akane
2018/12/31
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2018/12/31
1990年代以降、日本以外のほとんどの先進国は、様々な規制や施策によって労働時間を減らしてきました。それでは、なぜ日本においては労働時間短縮施策の効果もなく、また、オートメーション化やインターネットなどの革新的技術の普及にもかかわらず、残業習慣がこれほど長く続いてきたのでしょうか。背景には、日本の職場特有の「2つの無限」があるように思います。
ひとつめは「時間の無限性」です。その原因は「法規制の実効性の乏しさ」にあります。労働基準法において法定労働時間は1日8時間、週に40時間と定められていますが、第36条により、協定を結びさえすれば、法定時間外労働と休日労働は認められます。しかも、繁忙期などには「特別条項付の36協定届」を届ければ、残業時間の基準を超えて働かせられるため、実質、青天井で残業ができる仕組みとなっています。つまり、規制はありつつも、その規制をすっかり「骨抜き」にする条項がしっかりとセットになっているのです。
ヨーロッパでは、国によって基準となる時間は異なるものの、「規制の骨抜き」はできません。企業の超過残業は法的ペナルティが科されます。日本でも、2018年に成立した「働き方改革法」により特別条項での残業時間の上限が定められたので、今後、青天井は許されませんが、月の上限は最大100時間というかなり高い水準で決着したことと、実際には労使協定を結んでいない企業も多く、実効性があるかはまだ不透明で、今後の推移を見守る必要があります。残業を減らすには「時間」を「有限」とする必要があることを、頭の片隅に入れておいてください。就業時間がどこまでかという「境界」がなければ、人は働き続けてしまうのです。
ふたつめは「仕事の無限性」です。日本の職場は「どこまでが誰の仕事か」という区切りがつけにくいことで知られています。専門用語では「仕事の相互依存性」と言います。お互いの仕事がオーバーラップ(重なりあうこと)していて、「ここからここまでがAさん」「ここからここまでがBさん」という具合に明瞭に分けられないのです。職場でごちゃっと仕事を抱え、仕事の責任範囲が不明瞭な傾向があります。
一般に日本以外の多くの国では、「ジョブ型」という雇用システムがとられています。これは、雇用契約時に結ぶ「職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)」という書類によって一人ひとり、明確に仕事の範囲が既定される仕組みです。まず「仕事」が存在し、そこに「人」をつけています。それに対して日本型の雇用システムは「メンバーシップ型」と呼ばれ、先に「人」を採用してから「仕事」を割り振ります。その結果、「必要な仕事に人がつく」のではなく、「職場に人がつき、それを皆でこなす」形になるため、「仕事の相互依存度」も高くなります。自分に与えられた仕事が終わっても、「職場のみんなが終わっていなければ終わりにくい」ところがあり、他の人の仕事を手伝う、若手のフォローアップを行う、といったプラスアルファが求められます。
これら2つの無限が重なり合い、負のシナジー(相乗効果)を生み出してしまうのが、日本の職場の特徴です。
国際的に見ると、アメリカでは労働時間に関して、割増賃金の支払い義務はありますが、法による上限規制はなく、日本と同じく「時間の無限性」があります。そのため、アメリカにおいても長時間労働はしばしば問題になってきました。しかし、アメリカの多くの企業では、職務記述書によって担当する職務が明確化されていること、さらに成果主義の徹底が労使双方に浸透していることで「仕事の無限性」は避けられています。担当職務が明確でなく、状況と時期によって変わっていく日本では、与えられた仕事をやり遂げるだけでは評価されず、与えられた仕事「以上」を主体的に探して行うことで社内の評価を高める面があります。
まとめれば、「仕事」に対応して人が雇われていないため、見つけようと思えば仕事を「無限」にでき、さらに仕事の「時間」にも制限がない、という世界にも稀な2つの無限を持っているのが日本の職場なのです。だからこそ、青天井の残業が発生します。
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