一度、ためしに、小さく負けてごらん。雀聖の心に沁みる名作『うらおもて人生録』

吉村博光 HONZレビュアー

うらおもて人生録』新潮文庫
色川武大/著

 

 

私が、阿佐田哲也名義の『麻雀放浪記』を読んで、度肝を抜かれたのはいつの頃だっただろう。父親から教えられ、私は競馬も麻雀も小学生の頃に覚えた。真田広之と鹿賀丈史の映画「麻雀放浪記」は1984年、私が14歳の頃の公開である。映画を自宅で観た後、原作を読んだことを覚えている。おそらく、私はもう高校生にはなっていたと思う。

 

この『うらおもて人生録』は、阿佐田哲也が本人名義で書いた本である。私は、社会人になってから本書を読んだ。「あぁ、この人は骨の髄までギャンブラーだナ」と感じ、心のヒダがピクピク動いた。小学生から競馬との縁を一度も切らなかった私にとって、自己輸血されたような快感だった。その後私は、人生の転機に、何度もこの本を読んできた。

 

ギャンブルをする人を、毛嫌いする向きもある。私に言わせると15戦全勝を目指している人たちだ。どの人生も、良いことばかりは続かない。勝つこともあれば負けることもある。ただ、結果としてプラスにすることはできるのだ。そのための力を、私はこの本からもらってきた。例えば、本書には、次のような記述がある。

 

目標は九勝六敗だ。
とすると、どういう黒星を背負いこむか。
まァこれは自分で自由自在に選ぶというわけにはいかない。そんなことができたら、全勝だって至難じゃない。
自分のまわりに近寄ってきたさまざまな黒星の可能性の中から、適当なものを選んで自分の黒星にひきこむ。或いは、自然に黒星がついてしまったのを、ただ認識するだけでもいい。 ~本書「黒星の算えかた──の章」より

 

著者は、戦後数年間、放浪と無頼、博打などの職を転々とするアウトロー生活を送っている。そんな著者とは比べられないが、私は学校からの帰り道で石ころを蹴りながら、「今日は運があったか。運とは何か」という問題を毎日考えているような小学生だった。

 

当時、フォルクスワーゲン(ビートル)を見たら良いことが起こる、という噂が子供たちの間に流行ったが、それが停まっている家をワザワザ通って帰ったりしたものだ。競馬、麻雀、パチンコ。私の人生にはギャンブルがついて回っている。筋金入りには違いない。

 

著者はアウトロー生活から足を洗い、カタギとして生きることを決心し出版社に就職する。そして、最終的には作家になるのだ。本書は、アウトローからカタギにあがってからの渡世の流儀をまとめた本である。若い友人に語りかけるような口調がとても優しい。

 

優等生がひた走る本線のコースばかりが人生じゃない。ひとつ、どこか、生きるうえで不便な、生きにくい部分を守り育てていくことも、大切なんだ。勝てばいい、これでは下郎の生き方だ…。著者の別名は雀聖・阿佐田哲也。いくたびか人生の裏街道に踏み迷い、勝負の修羅場もくぐり抜けてきた。愚かしくて不格好な人間が生きていくうえでの魂の技術とセオリーを静かに語った名著。  ~本書表4より

 

これは、本書の裏表紙に書かれた説明文である。これを読んで心を動かされない人はいないだろう。こんなよくできた文章はなかなかないので、そのまま引用させていただいた。補足するとすれば、一つ一つの章が短くて全部で55章ある。カバンに入れておいて、移動時間に気軽に読める本である。

 

「一度、ためしに、小さく負けてごらん。」本書は、そう語りかける。

 

先にあげた「黒星の算えかた」の話を続けたい。私は子供の頃、クンロク(9勝6敗)大関と呼ばれていた初代貴ノ花が大好きだった。何度も全勝優勝をする横綱北の湖を「なんて品がないのだろう」と毛嫌いしていた。「王・大鵬・卵焼き」。子供なら、強い力士を応援するのが合理的だと思うが、なんとも非合理な話である。

 

非合理といえば、最近、行動経済学の本を読んだ。2002年と2017年にその研究者がノーベル経済学賞を受賞している。伝統的な経済学は、合理的な人間像を想定していた。しかし行動経済学では、人間には合理的な判断から逸脱する傾向(バイアス)が存在することを想定するようになった。『医療現場の行動経済学』HONZレビューはこちら

 

学問の世界ですら、変わってきている。負けの機微もわからず全勝しようと躍起になって生きていくのは、危険なことなのではないか。色川武大の言葉を借りると「下郎」なのではないか。かつてはMBAをとったエリートの意思決定がもてはやされていたが、今では、MBAは「お荷物」と言われるようになりつつある。

 

それはそうだろう。過去の金科玉条に従っていては、変化についていけない。私は本書を、ギャンブル嫌いの方やMBAホルダーの方にこそ読んでもらいたい。全勝を目指して蓄えてきた豊富な知識に、鉄火場の対応力が身につけば「鬼に金棒」だからである。ただ、そういう人が本書を理解できるかどうかを考えると、世間は本当によくできてるナ、と私は思う。

 

そもそもギャンブルは、主催者がテラ銭を取る時点で、参加するのは非合理だ。しかし、参加者には「自分こそ、勝ち側に入れる」というバイアスが働くのである。そしていざ鉄火場に入れば、そこにも様々なバイアス(人情の機微といってもいいか)が働き、それによって場が微妙に動く。それを見極める力がないと、生き残れない。

 

本書を読むことは、身を賭して知りえたバイアスの数々を、著者からこっそりと耳打ちしてもらうことに似ている。それを教えてもらったうえで、ぜひ「ためしに」「小さく」負けてみたいものだ。ちなみに私は、かつて大きく負けたことがある。その話はまた後日、グラスを傾けながら、ということで。今日は、この辺で。

 

『うらおもて人生録』新潮文庫
色川武大/著

この記事を書いた人

吉村博光

-yoshimura-hiromitsu-

HONZレビュアー

出版取次トーハン就職後、海外事業部勤務。オンライン書店e-honの立ち上げに参加。その後、ほんをうえるプロジェクトの初期メンバーとなり、本屋さんの仕掛け販売や「AI書店員ミームさん」などの販促活動を企画した。一方でWeb書評やテレビ出演などで、多くの本を紹介してきた。50歳を機に退職し今は無職。2児の父で介護中。趣味は競馬と読書。そんな日常と地続きの本をご紹介していきたい。


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