akane
2019/12/01
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2019/12/01
高橋昌一郎『ゲーデルの哲学』(講談社現代新書)1999年
連載第21回~第30回では、科学技術開発と戦争の関係性、進化やホルモンが人間に与える影響、さらに宇宙誕生の謎からヒトゲノム編集の生命倫理問題にいたるまで、多彩な視点から「科学的に考えよう」というテーマについて追究してきた。
今回の第31回から暫くの間は、より人間性にかかわる側面を考察しながら「思考力を鍛える」ために、「多彩な人々に触れてみよう」というテーマにアプローチしたいと思っている。そこで取り上げるのが、再び自著の紹介となって恐縮だが、『ゲーデルの哲学――不完全性定理と神の存在論』である。
「20世紀最高の天才」と呼ばれるクルト・ゲーデルは、1978年1月14日、71歳で生涯を閉じた。死亡診断書に記載された死因は、「人格障害による栄養失調および飢餓衰弱」である。身長5フィート7インチ(約170センチメートル)に対して、死亡時の体重は65ポンド(約30キログラム)にすぎなかった。
死の直前のゲーデルは、誰かに毒殺されるという強迫観念に支配された。そこで食事を摂取することができなくなり、医師の治療も拒否して、自らを餓死に追い込んだのである。彼は、椅子に座ったまま、胎児のような姿勢で亡くなっていた。
1978年3月3日、ゲーデルの追悼式典が、プリンストン高等研究所で開催された。司会を務めた数学者アンドレ・ヴェイユは、「過去2500年を振り返っても、アリストテレスと肩を並べると誇張なく呼べるのは、ゲーデルただ一人である」と述べた。
1929年、23歳のゲーデルは、ウィーン大学の博士論文で「完全性定理」を証明した。この定理は、古典論理の「完結性」を示したもので、アリストテレスの三段論法に始まる推論規則が完全に形式体系化されることを示している。つまり、ゲーデルは、完全性定理によって古典論理学を完成させたのであり、その意味では、「アリストテレスと肩を並べる」という表現も、たしかに「誇張」ではない。
その翌年、24歳のゲーデルは、「不完全性定理」を証明した。この定理は、古典論理とは違って、自然数論を完全には体系化できないことを表している。ゲーデルは、無矛盾な自然数論の公理系内部に、真であるにもかかわらず証明不可能な命題を構成する方法を示したのである(不完全性定理の厳密な証明については、スマリヤン著・高橋昌一郎監訳『不完全性定理』(丸善)をご参照いただきたい)。
一般に、有意味な情報を生み出す体系は自然数論を含むことから、不完全性定理は、いかなる有意味な体系も、完全には形式化できないという驚異的な事実を示したことになる。ロバート・オッペンハイマーが「人間の理性一般における限界を明らかにした」と述べたように、人類の世界観は根本的に変革させられたのである。
19世紀末、ゲオルグ・カントールが創始した集合論に、さまざまなパラドックスが発見された。当時の数学界の重鎮ダフィット・ヒルベルトは、その「数学の危機」を克服するために、数学全体を厳密に公理化し、その無矛盾性と完全性を証明して確固たる基礎を築くべきだと考えた。それが「ヒルベルト・プログラム」である。
ヒルベルトが追求した形式体系の「自己完結性」を「理性一般」と呼ぶならば、不完全性定理は、事実上「理性一般における限界」を明らかにしたことになる。当時の哲学界では、論理実証主義者が完全な「普遍言語」を追求していたが、その試みも達成不可能であることが明らかになった。よく指摘されることだが、不完全性定理を誤解・曲解して、社会学的・文学的に乱用することは大問題である。その反面、「単なる数学の定理にすぎない」と言い切るのも、極端な過小評価といえるだろう。
ゲーデルが、論理性と人間性の均衡をアンバランスに支えることによって、ようやく精神を保っていたことは、明らかである。その傾向は、彼の哲学にも表れている。ゲーデルは、不完全性定理によって人間理性の限界を明らかにしながら、人間理性そのものを疑うことはなく、世界は合理的に進歩すると信じていた。また、選択公理と一般連続体仮説の無矛盾性を証明し、その真偽が決定不可能であることを明らかにしながら、一般連続体仮説そのものは偽だと信じていた。(P.8)
不完全性定理とは何か、それを証明したゲーデルとはどのような人物で、どのような哲学を胸に秘めていたのかを知るためにも、『ゲーデルの哲学』は必読である!
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