2022/12/14
長江貴士 元書店員
『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』河出書房新社
花田菜々子/著
読めば分かることなので書くが、本書に登場する「書店員N」は僕のことだ。プロローグから、僕が登場する。などと書くと誤解されるかもしれないが、決して僕が「シングルファーザー」なわけではない。
本書は、著者の実体験をベースにした私小説だ。設定はタイトルにある通り。書店員である著者は、「常連客」として出会った<トン>と仲良くなり、彼が、男の子二人を育てるシングルファーザーであることを知る。著者は、一度離婚を経験したこと、また、世間と価値観が“ズレ”ていることが多いことなどから、恋愛やセックスと距離をおこうと考えているタイミングであったが、<トン>からの付き合おうという告白を受け入れる。しかし、「母」になる覚悟など持てないまま、二人の子どもたちと面識を持つことになり、そこからいかにして彼らと仲良くなるかという壮大な“実験”が始まる…、という風に話は展開していく。
世間で当たり前とされる価値観に躓き、母親から当然だと押し付けられる幸せのあり方に反発し、「~であるべき」という圧力に違和感を覚えてきた著者。「約束のある関係性」にも「血の繋がり」にも関心が持てなかった彼女は、当然の如く「子どもと関わらない人生」を歩むと考えていたのだが、思いもしなかった形で子育てを“体験”することになる状況に「圧倒的な面白さ」を感じる。しかしその一方で、「母」ではないが「他人」でもないという名前の付けがたい関係性のまま、子どもといかにして関わるべきかという難題に日々挑み続けることになる。これまで、何か困ったら本を読んで知識を得、シミュレーションを重ねてきた著者だったが、子持ちのシングルファーザーとどう関わるかという類の本は圧倒的に少なく、体当たりで突き進んでいくしかなかった。
彼女は、子どもたちに価値観を押し付けたくない、と強く思う。それは、これまで自分が散々されてきて不快だったことだからだ。しかし彼女は、二人の子どもたちと関わる中で、「教育」や「指導」が必要ではないか?と感じる状況に直面する。例えば、挨拶やお礼はした方がいいだろう、その方が生きていくのにプラスのはずだ、でもそれを「教える」べきだろうか、嫌なら別にしなくてもいいんじゃないだろうか。「挨拶やお礼はした方がいい」と伝えることは簡単だが、それ自体そもそも「教育」として正しいか、そして仮に正しいとしても、「母」ではないが「他人」でもない自分がそれを伝えるのは正しいのか。こんな風にいちいち立ち止まってしまう。
著者は、客観的で繊細で敏感な感覚で、人との距離感を、相手のサインを、自らの行動の余波を感じ取る。そして、それまで足を踏み入れたことの無かった環境で、自分が抱いていた偏見を自覚しさえする。その上で彼女は、自分の大切な何かを手放さないまま、相手の感覚にチューニングを合わせていく。その振る舞いが、絶妙だ。
著者の奮闘は、「家族」という、結果的に窮屈になってしまっている言葉の解釈を押し広げてくれるだろう。「家族」なんて、もっと自由なものなのだ。
『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』河出書房新社
花田菜々子/著