「血液がO型からAB型に変わった」。2年後生存率20%の病気で骨髄移植した作家のドキュメンタリーノベル

金杉由美 図書室司書

『ハイドロサルファイト・コンク』集英社
花村萬月/著

 

Unsplash Pawel Czerwinski撮影

 

覚悟していたけど、想定以上に凄惨。
本書は、骨髄異形成症候群におかされ移植手術を受けた作家の、闘病をめぐるドキュメンタリーノベル。

 

骨髄異形成症候群とは造血細胞に異変が起きて正常な血液が造れなくなる病気で、白血病に移行することもあるという。治癒させるためには健康な造血幹細胞の移植が必要となる。
ドナーからの移植の前に強烈な放射線治療や抗がん剤大量投与で自身の造血細胞を死滅させなければならない。えええー?!なんと恐ろしい病気で、なんと乱暴な治療法だろうか…。

 

そもそも検査の骨髄穿刺からして読んでいるだけで痛い。
髄液を吸い取るときの、説明し難い想像し難い感覚が、プロ小説家の筆力ゆえにリアルに伝わってきてしまう恐ろしさよ。吸われる感じがするらしいです。骨髄を吸われるなんて滅多に経験できるものではなかろう。本書を読んだ後うっかり骨付きマトンのカレーを食べてしまい、骨髄を美味しく吸い上げながらこの穿刺のくだりを思い出し、微妙な心持ちを味わった。
ちなみに針を抜く時も痛いうえに、それに効く鎮痛剤はないらしい。
検査だけでこれほどなんだから、骨髄ドナーって本当に勇者だ。
全身麻酔下での採取とはいえ、血縁関係もない見ず知らずの相手に自分の骨髄を提供するなんて、勇者どころか仏だとしか思えない。

 

そして、手術後も安泰とは程遠い。
免疫がまったくなくなった状態なのですぐに感染症をおこすし、ステロイドで骨はボロボロ。様々なトラブルに見舞われる。
膀胱炎・尿道炎・前立腺炎を同時発症した話が壮絶だ。
会陰を中心とした未経験のとてつもない痛みに悶絶する有り様が、一周回ってなんだかうれしそうに詳細に描写される。
しかも、なんと治療法がない。潜在ウィルスによるものなので自然治癒を待つしかないうえに、それに効く鎮痛剤はないらしい。
手術後の生活を考えて導入した高級ベッドマットが重くて、上下を返そうと奮闘しただけで背骨を四か所圧迫骨折した話に至っては、申し訳ないけど笑えて来るほど痛そうだ。
あんまり酷くて痛くて笑っちゃう。著者本人がそう思ってるから、こんな悲惨な話でも読み進められるのかも。
ちょっとやそっとではめげない強メンタルの著者でも、さすがにトリプル炎症からクワトロ骨折にいたったときは自殺を考えたという。それはそうだよね。
というか、むしろ、花村萬月もやっぱり人間だったのか!とちょっと安心した。

 

自分だったらこんな大変な思いをするくらいなら治療を諦めたい。だって死ぬよりつらいだろ、コレ。自分の骨髄を破壊し、他人の造血細胞を移植して、その新しい細胞からの攻撃にさらされながら我慢して…体力も気力もお金も使い果たすような恐ろしい治療方法ですよ。いまのはなんだ?地獄かな?ってこういう状態を言うのではないか。
そんな地獄に果敢に飛び込み、倒れてもただでは起きず闘病経験をネタに作品とする、作家の業の深さよ。

 

病からのある種の逃避なのか、本書の半ばでは違法薬物についての経験談が滔滔と述べられる。なにしろ経験豊富なので語れども語れども話は尽きない。途中で本人が面倒になって薬物をひとつふたつ飛ばすほどの長さ。ラリっているのかボケているのか作家としての技巧なのか、判別つかないほどの饒舌さが味わい深い。

 

そしてラストで、これはあくまでも小説だからね?と嘯く花村萬月のにんまり顔は、治療の副反応で、まだらな満月のように見事なムーンフェイスなのだった。

 

こちらもおすすめ。

『いまのはなんだ? 地獄かな』光文社
花村萬月/著

 

この作品も、どこまで実話なのか、どこから虚構なのか。
家族との間に広がる裂け目が、深く静かに怖い。
海で連れの編集者を救助したために死にかけたエピソードは、『ハイドロサルファイト・コンク』でも言及されている。

 

『ハイドロサルファイト・コンク』集英社
花村萬月/著

この記事を書いた人

金杉由美

-kanasugi-yumi-

図書室司書

都内の私立高校図書室で司書として勤務中。 図書室で購入した本のPOPを書いていたら、先生に「売れている本屋さんみたいですね!」と言われたけど、前職は売れない本屋の文芸書担当だったことは秘密。 本屋を辞めたら新刊なんか読まないで持ってる本だけ読み返して老後を過ごそう、と思っていたのに、気がついたらまた新刊を読むのに追われている。

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