ryomiyagi
2020/10/19
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2020/10/19
『三度目の恋』
中央公論新社
「’16年に池澤夏樹さんが個人編集された『日本文学全集』で『伊勢物語』を現代語訳しました。実は私、学生時代から古典が苦手で、このときも古文参考書を買ってきて一から勉強しました。平安時代の文法と室町時代の文法が違うことすら知らなかったくらいです」
新刊『三度目の恋』の執筆のきっかけを尋ねると、川上弘美さんはそう経緯を話し始めました。
「訳し終えて思ったのは、現代に生きる私たちには業平の恋愛についてどうしても実感できない部分があるということでした。『伊勢物語』には女性とのやり取りだけでなく、仕事や主君のこと、男友達との関係など理解しやすいことも書かれてあるのですが……」
’17年のある日、東京都立川市にある国文学研究資料館から川上さんにお誘いの連絡が入ります。同館は日本のあらゆる文学資源を集めて学びたい人全員に公開している研究機関。そこが、この文学資源を使ってさまざまな分野のアーティストたちと共創するプロジェクトを立ち上げたのでした。
「第1回プロジェクトとして劇作家の長塚圭史さんやアニメーション作家の山村浩二さんらとともに声をかけていただきました。参加することで業平の世界がもっと深くわかるのではと思い、もちろん即座に承諾しました」
こうして平安時代の散文や和歌の研究者たちとワークショップを開始した川上さん。資料を見せてもらったり、時代を語ってもらったりしたことでインスピレーションがかき立てられていきました。
「業平がどうしてこんなにモテるのか、そこを追求したかったんです(笑)。そのため業平に突っ込める、分析的な第三者の視点が必要でした。ではその目を誰にするか? 文化をわかり合っている平安の同時代人ではなく、業平とは異なる性別の現代の女性の視点を選べばいいと気づいたんです」
ここであらすじを少々。現代に生きる梨子が主人公。梨子はすべての女を虜にする魅力的な男・ナーちゃんに幼いころから恋をし、長じて結婚します。しかし、ナーちゃんは結婚後もほかの女性たちと関係を持ち続けるような男。梨子は嘆き悲しみますが「それでも
ナーちゃんが好き」と対峙はしません。
34歳になった梨子は、偶然、小学5年生のときに別れた学校の用務員・高丘さんと再会し“魔法”を教えてもらいます。その後から梨子は、夢の中で江戸時代・吉原の遊女や、平安時代の女房としての生を生きるようになり……。
「館長のロバート キャンベル先生から『伊勢物語』は江戸時代のロングセラーだったと聞きました。当時、『仁勢物語』などパロディ本がいろいろ誕生したそうです。それを聞き“現代と平安だけでなく江戸時代も書きたいな”と」
これが作品に功を奏します。現代の物語と平安の物語を地続きにする装置になったからです。
「平安は貴族、江戸は武士とそれぞれ異なる社会構造や文化背景があります。その中で愛とは何かを深く考えていく作業になりました。平安時代にも当然惚れた腫れたはあったでしょうが西欧的な“愛”の概念はあったのか? エロスへの感受性は? 一人の相手だけに執着したのか? と、平安の“愛”を突き詰めて考えていきました。それに比べ、江戸時代は今の私たちに近い“愛”。だからちょうどいい傾斜ができた。そして改めて、やはり平安時代は面白いと思いました」
『伊勢物語』を知らなくてもOK。誰かを愛し、嘆いたり、戸惑ったりする人の心の深い営みが柔らかな言葉で綴られます。何より登場する女性たちが痛快! 読み終えるのがもったいない物語です。
おすすめの1冊
『パトリックと本を読む』白水社
ミシェル・クオ/著 神田由布子/訳
「アジア系アメリカ人の著者が殺人を犯したアフリカ系アメリカ人の教え子と本を読む。異なる文化を持つ者同士がわかり合っていく過程を描く、希望にあふれる貴重な記録。『三度目の恋』の執筆に通じるものがありました」
PROFILE
かわかみ・ひろみ◎’58年東京生まれ。’94年「神様」でパスカル短篇文学新人賞を受賞しデビュー。’96年「蛇を踏む」で第115回芥川賞、’99年『神様』で紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞、’01年『センセイの鞄かばん』で谷崎潤一郎賞、’07年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞、’15年『水声』で読売文学賞、’16年『大きな鳥にさらわれないよう』で泉鏡花文学賞を受賞。’19年、紫綬褒章受章。
聞き手/品川裕香
しながわ・ゆか◎フリー編集者・教育ジャーナリスト。’03年より『女性自身』の書評欄担当。著書は「若い人に贈る読書のすすめ2014」(読書推進運動協議会)の一冊に選ばれた『「働く」ために必要なこと』(筑摩書房)ほか多数。
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