2018/08/03
大杉信雄 アシストオン店主
『AMETORA 日本がアメリカンスタイルを救った物語』DU BOOKS
デーヴィッド・マークス 奥田裕士/訳
1965年生まれの私が大学生だった80年代は、「デザイナーブランド・ブーム」(DCブーム)というファッションが流行した時代だ。私が学生時代を過ごした京都の街中では京都BALや四条河原町阪急、そして高島屋、大丸、藤井大丸、というファッションビルや百貨店のDCブランドコーナーに数万円、スーツなら10万円以上の洋服が並んでにぎわっていた。
雑誌「ブルータス」に掲載されている海外ブランドや、BIGI、コム・デ・ギャルソンといった高級ブランドは大学生の身分では手が届かない高価なものだった。しかし青年向けの「ポパイ」や「ホットドッグ・プレス」に載っている、学生でもちょっと頑張れば手がとどくブランド、例えばINSPIREやScoopといったブランドも用意されていて、夏と冬のファッションビルのセールの行列に並んだ。
本書は戦後の日本のファッション史、特に男性ファッションの変遷を丁寧に綴った研究書である。実際にファッションを牽引したデザイナーや関係者の証言も豊富で、ファッション誌、一般メディアの当時の資料を丁寧に集めて編まれたもの。私自身80年代にはDCブランドブームを実際に体験し、2000年からは裏原宿にショップを構えていたので、裏原宿カルチャーを目近に観察してきた訳だが、その記録内容の正確さと明快な分析には驚かされる。
これを可能にしている本書の著者が1978年生まれと実際のDCブームを体験していないこと、そして、もうひとつは著者が17歳の時に初めて日本に訪れたアメリカ人であることだ。
著者のデーヴィッド・マークス氏はアメリカ、フロリダ州の出身。17歳で初めて日本に3週間のホームステイで訪れ、アメリカのハーバード大学で日本文化ついて学び、1998年に3ヶ月間だけ日本にインターンシップで訪れたという。ファッションに興味は無く、映画「猿の惑星」とミュージシャンのコーネリアスが好きだったことから、「猿の惑星」イラストが描かれたTシャツを買うために裏原宿を訪れ、そこで独自の洋服文化と出会う。その後、裏原宿ファッションのマーケティング手法について卒業論文を執筆し、2003年に三たび来日して慶應義塾大学でデータ分析を学んで、裏原宿カルチャーのデータを収集、日本の洋服や音楽カルチャーの研究を行っている。
戦後の日本はアメリカの服装文化から多くを学び、日本独自の「アメトラ」という文化を作る。その源流にあった50年代のハーバード大学の学生ファッションやジーンズなどの服装は、米国人にとってはあまりにも「日常」の取るに足りない生活衣料であった。けれど敗戦国日本の若者はそれをハイセンスな文化として受け入れた。そして単なるコピーでは終わらせることなく、着こなしから衣類の手入れに至るまでの研究がなされる。つまり文化の「鋳型」として完成させたのだ。その鋳型から生み出された独自の「アメトラ」ファッション、例えば日本の工場で生まれたジーンズは新たな価値を生み出して、ジーンズの本家と言えるアメリカのファッションマニアに受け入れられる。そういった戦後50年間の文化史を本書は描き出してくれる。
テレビでは「世界が賞賛する日本」のように海外視点から日本の良さを褒めているようで、どこか自画自賛にすぎない番組が好まれるようだが、本書はそれらとは一線を画す。またファッション関係者だけではなく、それらのファッションに興味を示した当時の若者を、一般メディアがどう捉え、どう論じたのかという視点まで解説されている点も素晴らしい。ファッションのみならず、「モノ」や「文化」というものが国を超えてどう伝わり、どう変わってゆくのかに興味がある方にはぜひお勧めしたい。
「裏原宿」と呼ばれる原宿通りは別名「とんちゃん通り」と呼ばれ、ファッションの今を感じさせるショップや古着屋が並ぶ。反面、昭和の時代から続く居酒屋や定食屋も多く残り、庶民の街としての顔も持つ。
この数年は表参道の活況とは正反対に、閉店してゆく洋服屋も多く、代わりにコンビニエンスストアができたり、大型看板の出稿が止まったままだったりして、街としての勢いが衰え始めている。
しかし「自分の店を持ちたい」と考えている若い人たちにはこれもまたチャンスで、裏原宿に新しい転機が生まれようとしている、そんな時代なのかもしれない。
『AMETORA 日本がアメリカンスタイルを救った物語』DU BOOKS
デーヴィッド・マークス 奥田裕士/訳