スルスルと飲めるワインのごとく読め、心に言葉が広がる一冊

坂上友紀 本は人生のおやつです!! 店主

『たとえば、葡萄』
大島真寿美/著

 

記録は後世への財産

 

この言葉は『たとえば、葡萄』の本筋も本筋のところで出てくるフレーズではないながら、読んでいて相当心に響いた一言でした。
というのも高校時代に荒俣宏さんが監修されたブリュノ・ブラセル著『本の歴史』を読んだとき、「はじめに」のなかに「本の役目とは伝えること」とあり(手元にないため言葉尻が曖昧なのですが……)、サラリと書いてあったけれどもそれは本というものの持つ本質でしかなかったのでインパクトがあり、以来、自分が本を読むときにも読んだ本について語るときにも、いつもなんとなく頭の片隅に「伝える」という感覚があるためです。

 

では、『たとえば、葡萄』には一体なにが記録されているのか。

 

その問いについては後ほど考えるとして、大島真寿美さんの「作家生活30周年記念」であるところのこの物語をわたしがどういう形で読んだのかといえば、それはプルーフ(発売前に書店員などに配られる見本誌)によってであり、プルーフのお楽しみはなにかといえば、ときに「あらすじ」以外に作家さんや編集者さんからのメッセージが、表紙ないしは裏表紙に印刷されているところ!
そんなわけで本文を読む前に、まずは「著者からのメッセージ」に目を通してみました。

 

このコロナ禍の日々のなかで、コツコツと私はこの小説を書いていました。
書こうと思い立って、まず、山梨のワイナリーに取材にいきました。なんとなく、必要な気がしたからです。

 

実は、ここ(「なんとなく」必要な「気がした」)からしてすでにして物語は始まっているのですが、それはどういうことかというと……

 

一日目、葡萄畑をあちこちみてまわり、ワイナリーを見学してお話をうかがい、夜もワイナリーの傑作ワインをしこたま飲みながら延々とお話をうかがい、さて、その夜。
ホテルのベッドで眠りについた途端、この小説世界がいきなり夢の中にあらわれたのでした。
人々が、わちゃわちゃと動きまわり、わあわあとしゃべりまくり、うるさくてうるさくて、ろくに眠れやしない。っていや、夢なんだから眠っているのか?(略)
翌朝、この日もみっちり取材なのに、寝不足で(?)頭がぼーっとなったまま、どうしようと困りつつ、ああでももうわかった、もう書けるな、と確信してました。

 

……!!!

 

大島真寿美さんにはコロナ禍になる前に、当時大阪にあった当店でトークイベントをしていただいたことがあります。そのときは著者による作品(『ピエタ』と『渦』)の読み解きと、「作家・大島真寿美」が物語を紡ぐにあたり、常から据えている根源的なテーマ「物語とはどこから生み出されるのか」についてお話しいただいたのですが、その際「プロットは考えない。考えるのは、今書いているこの一行が、正しいかどうかだけ。正しい一行、正しい一行……と繋げていけば、物語はつくられる」とおっしゃられていたのが特に印象的でした。

 

そんな大島さんが綴られる物語はといえば、読んでいるとどう考えてもこれは伏線でしかあり得ない!という出来事が起こったりもするのに、それでもやっぱり最初から筋を考え「プロットありき」で書いているのではなくて、繰り返しになりますが、「今書いているこの一行が正しいかどうか」をひたすら念頭に置かれている模様。この段階でもはや驚きを拭えないのですが、加えるならご本人ですら書きながら伏線めいた展開になってくると驚くこともある、みたいな話でした。

 

当時は驚愕したものですが、今回「著者からのメッセージ」を読んだときには逆に、「やっぱりそうなのか!」と勝手に納得することしきり。わちゃわちゃと動きまわり、わあわあとしゃべりまくる登場人物たちの話を、丹念に慎重に書きもらさぬように、一行、一行、正しくあるべく書き綴っていかれたのだろうなー。そしてこの物語ができあがったのだろうな、と読んでいてしみじみと感じたからです。なんとなくワイナリーに行く必要がある気がした段階から、もはや主導権は大島さんではなくて物語(!?)にあったのかもしれません。

 

『たとえば、葡萄』は「今だ! 今しかない!」とある日とつぜん会社に辞表を提出してしまった28歳の女性・美月(みづき)が主人公です。世間が羨むような「大手」の化粧品会社に就職したものの、毎年・毎シーズン、自分なりに仕事を頑張っているはずなのに、気づけば如何ともしがたい「むなしさ」が自分のなかに生まれていて、なにをどうやったって、そのむなしさが消えていかない。今を逃せば、機会はない!と、今後のことがなにも決まっていないなか、思い切って会社を辞めてしまうところから物語は幕を開けます。
なんだかんだで母の友人である市子(いちこ)の家に居候させてもらうことになった直後に、世界を揺るがす、そして今なおわたしたちが揺るがされ続けている「コロナ禍」が始まってしまった。そんな世界のお話です。

 
美月をはじめとした登場人物達のコロナ禍に対する対応は、現在の我々のそれそのままといってもよく、だからこそコロナ禍以降、デフォーやカミュの『ペスト』が、あるいはチャペックの『白い病』が今を生きるわたしたちに必要とされたように、たとえば百年後にまたなにか同じような危機的状況に人類が陥ることがあるとしたら、きっとこの本を必要とする人がいるのではないかしらん。そのとき、この本を読んだ百年後の人々は一体なにを想うのかしら。それはもちろんわからないけれど、仮にもし一歩も家のなかから出られない状況が続いたとしても、明るさとか美しさとか、美味しいと感じる気持ちを取り戻せると思う。本って偉大……!
一方、コロナ禍のことはさておいて『たとえば、葡萄』に記された美月個人の悩みに焦点を合わせてみれば、これは時代はさほどに関係がなくて、今であっても十年後でも仮に百年後であったとしても同じような悩みを抱える人に、時代を超えて伝わるものがあるのではないかしらん。だって、人間って本質的にはそんなに変わらないものー!

 

ところで『たとえば、葡萄』で特筆すべきは、スルスルごくごくと美味しいワインやぶどうジュースを飲む如きはやさで文章が読めてしまうところ。
そして突然ワインやぶどうジュースを例に出したのはもちろん話の本筋に関わるからなのですが、「文を読むってこんなに簡単だったっけ……?」と戸惑うほどに、とにかく、断然、読みやすい!
なかには「九行に渡る長さの一文」もあったりして、それって読みやすいように一文一文を短めに書くことの逆をゆく長い長い一文だと思うのですが、その九行ですら「一気飲み」のはやさで読めてしまうのです。
会話文が多いことなど、もちろん読みやすさの理由もあるのですが、なんせそれ以上に「わちゃわちゃわあわあ」と喋る勢いそのままのスピード感!
で、ごくごくとノンストップで読んでいると、ときに立ち止まって心にスーッと広がるのを楽しみたくなるような言葉が出てきます。

 

きちんと美しい。
うわべだけでなく、芯まで美しい。

 

おいしいワインを作るためにおいしいぶどうを育てる。
それこそが原点なのだとよくわかる。

 

禅僧の一筆書きのようなというか、あるいは墨一色でといえばいいのか。シンプルにたくましく、大切なことが書いてある。だからこそ反芻したくなるし、だからこそ他にも通じてくるのだと思われます。

 

少し矛先を変えます!

 

わたしはぶどう。
わたしがぶどうで、ぶどうがわたしでもいいような。

 

というこのちょっと不思議な言葉も本文からの引用で、文章だけ鑑みれば、なんならS F小説の世界のよう。本のなかで意味するところは、「うるわしい世界の細胞の一つ」として「わたし」も「ぶどう」も等しく宇宙の構成要素の一つとしてちゃんと機能している、的なことなのですが、そうであると理解したあとにも、「でも、もしかしてこうかも?」と色々なベクトルから「わたしがぶどう」のその意味に向き合ってみたくなるのです。
なぜならば「人と人とが簡単に会うことができない」という、これまでの常識を覆すようなまるで虚構めいたことが、ある日を境に突然現実で起こりうることを私たちは知ってしまったからです。結果、一体なにが「有り得ること」でなにが「有り得ないこと」なのかは、「これまでの常識」の範疇だけでは捉えることができなくなってしまった。
だったら文字通りの意味で「わたし」と「ぶどう」が入れ替わったとしても、世界は成り立つのかもしれない。自分とぶどうが入れ替わるのなら、「ある土地に限定された」、「一つのもの(ここではぶどう)を突きつめていく話」は、十分にワールドどころか宇宙ワイドな話にもなってくる。南方熊楠が世界的な新発見を自分の家の庭でした、みたいなミクロでありながらマクロをも併せ持つすごさが「わたしはぶどう」の言葉のなかに在るといいたい!

 

……みたいな風になんだか色々と考えさせてくれる『たとえば、葡萄』は、旬のうちにすぐ読むもよし、熟成させて百年後に読むもよし!なコロナ禍中においての一人の女性の等身大な姿が、ぐぐぐと伝わる本でした。
ここに「記録」されたことというのは、きっと今から続いていく明日(やさらに先に繋がる遠い未来)をよりよく生きるために、いつか誰かが必要とするであろう「後世への財産」なのだと思います。

 

『たとえば、葡萄』
大島真寿美/著

この記事を書いた人

坂上友紀

-sakaue-yuki-

本は人生のおやつです!! 店主

2010年から11年間、大阪で「本は人生のおやつです!!」という名の本屋をしておりましたが、2022年の春に兵庫県朝来市に移転いたしました! 現在、朝来市山東町で本屋を営んでおります☆ 好きな作家は井伏鱒二と室生犀星。尊敬するひとは、宮本常一と水木しげると青空書房さんです。現在、朝日出版社さんのweb site「あさひてらす」にて、「文士が、好きだーっ!!」を連載中。

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