2022/10/14
長江貴士 元書店員
『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』ニューズピックス
近内悠太/著
「資本主義」というのは、ご存知の通り、「交換」を基礎としている。「交換」するために、世の中のあらゆるものに金銭的価値が与えられ、つまり「商品」となって流通する。「商品」の「交換」によって「資本主義」は駆動する。それはいい。
しかしもし、「交換」するものが手元になかったら、あるいはなくなってしまったらどうしたらいいだろうか?その時、「資本主義」はこう告げるのだ。「交換できない人とはつながりを解消する」と。ギブ&テイクやウィン-ウィンの関係というのは、最終的にはそう要請せざるを得ない。
しかし。本書では、本当につながりを必要とするのは、まさに「交換」できなくなった時ではないか、と指摘する。確かにその通りだ。「交換」の停止が「つながり」の解消を意味するとすれば、つまり、「資本主義」の社会では”原理的に”助けてと乞うことができない、ということになる。
それは困る。
一方。「贈与」とは「お金では買えないもの」(および「その移動」)である。お金では買えないのだから、それは「交換」の論理から外れている。ならば。「資本主義」を放棄して、「贈与」による社会を構築するのはどうか?
しかしそうもいかない。何故なら、「贈与」は人との「つながり」を強くする側面があるが故に、他者を縛り付ける「呪い」としても機能してしまうからだ。
金銭に変換することで「交換」を実現する「資本主義」でもダメ。金銭に変換できないもののやり取りである「贈与」でもダメ。「金銭に変換する/しない」という点で、両者は真逆だ。両立も難しいだろう…。
とはならない。本書では、「資本主義」がきちんと機能するからこそ「贈与」が成り立つのだ、両者は共存しうるのだ、と説く。
しかし、その両者をつなぐ論理は、簡単ではない。本書は決して難解な本ではないが、「資本主義」と「贈与」をつなぐためのステップはかなり多く、短く説明することは難しい。しかし読めば誰もが、「なるほど、確かにそれなら両者は共存する」と納得できるだろう。
大事なポイントは、「贈与の差出人は、『名乗らない』という倫理が求められる」「贈与の受取人は、『これは自分のところには届かなかったかもしれない』と理解する知性が求められる」ということだ。この2点を正確に理解した上で、正しく「贈与」を差し出し、また受け取る作法を捉えることが求められる。
本書は、哲学的な思考や社会システムに対する考察の本ではあるが、思いがけないモチーフが数々登場する。マンガ『テルマエ・ロマエ』、SF作家の星新一と小松左京、平井堅やbacknumberの曲の歌詞、シャーロック・ホームズ、とある介護職員のエピソードなどだ。まったく関係のなさそうなこれらのモチーフが、「贈与」というキーワードの元に融合する。「贈与」という、駆動する仕組みも、変転する時間軸も、求められる作法も、何もかもが「当たり前の感覚」から逸脱していながら、誰もが無意識に行っている不可思議な行動を、絡まりあった糸を順番に解きほぐすようにして説明する本書は、窮屈な「資本主義」を生きる我々に必要な一冊だ。
『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』ニューズピックス
近内悠太/著