学校に行かなくても、友達がいなくても、最高に幸せな子もいる
岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』

 

学校が好きではない子は、どうすればいいだろう。

 

本人が幸せなら、何でもいいとは思うのだが、幸せの定義がぼくにはよくわからないし、そもそも自閉スペクトラムの子は自分がいま幸せかどうかをうまく表現する力を持たない子も多いので、本人に聞くのもうまくいかない。

 

だから、これは個人的な話だと思って欲しい。

 

ぼくはとても幸せな子ども時代を過ごした。

 

学校は朝起きるのが嫌だったし(だから、大学は好きだった。午後からの授業だけでも卒業できるからだ)、ちょっと考え事をしているうちに授業は終わってしまっていて(数少ない友人が、先生の質問に一つも答えなかったので、後で職員室に行くことになってるぞと教えてくれた。質問された記憶はない)、それだけでもへとへとになるので、崩れ落ちるように家路を急いだ(放課後に学校に残ってクラブ活動をする子たちの体力とメンタルが、同じ人間のものとは思えなかった)。

 

端から見れば、あんまり幸せそうな子には見えなかったはずだ。

 

正面切って、眉をひそめる大人もいたし、分別があって「これも多様性だよね」という態度がとれる大人も、その視線には同情と憐憫が絶妙にブレンドされているのがふつうだった。少なくとも、「うちの子もこうさせたい」と思うような子ではなかった。

 

でも、ぼくはこの上なく幸せだった。

 

どの本の中にも、無限の世界があった。零戦のスペックは11型も21型も32型も22型も、22甲も52も52甲も52乙も52丙も53も54も62も63も64も、図面(現存していない型もあるが)も含めていまも頭に入っている。

 

11型と52型の差分を頭の中で反芻する作業は、何回繰り返しても飽きないし、楽しい。ぼくは絵心がないのでアウトプットができないが、翼端が切り落とされていない12m幅の零戦のシルエットは、生まれてきたことを信じてもいない神に感謝してしまうほど繊細で優美で、記憶の中のその曲線をなぞっているだけで12時間超のフライトは過ぎていく。機内モニターのないLCCにスマートフォンを忘れて乗っても、まず退屈することはない。きっと涎も垂らしているだろうし、端から見たらさぞ気持ちのわるいおじさんに見えることだろう。

 

ゲームも極上の体験だ。ぼくは15歳から19歳までの5年間が人生の盛夏だったと思っている。あんなにたのしい期間は、もう二度と訪れないだろう。ぼくはこの5年間をほぼ「大戦略」に捧げた。戦術級の陸戦シミュレーションゲームである。

 

迫り来る敵の大兵力を相手に、寡兵で航空支援なしで機動防御しなければならない作戦を考えるなんて、震えるほどの多幸感を味わえる。

 

偏食だったので、鮭と永谷園のお茶漬けだけで数年過ごしたこともある。飽きないのかって? 飽きるわけがない。鮭は毎回毎食表情が違う。同じ切り身パックに入っているからといって油断ならない。噛むごとに異なる味覚がほとばしる。お茶漬けの素は、人生の大半をともに過ごした戦友だ。

 

物心ついたときから、「この子はしょっぱいものが好きだから、いつか腎臓病になる」と言われ続けた。実際、そうなのだろう。概ね、3袋を同時に投入してかきこむ。熱いのも冷たいのもいい。お湯も煎茶もいいが、ほうじ茶も捨てがたい。ただ、先月いつも通り3袋を同時に投じたら、気分が悪くなった。歳を取るとはこういうことか。いまは2袋にしている。それでも、目眩がするほど幸せだ。

 

友だちはいなかったが、そもそも欲しくなかった。友だちというのは、たまに間違ってできると何かと時間を取られる。定型発達の子はそこに時間を投じるのが嬉しいのだろうし、それはいいことなのだろうけれど、こちらは慢性的に睡眠時間を削って読書とゲームをしているのである。そこに時間を割くのはあまりにももったいなくて、何かの集まりなどに誘われても「もったいない感」が顔に出てしまって二度目には呼ばれなくなる。

 

それでも、あまり好きになれないタイプの人だと、そこそこ知人関係が長持ちすることもある。尊敬できるような人は、軽蔑されるとがっかりするので(自分のコミュニケーション能力に微塵も自信や幻想を抱いていないので、つきあいが長くなるとどんな人にも軽蔑される自信がある)、早めにこちらから立ち去るのだ。そうして、万難を排して作った一人の時間は、成層圏から見る極光のように美しい。

 

だから、周囲から見ると、どんなにつまらなそうに見える子でも、不幸なのかと心配になる子でも、内なる王国を持っているかもしれないのである。表情がなくても、学校からすぐに帰ってきてしまっても、友だちが一人もいなさそうに見えても、1つのものしか食べられない子でも、本人はめちゃくちゃ幸せなのかもしれない。

 

同情や介入は、(それがたとえ本人の社会性の助けになるとしても)その幸せを潰してしまうかもしれない。少なくとも、周囲の大人はその可能性を念頭においておくべきなのだろう。

 

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大学の先生、発達障害の子を育てる

岡嶋裕史(おかじまゆうし)

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、学部長補佐。『ジオン軍の失敗』(アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです!』(以上、光文社新書)など著書多数。
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