akane
2020/04/30
akane
2020/04/30
最近、おそろしいことがあった。
「コミュニケーション能力が高いですね」と言われたのだ。
そんなはずがあるわけないではないか!
小学校ではみんなが笑うところで笑えず、
中学校ではみんなが頷くところで頷けず、
高校はみんなが行くのに行かなかった。
共感はコミュニケーションの基本だろう(よくわからないけど)、それができないのだから、上手も下手もないのだ。成立していないのである。
中学生くらいになると、みなさんコミュニケーションの力がついて、暗黙の了解や仄めかし、視線のやり取りで実に高度な意思疎通をはかる。
ぼくは、それが読み取れた試しがない。
「えっ、今のはなんだったの?」とか言葉にして場を白けさせたり、自分だけおいてけぼりにされたりする常習犯だった。自分にはわからない手練手管で円滑に気持ちを伝え合っている人たちがうらやましかったものである。
……すみません、まっとうな人のふりをしようとして嘘をつきました。人の気持ちは割とどうでもよくて、早く家に帰ってゲームがしたかったです。
では、冒頭の人物はなぜそのような恐ろしいセリフを放ったのか。何かの謀略か(失礼しました)、極めて人を見る目がないのか(もっと失礼しました)。
可能性としてあげられるのは、キャバクラトークに惑わされていることだ。
キャバクラトーク。
ぼくが学校で学んだ、一番役に立っていることだ。
ぼくは、基本的にいつだって話を早く切り上げたい。
人と話すのが苦手で疲れる。
自分の話は面白くないだろうから付き合ってくれる相手にも悪い。
帰りさえすれば、ゲームができる。アニメ鑑賞も可能だ。
どう考えても、話を切り上げることはいいことずくめである。
では、いかに切り上げるのか?
話をぶった切って帰ることは難しい。小心者だから怒られるのが怖い。だいたい怒られ始めたら、時間がかかる。
真摯な傾聴と議論はどうか?
相手のスイートスポットにはまった議論など、長引くことは必定ではないか。
「早急に気持ちよくなっていただく」
少なくとも、自分のキャラクタでできる最大限の努力はこれである。
自分の狭い人生経験の中では、取り敢えずしゃべりたいことだけしゃべれば、帰ってくれる人は多い。
そのためには、相手の言葉を遮らないことが肝要である。議論、反論などもってのほかだ。ぼくが誰かと会話するとき、それは会話にはなっていない。
「すごいですね!」
「勉強になりました!」
「わっ、おおきい!」
そんなことしか言っていない。紛うことなき、キャバクラトークである。
意思疎通もへったくれもないというか、ひとと何かを交わそうとか、何かを生み出そうという姿勢がない。取り敢えずにこにこしながら、言われたことを全肯定である。誠実さのかけらもない客あしらいだ。
でも、しゃべるほうも、相手がどのくらい真摯にその会話に向き合っているかなど、あまり気にしていないことが多いらしく、中断されたり否定されたりすることなく思いの丈をぶちまけると、上機嫌になって速やかに帰ってくれる。気持ちよくなった後までだらだらと長居を続ける客は少ない。みんな忙しいのだ。「お客さま、おあがりです!」だ。
ぼくとしては、その場を丸く、かつ速やかに収められれば後は野となれ山となれなのだが、中には冒頭の人物のように「コミュニケーション能力が高い」とまで誤解してくれる人がいる。
何が言いたいかというと、自閉の子も練習次第でコミュニケーション能力が高いふうに見せることはできそうだな、ということである。僕自身が人の気持ちの機微がわからず、そもそも早く帰りたいとしか思っていないのに、それなりに人との会話をこなしているのは単に獲得した技術によるものだ。技術は習得可能である。
相手の言ったことがよく聞き取れなくても、微笑みの意味がわからなくても、取り敢えずにへらっとしたり、受け流したりしておけば会話は進む(あんまりうなずいていると、いつの間にか変な契約を結ぶ羽目になるかもしれず危険である)。
倫理的に正しい手法ではないので、誰かにおすすめするわけにはいかないけれども、そんなふうにやり過ごしている人もいますよ、というお話である。
発達障害に関する読者の皆さんのご質問に岡嶋先生がお答えします。
下記よりお送りください。
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