につけるだけ。いわば人間形成が偏頗なのである。こういうタイプの政治家、軍人は三つの共通点を持つ。「精神論が好き」「妥協は敗北」「事実誤認は当たり前」〉
これは第一章の〈東条英機は何に脅えていたのか〉で、東條を評したものだ。
第二次世界大戦で敗戦濃厚になり、アメリカ軍が飛び石作戦で近づいてくる中、東條は「物事は考えようで、むしろ敵の背後に我が基地があると考へればよい」と発言している。
アメリカ軍との物量差は明らかになっており、日本に反撃する力は残っていなかった。それにも関わらず、現状を受け入れず、安易な精神論に走った東条の判断により、多くの命が失われることになる――。
保阪が東条と対極に置くのが、石原完爾である。
保阪は〈昭和期の軍人の中で、石原完爾という人物は「特別の人」である〉と書く。
〈まず自分が一九世紀から二〇世紀初頭を生きる日本人だと受けとめるのである。自分はたまたま軍人として生きる道を選んだ。自分には歴史や時代によって託された生き方があるはずだと、能動的に自らの生きる空間で動くのである〉
石原は東洋思想、宗教にまで通じた、本物の知識人であった。
東条と石原は関東軍参謀本部で隣合わせの部屋で執務を行っていた時期がある。二人はめったに顔を合わせず、執務上の打合せは副官を通じて行っていたという。
〈関東軍参謀たちの起案した書類をまず参謀副長の石原のもとに持って行くと、石原は丁寧に読み、鉛筆で推敲していく。するとそれらの起案文書はたちまちひとつの意思を持つことになったという。
石原は満州国に対して、日本は内面指導権を持っているが、それはあくまでも助言者としての立場であり、その決定には直接関わらないというのである。それをもとにつくられた起案文書を、泉は東條のもとに持っていく。すると面白いことになる〉
副官だった泉可畏翁は、こう証言する。
「東條さんは真っ赤な顔をして、石原さんの書き込んだ部分を消しゴムで消すんです。なんとしても石原の書いた部分を生かすまいというわけです。石原さんの対抗意識というより、人物の器の違いが出ていましたね」
幅広い本を読んでいるかどうか、という保阪の人物評価の物差しに、ぼくは完全に同意する――。
そして、その物差しは現代に生きる人間にも適用できる。
保阪は『田中角栄と安倍晋三』という本では、東條と安倍晋三の共通点について書いている。
〈東条もそうなのだが、安倍晋三という人間は本を読んで知識を積んだ様子がない人に共通の特徴を持ち合わせているように思える。底が浅い政治家といえるだろう。
私は仕事柄、本を読むほうだろう。また、多くの人と接してきた。そのため、対話しているとわかるのだが、本を読まない人には三つの特徴があるように思う。
一つが形容詞や形容句を多用すること。二つ目が「侵略に定義がない」という風に物事を断定し、その理由や結論に至ったプロセスを説明しないこと。もう一つはどんな話をしても5分以上持たないこと。それ以上は言葉を換えて同じことを繰り返す。知識の吸収が耳学問だから深みに欠ける。さらにあえてもう一点つけ加えるなら、自らの話に権威を持たせるために、すぐに自らの地位や肩書きを誇示する〉
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『田中角栄と安倍晋三』朝日新聞出版
保阪正康/著
もちろん、政治家は、何を成し遂げたかで評価すべきだ。ただ、自らの無知を認識せず、薄っぺらい言葉を吐き続け、開き直る人間が増えているように思える。
まっとうな書を読め、過去に学べ――『昭和の怪物 七つの謎』そして『田中角栄と安倍晋三』は、八十歳に届かんとするノンフィクション作家の後生に対する警告の書であるとぼくは受け取った。
『昭和の怪物 七つの謎』講談社
保阪正康/著