2018/08/15
田崎健太 ノンフィクション作家
『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』東洋経済新報社
松本創/著
仕事柄、資料として一日に十冊読むこともある。本を読むのは早いほうだろう。そんなぼくが、この『軌道』に関しては、なかなか読み進めることが出来なかった。
この本は神戸新聞出身のフリーランスライター、松本創が二〇〇五年四月二十五日の福知山線脱線事故を描いたノンフィクションである。
主人公は、淺野弥三一という六〇歳を超え、人生の先が見えてきた男である。これまで彼は仕事一筋の人生を送ってきた。引退した後、家庭のことを任せきりにしていた妻と二人でゆっくり旅行に行くというのがささやかな夢だった。そんなとき、事故で妻と妹を失う――。事故からしばらく、彼は五感が失われたように、何も感じることができない状態に陥ったという。
妻の通夜に現れたJR西日本の人間たちは、ありきたりの言葉で謝罪を並べた。淺野が適当に相づちを打っていると、補償の話を切り出した。その態度に淺野は憤る。
〈「誠心誠意の謝罪」「100パーセント当社に責任がある」と口では言いながら、その実、被害者に与えた損失や苦しみや窮状を一つも理解しようとせず、自社の論理や組織防衛ばかりを優先する〉
我々が事故報道で目にするのは、死亡者の名前、あるいは何人死んだのかという無味乾燥の数字だけだ。可哀想にと嘆息することはあっても、その一人一人に家族がおり、彼らの人生を大きく変えてしまうことに思い至らない。
著者の松本は淺野に寄り添うことで、事故の深部に入って行く。
淺野は都市計画を進めるコンサルタントである。その中の一つに阪神淡路大震災で破壊された神戸市須磨区の千歳地区の復興がある。淺野の仕事は、神戸市が作成した復興計画に基づき、住民の話を聞き、提案をまとめていくことだった。区画整理が必要となり、その土地から出ていかなければならない人間もおり、強い反発もあった。住民の声に耳を傾け、行政との間でねばりづよく事を進めたのが淺野だった。組織の論理を知る淺野は事故被害者の会の中心としてJR西日本と向き合うことになった。「支援者」から「被害者」の代表になったのだ。
そこで彼はJR西日本の、硬直した官僚主義、自分たちの責任は認めないという無謬主義とぶつかる――。
前兆であった信楽高原鉄道の事故、その奥にあるJR西日本の体質、そしてその後の改善策を松本は丹念に追っていく。この本に読みにくさを感じたのは、前半の淺野の絶望に加えて、中盤から事故報告書などの“固い文章”が多く引用されているからだ。
ノンフィクションは何を描くかによって、取材、執筆スタイルが決まってくる。松本は膨大な資料を読み込み、客観性を担保しながら、事故に真摯に向き合うにはこの書き方しかないと判断したのだろう。ノンフィクションでしかできない、ずっしりとした重みのある労作である。
『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』東洋経済新報社
松本創/著