akane
2020/03/12
akane
2020/03/12
学校通うの嫌いだったなーと。
コロナ対応で自宅待機になった子どもたちを見て、久しぶりに思い出していた。
今からすると信じられないことである。何せ今はうちにいると肩身が狭いので、できるだけ仕事を入れて出校しているのだから。大学なら少なくとも、人間扱いはしてもらえる。とてもよい場所だ。
ぼくは学校の何が嫌いだったのだろう。なんとなく威圧感のある校舎の佇まいとか、そこに至るまでの満員電車とか、何ならふとんから出るのがいやだなあとか色々考えつきはするのだが、やっぱり人前に出るのが嫌いだったのだ。
校舎に威圧感があると言っても、忘れ物を回収しに夜の学校に忍び込むのは楽しかったし、AH-1 コブラの対戦車ミサイル斉射が見られるとなればどれだけ混雑していようとも富士総合火力演習には行ったのだから、その他大勢の役割が振られているうちは大抵どこでも行けるし、居られるのである。
学校という場所は、傍観者でい続けることを許してくれない。何かにつけて、主役のお鉢が回ってくる。もちろん、スクールカーストの上位にいて、いつも人生の主役を張っている人たちに比べれば、それは一瞬で通過していくものなのだけれども、それさえ負担に思う子はいる。
ぼくは与えられたタスクは全うしなければ、と思い詰めるタイプではなかったし、嫌なものから逃げるのを恥とも考えていなかったので(どうせ恒常的に恥はかいているのだ)、我慢の閾値を超えることはなかったが、生真面目な子は生きづらかったと思う。
学芸会で割り当てられた村人8は、「でも、だめだよ」だけしかセリフのない、いてもいなくても大丈夫な満艦飾の端役だったが、練習だけで目の前がくらくらしたのでズル休みした。
大学の階段教室で講義を受けていたときに(200人くらいいたかなあ)、先生が「これから質問を当てていきます。嫌な人は退出して構いません」と言って、本当に退出した3人の中の1人だ。なんてやさしい先生だろう、たぶん本当に出て行く人がいるとは思っていなかったのではないだろうか。人によっては、指されて変なことを答えるより、そこで退出するほうが恥ずかしいと感じるだろうし、むしろそれが多数派なのだろうが、ぼくにとっては人前でしゃべることのほうがずっと耐えがたい。
大学の先生になったときはとてもきつかった。研究や執筆が好きなので、なりたい職業ではあったのだが、そういえばもれなく授業もついてくるのだった。さすがに学生さんが待っていると思うと逃げるわけにもいかなくて(人生ではじめて人生と向き合った気がする)、授業がはじまる5分前まで自室で机に突っ伏して「恐怖の大王が降ってきて、授業中止にならないかな」などとうだうだ考えていた。
それがこのコロナ禍である。
休校期間中の学習に対応するために、教育関連企業はいっせいにオンデマンドや遠隔による教育サービスを無償解放し、自前のリソースを持っている学校もそれに追従している。
もともと増えるいっぽうの教育現場の作業工数を緩和するために、DX(デジタルトランスフォーメーション:デジタル技術を前提として、ビジネスモデル等を抜本的に変革し、新たな成長・競争力強化につなげていくこと)を使った教育自動化は進められていたが、反対の声や規制も大きかった。それがこの機にブレイクした形である。
やればできるんじゃない。
そう思った。ふだん何か新しいことを始めようとするときに立ち塞がる鉄のルールやもっともらしい理論武装が、実は脆弱であるのを知ることは非常時には珍しくない。今回もそうだ。
もちろん、人が集まって学んだり、働いたりすることのメリットは否定しない。人が集まることは力になり得るし、顔を見なければわからない機微もある。でも、遠隔でできる学びも、仕事もあるんだ、その質は意外と高い水準に達しているんだということが、今回のインシデントで広く伝わったのではないかと思う。いまも、自宅で、ほっとしながら学んでいる子が一定数いるだろう。
コロナ対応が終われば、児童・生徒・学生たちはそれぞれの学校に戻っていき、通常のクラスルーム型授業が回復するだろう。でも、そのとき、学生たちが取り得る選択肢が、騒動の前よりも広くなっているといいと思う。自分にあった環境を与えられれば、能力を発揮できる子は多いのだから。
発達障害に関する読者の皆さんのご質問に岡嶋先生がお答えします。
下記よりお送りください。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.