図鑑は「世界の扉」である(2/4)――世界が驚嘆!牧野富太郎のクレイジーな生涯

三砂慶明 「読書室」主宰

『牧野富太郎自叙伝』牧野富太郎/講談社学術文庫
『樹と言葉』エクリ
『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』牧野富太郎/平凡社
『牧野植物図鑑の謎』俵 浩三/平凡社新書

 

写真:濱崎崇

 

大人や子どもを熱狂させる「図鑑」とは、一体何なのでしょうか?

 

その定義は、大辞林第三版によれば「図や写真を中心にして事物を系統的に解説した書物」です。また、図書館司書の信頼の篤い日本大百科全書(ニッポニカ)によれば、「『図鑑』と命名されたものは牧野の『日本植物図鑑』(1907・明治40)が最初で、これは現在も改訂刊行され、『新日本植物図鑑』として利用されている」とあります。

 

世界的な映画監督・宮崎駿に「照葉樹林文化論」などで深い影響を与えた植物学者・中尾佐助は、人類のありとあらゆるものを分類して独自の考察を加えた『分類の発想 思考のルールをつくる』(朝日選書)の中で、「この植物図鑑という形式の植物分類学の本は、牧野博士の発明品で、外国にも先進国にもない形式である」と書いています。

 

つまり、私たちが図鑑と聞いて思い浮かべる形式をつくったのは、牧野富太郎だ――といっても過言ではないでしょう。

 

今回は、この波乱万丈な人生を送った稀代の植物学者・牧野富太郎を通して、図鑑の謎に触れる本をご紹介いたします。

 

まずは『牧野富太郎自叙伝』(講談社学術文庫)です。

 

牧野は世界的な植物学者で、日本にある植物約6000種のうち、牧野が発見して命名したものが1000種に及ぶといいます。牧野の代名詞でもある『牧野日本植物図鑑』がなければ、日本の植物研究は不可能といわれるほどの偉大な業績を残しました。

 

小学校を2年で中退して以来、素封家だった実家を破産させるに至るまで研究に注ぎ込み、独学でその学問を究めました。

 

「私は来る年も来る年も、左の手では貧乏と戦い右の手では学問と戦い」といった牧野の言葉は本当で、家財道具は債権者に差し押えられ、毎年、年の瀬になると引っ越ししてまわったと、娘の鶴代は振り返っています。

 

この天衣無縫の研究者を支えたのは、糟糠の妻・寿衛子で、お産のわずか3日後に債権者を追い払ったり、貧乏のどん底から家計を立て直すために、素人ながら渋谷の花柳界で待合(客が芸者を呼んで遊ぶ所)を経営したりと、牧野のために奔走しました。寿衛子が牧野のことを、よく冗談で「まるで道楽息子を一人抱えているようだ」と言っていたそうですが、まさしく本音だったに違いありません。

 

寿衛子を原因不明の病で亡くしたあとも、牧野の研究への情熱は衰えることなく、北は北海道、南は台湾まで、山という山で植物を採集し続けました。

 

牧野のタフさは想像を絶しており、大分県でスズメバチに10か所を刺されても痛いとも言わず、九州の山で岩の上にすべり落ちた後、あまりに寝込み方がひどいのでレントゲンを撮ってみたら背骨が2か所折れていたという鉄人ぶりです。

 

普通なら即死レベルの事故でも意に介さず、中国にまでも渡り、90歳を超えても夜中の2時ごろまで原稿を書く牧野を評して、明治・大正・昭和三代を生きた日本の代表的ジャーナリスト長谷川如是閑(にょぜかん)は「あの人のからだは不死身」とさえ言っています。

 

一頁ごとにドラマがある本書は無類の面白さですが、その真骨頂は「牧野節」です。

 

2010年10月に高知県立牧野植物園で開催された「樹と言葉 展」をそのまま紙のなかに綴じこめた『樹と言葉』(エクリ)には、牧野の「草木は私の命でありました」にはじまる「わが生い立ち」の一節がまるで詩のように記されていて、その言葉に牧野の横顔が見えるような気がします。

 

さらに牧野節を堪能するなら、おすすめは『牧野富太郎 なぜ花は匂うか』(平凡社)。「植物と心中する男」や「なぜ花は匂うか」など代表的なエッセイはもちろん、ここでしか読めない「バナナは皮を食う」など、牧野のエッセンスが宝石箱のように詰まっています。

 

しかしながら、主なものを数えただけで91冊をこえるほど膨大な著作を残した牧野が、自叙伝やその著作にあえて書かなかった事実があります。それは、同時代を並走した植物図鑑の仕掛け人・村越三千男についてです。

 

造園学者・俵浩三の労作『牧野植物図鑑の謎』(平凡社新書)は、村越が牧野との蜜月時代を経て破局し、熾烈な出版競争から歴史の片隅に消えるまでを、気の遠くなるような膨大な資料を駆使して描き出しています。

 

俵が何気なく古本屋で手に取った、古ぼけた『大植物図鑑』が実は、この村越の手掛けた植物図鑑で、奥付に記された日にちを見て驚きます。牧野が手掛けた『日本植物図鑑』と発行日がたった一日しか違わなかったのです。これにはきっと何か意味があるに違いないという俵の気づきと執念が、歴史に埋もれた図鑑の真実に光を当てます。

 

村越は当時の広告や研究史、自叙伝や伝記、興信所の資料にもない無名の人でした。記録にない村越の仕事と生涯を求め、古本屋や各地の図書館をたずね歩きまわる俵は、その過程で、図鑑という言葉の起源や、図鑑形式のレイアウトの発明者、そして当時なぜ植物図鑑が同時多発的に出版されたのかという謎まで解き明かしていきます。

 

そして俵は、村越三千男という無名の男の存在こそが、牧野を触発し、図鑑という言葉に市民権を与える原動力となった、名字を図鑑の前につけた異例のタイトル、『牧野日本植物図鑑』を生み出したのではないか、という大胆な推理を展開します。

 

手に汗にぎる展開と、図鑑の知られざる真実という大どんでん返し!
図鑑という日本でおなじみの言葉や形式の背景に、ここまで壮大なドラマがあったことに驚かされます。

 

撮影:濱崎崇

 

『牧野富太郎自叙伝』講談社学術文庫
牧野富太郎/著

この記事を書いた人

三砂慶明

-misago-yoshiaki-

「読書室」主宰

「読書室」主宰 1982年、兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社などを経て、カルチュア・コンビニエンス・クラブ入社。梅田 蔦屋書店の立ち上げから参加。著書に『千年の読書──人生を変える本との出会い』(誠文堂新光社)、編著書に『本屋という仕事』(世界思想社)がある。写真:濱崎崇

関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を