akane
2019/01/22
akane
2019/01/22
吃音は、連発(ぼ、ぼ、ぼ、ぼくは)、伸発(ぼ―――くは)、難発(………ぼくは)の三つの症状に大きく分けることができますが、吃音があると言っても、すべての言葉でそのような症状が出るわけではなく、その人の置かれた環境、話す場面、話す言葉、話す相手など、様々な条件によってそのありようは異なります。以下では一例として、九州大学病院の医師・菊池良和さんの実際の体験を通して、吃音のある人がどのように困っているのかを見てみます(文中の「私」は菊池さんのことです)。
私は、男三人兄弟の次男として生まれました。父は転勤族のサラリーマン、母は専業主婦というごく平凡な家庭です。その中で私一人だけ、幼いころから吃音がありました。
うまく話せなくて困った記憶として最初に憶えているのは、幼稚園の年少時、父親の仕事で山口県から広島県に転居したときのことでした。
初めての登園日、高台の上に登らされて、先生から「みんなの前で自己紹介をしてください」と言われたとき、頭の中が真っ白になって、胸が苦しくなりました。どもりながら自己紹介したのか、どもらずに自己紹介ができたのかはわかりません。ただ、とても嫌な思いをしたことだけは記憶に残っています。
小学校は、家から歩いて20分のところにありました。
毎朝集団登校し、病欠もせず、学校へ行くのが楽しみでした。ただ、毎朝の「健康観察」においては、吃音でつらい思いをしたことがよく記憶に残っています。「健康観察」とは、先生から名前を呼ばれて、特に問題なければ、「はい、元気です」と返事をするというだけの簡単なものです。しかしその返事が、私には思うようにできませんでした。
最初の「は」の音を、思った通りのタイミングで出せず、必死に力んだりした後にようやく出せるということが多くなっていたのです。
「……はい、元気です」
難発性の吃音でした。無理して声を出そうとするため、喉に力が入って顔も歪み、呼吸が止まって酸欠状態にもなります。ただ、それでも私は、「はい、元気です」と言うのを拒否することはありませんでした。
当時私は、小学一年生ながら、「なぜ自分は、言わなければならないときに、すぐ“は”が出ないのだろう」と悩んでいました。うまく言える日もあったのに、喉を振り絞るような思いをしても、どうしても「はい」が言えないときもありました。それがなんとも不思議でした。
学校生活を送る中で、話さないといけない場面での悩みはどんどん増えていきました。毎朝の健康観察のみならず、日直、国語の本読み、各教科での発表、学芸会の劇など、みなの前で話す場面はどれも苦手になりました。
月に一、二度回ってくる日直の当番のときは、授業の開始と終了の際に、
「起立、気をつけ、礼」
の号令をかけなければなりません。
「授業終わり」
と先生が言い、私が「起立」の「き」を言おうとしながら言えずにいると、すぐ周囲から、
「日直、号令」
「菊池君」
「早く終わろうよ」
などと声をかけられてしまいます。こっちだって必死です。でも、どうしても言えないのです。みな席を立ちたくてそわそわしている雰囲気の中で、いつも焦りや申し訳なさでいっぱいになっていました。そして何とか、
「起立」
と声を絞り出すことができたとしても、「気をつけ」の「き」がまた出ない。そして、その後は「礼」の「れ」です。それがやっと言えたときには、いつも汗だくになっていました。日直になるたびに、私はその緊張感に襲われていました。
また、国語の授業も、私が特に嫌いな時間でした。担当の先生は、その日の日付と関連のある出席番号の人に本読みさせることが多かったため、出席番号が14番目だった私にとって、4日や14日は、前日から学校に行くのが憂鬱でした。
学校に行けば、「今日は14日だから、出席番号の1の位が4の人を当てよう」と先生が言うことはわかっています。そこでたとえば事前に、
「おじいさんとおばあさんが……」の一文を読むことになるのではないかと予測して、前日に何度も練習したりしました。
「おじいさんとおばあさんが……」
「おじいさんとおばあさんが……」
「おじいさんとおばあさんが……」
「おじいさんとおばあさんが……」
しかし、何度読んでもつっかえてしまいます。すらすらとは読めません。読めないことで悲しい気分に襲われ、練習しながら一人で泣いたこともありました。独り言のときは吃音は軽くなると言われていますが、この練習のときはなりませんでした。教室での緊張感を覚えていて、リラックスできていなかったのでしょう。
そして本番になると、やはりどもってしまいます。
「お、お、お、お、お、お、お、お、お、おじいさんと」
のように連発になったり、
「……おじいさんと」
のように難発になったり。ほんの短い文章なのに、読み終えたころには汗だくになり、心臓がバクバクと速く鼓動するのが聞こえ、酸欠で失神寸前の状態になるときもありました。
さらに、言葉を発するときはいつも吃音の症状が出るのであれば、心の準備もできそうなものですが、「どもりそうだ」と思っていても、すらすら言えるときもあります。緊張しているから必ずどもるというものでもなく、緊張していてもどもらないときもあるのです。
私は30年以上も吃音がありながら、いまだにどのような状態で吃音が出るのか、出ないのか、はっきりとはわからずにいます。ですから、当時の私が自分の吃音について他人に説明できるはずがありませんでした。
以上、『吃音の世界』(菊池良和著、光文社新書)の内容を一部改変してお届けしました。
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