ryomiyagi
2019/12/19
ryomiyagi
2019/12/19
で、この療育施設のプログラムだが、何かすごく特殊なことをするわけではない。ふつうに幼稚園でやりそうなことをやっている。
言葉の指示が通らない子が多いので、絵カードが充実していたり、ノイズ情報が多いと混乱するので、環境の構造化というか、今すべき活動と関係のないアイテムが極力省かれて、すっきりした部屋になっていたりといった工夫がなされている程度である。
あとは、子ども同士のコミュニケーションが通りにくいので、幼稚園だったら子どものペアを作るであろう箇所で親や先生が出張ってくる。意外とくたくたになるので、その点は留意されたい。
これから通所をするので不安だなあ、というかたは、特にかしこまる必要はない。一方で、何か特別な訓練・教育を受けられると考えていると、肩すかしをくらうかもしれない。
実際、特別支援教育でやっているメニューは、たいてい定型発達の子にも効く。「あー、それ定型の子にもやったらいろいろ学びがあるだろうなあ」という内容である。コスト(主にマンパワー)の関係でやらないだけである。
教育の中ではS/T比はとても重要な数値で、先生1人あたりの学生数はたいていの場合、少ないほどよい。でも、それではお金ばっかりかかるから、どこかでバランスポイントを探るのである。特別支援教育では母集団が少ないこともあり、ある意味採算を度外視してS/T比を向上させる。
少しでも療育が進んで、将来社会に参加できるようになれば、保護される側から税金を支払う側に回れるという事情もある。
仮に肩すかしをくらったとしても、医療機関や教育機関などの判断で通所を始めた場合は、少なくとも一定期間は通っておくとよいと思う。上記でも述べたが、少人数で先生に見てもらえるメリットは圧倒的で、ほとんどの子が能力を伸長させる。
そう、障害のある子でも能力は伸長する。もちろん、定型発達の子と比べるとその伸び幅は小さく留まるが、ちゃんとわが子の成長は実感できるし、嬉しい。機会があれば療育は受けておくべきだと思う。
ある程度能力が伸長すると、それが言語であれ非言語であれ、周囲の友だちとかかわりを持てるようになってくる。この状態に至れると、いいサイクルに乗れる可能性が高まる。
自閉スペクトラムの子は周囲にあまり興味がないことが多いし、それはそれで人生だよなとも思うのだが、先生の言っていることに何の興味もわかないとか、自分の身の安全に無頓着であるとかは困るので、どうにか興味を持ってもらおうとする。
このプロセスを「壁にドリルで穴を開けているかのようだ」と表現した先生がいたが、ほんとうにその通りである。刺激して興味をもってもらうのにすごく骨が折れるし、大変なのだ。
友だち、とまでは行かないにしても、周囲とかかわりが持てるようになると、お互いがお互いの刺激因子になるので、親や先生ばかりがこの役目を負わなくてよくなる。これは大きいと思う。
ちなみに、療育施設には自閉スペクトラムの子ばかりが集まっているわけではない。いまは圧倒的に自閉圏の子が多いけれど、ADHDの子もLDの子もPDDの子もいる。
それぞれが1クラスを形成するほどには人材が充実していないので、多くの療育施設ではみんなが混ざってクラスを作っている。
床のタイルを睨んだまま、半日ぴくりとも動かない自閉の子と、1秒もじっとしていない多動の子が同じクラスで学んでいるさまは壮観である。ぼくは正直言って、参加して楽しかった。
それぞれの障害にはそれぞれに応じた療育方法があるから、これを迂遠だと思うこともできるけれど、異なる障害種の子と触れあうことで得られる学びも確実にある。
ぼくの子は、木漏れ日が風にゆらぐ様子を見るのが大好きで、一日中眺めていた。それだけだと雅にすら聞こえるが、何せ自閉スペクトラムの子である。その好きさ加減が過剰で、「これは下手をすると寝たきり青年に育つ」と危惧するほどだった。
それが、仲良くなった多動の子の影響で、ジャングルジムに登ったり、禁止されている塀に登ったり、先生の背中に登ったりするようになった。「活発すぎて困りますね」なんて怒られる経験をさせてもらえたのは、あの多動の子のおかげである。
発達障害に関する読者の皆さんのご質問に岡嶋先生がお答えします
下記よりお送りください。
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