akane
2019/06/01
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清永聡『気骨の判決』(新潮新書)2008年
連載第18回で紹介した『大本営発表』に続けて読んでいただきたいのが、『気骨の判決――東條英機と闘った裁判官』である。本書をご覧になれば、戦時中に軍事内閣が主導した「翼賛選挙」に「無効判決」が下されていること、その判決を下した裁判長とはどのような人物だったのか、そもそも司法における「気骨」とは何なのか、明らかになってくるだろう。
著者の清永聡氏は、1970年生まれ。広島大学文学部卒業後、日本放送協会(NHK)報道局社会部記者となる。気象庁や内閣府などを経て、司法クラブに所属し最高裁判所を担当。現在はNHK解説委員。とくに戦中・戦後の司法と公文書管理の解説で知られ、『戦犯を救え』(新潮新書)や『家庭裁判所物語』(日本評論社)などの著書がある。
1942年4月30日、日本帝国議会の第21回衆議院議員総選挙が実施された。この時点で、すべての政党は解散させられ、議員は軍部に協力する「大政翼賛会」に入会している。共産党は非合法化され、徹底的に弾圧された。つまり、当時の日本には、政党が存在しなかったのである!
東条英機首相兼陸軍大臣は、「大政翼賛会」の延長線上に「翼賛政治体制協議会」を結成させた。この組織が、現職の議員、陸海軍の関係者、官僚や財界人の中から、政府に従順な人物だけを選別し、立候補者を推薦する制度を作ったのである。もちろん、その目的は、東條が議会を完全に操縦し、同盟国ドイツでヒトラーが確立したのと同等の「独裁体制」を築くことにあった。
この選挙に行かなければ「非国民」と非難されるため、投票率は83%と高かった。「翼賛政治体制協議会」は、議員定数と同数の466名の候補者を推薦し、381名が当選した。推薦候補者は、全国各地の協議会支部の支援を受け、その選挙費用は、陸軍臨時軍事費から供出された。
協議会から推薦されなかった「非推薦候補者」も85名が当選している。この中には、「憲法の神様」と呼ばれた尾崎行雄、反軍演説で名高い斎藤隆夫、戦後首相になった三木武夫らがいた。選挙中、彼らはさまざまな妨害を受けた。尾崎は、応援演説で述べた言葉が「不敬罪」に相当するという難癖によって起訴され、投獄された。斎藤は、東京から選挙区に送った選挙用の印刷物が内務省に差し押さえられ、すべて刷り直さなければならなかった。三木は、演説会当日に警察から召喚され、行くと「呼んだ覚えはない」と無視されるような嫌がらせを受けた。
非推薦候補者に投票すると「配給」を差し止めると脅される有権者も各地にいた。そのため、選挙後、全国5選挙区で「選挙無効」訴訟が起こったが、4選挙区では棄却された。ところが、1945年3月1日、大審院の吉田久裁判長は、鹿児島県第2区に対して、不法な選挙運動が組織的に行われた事実を認定し、「選挙無効」として、選挙のやり直しを命じたのである。同時に、「翼賛選挙は憲法および選挙法の精神に照らし大いに疑問がある」と、国を厳しく批判した。
吉田は、判決前から特高警察に付き纏われ、家を憲兵に取り囲まれたこともあった。判決当日には、妻に「もう家に帰れないかもしれない」と遺書を残して大審院に向かった。判決から4日後、吉田は裁判官を辞職した。吉田は「危険人物」とみなされ、終戦まで特高に監視された。
1945年6月、「義勇兵役法」が公布された。本土決戦に備えて、あらゆる国民が「国民義勇戦闘隊」に編入されることになった。司法関係者も例外ではなく、東京民事地方裁判所の岩松三郎裁判長は、急遽、裁判官を集めて編成された「裁判所義勇軍」の大隊長に任命された。
大本営から来た中佐が「諸君は義勇軍を組織して帝都を守るんだ。各省庁ごとの連絡は隊長がやりなさい」と命令した。岩松氏が「武器はどうなるのですか。どういう武器をいただけるんですか」と尋ねると「所在の武器をとってやれ」と中佐が答えた。
「所在の武器とは、どこに」と尋ねると、「棒でも石ころでもあるだろう」と中佐が答える。たまらなくなった岩松氏が、「それで上陸してくる米軍と戦えというのですか。軍人は帝都を守ってくださらないんですか」と言うと、中佐は、次のように答えた。「軍人は陛下をいただいて長野に引っ込んで国を守るんだ!」 集まっていた裁判官は、「呆然とする」しかなかったという。
吉田は戦後、翼賛選挙訴訟の判決を振り返って、こう記している。「私は、この判決をするにもいささかの政治理念には左右されなかった。もし、判決が時の政治理念を支えてなされたとするならば、その判決は不順であり、死んでいると考える」この言葉は、吉田が語ったからこそ、重い意味を持つ。(PP. 196-197)
どうすれば「政治理念に左右されない気骨」を抱けるのか、東條内閣のような破滅的な「独裁政治」を二度と許さないためにも、『気骨の判決』は必読である!
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