2018/10/30
内田るん 詩人・イベントオーガナイザー
『あなたにここにいて欲しい』ハルキ文庫(角川春樹事務所)
新井素子/著
読書好きな友人が「コレ、るんちゃん好きかもよー」って貸してくれたのがこの本なのだけれど、ちょっとちょっと、勘弁してくれよ~って言いたくなるほど古臭い80’sノリ!確かに活字が苦手な私にもすごく読みやすい口語体で、さすが「ラノベ」の雛型を作ったと言われている(らしい)、SFファンタジーのプリンセス、新井素子先生……。
とはいえ、最近はあまり聞かなくなった「超能力」(!)というキャラ設定や、クライマックスへ向けて非日常感を出すための〈舞台を遠くに移す〉という手法も、今読むと必然性が薄いし~「これ、超能力を絡めなくても同じテーマで書けたんじゃない?」「東京が舞台なのに、わざわざ山口県の秋吉台まで行く必要ある?」って読んでてツッコミまくり。80~90年代に使い古された、この手の盛り上げ演出……。記憶に残っている分、読んでいてモヤモヤするっていうか、私くらいの世代からの距離感としては、平成最後の年に読むには近代古典として時期尚早というか、正直ツライ……!(なのにスイスイ読めちゃうのが、逆に凄いと思うけど)
この作品が書かれたのは1984年……私が2歳の頃ですな。高校生でデビューし、これを書いたのは新井素子先生が23歳の冬。作品の題はピンクフロイドの曲、“Wish you were here” から。作者と同じ“23歳の女性”の主人公と幼馴染、女性ふたりの共依存的な友情関係と、そこから脱却し、もう一度出会い直すまでを描いた「ファンタジー小説」……なのだが、実際はこの物語の主題は、家族の不和による愛の渇きと、身近な人間との愛憎だ。
……重い! そして今ではさほど珍しくもないテーマ。しかし当時は、若き天才作家が書くに足るテーマであったということに、時代の変遷を感じるな~。
この小説の中で特に力が込められていたと感じたのは、主人公の母親への怒りと怨みつらみの吐露の部分。話が飛ぶようだが、私は自分の同性の友人たちを見ていて長年疑問に思っていたことがある。それは彼女たちの多くが、思春期を過ぎた頃から母親を批判しなくなることだ。母親は「完璧な人間」ではない。「どこにでもいる生身の人間」のもとに生まれ、育てられたのだから、支えてもらう時もあれば、抑圧を受けたり衝突する時もあったはずだ。兄弟姉妹や父親を悪く言う姿はよく見かけたが、母親に関しては、何故か庇う傾向が友人たちにはあった。
私の見るところ、世間の母親は娘に対し、「常に自分の味方であること」を期待しているし、「母親に反抗的な娘」というものは日本家庭においては「問題のある子供」とされてきたのではないだろうか? 家父長制において、息子は母親にとっては異性である「男性」として、父や夫と並ぶ、自分が「仕える」対象だけれど、「娘」は母親をどれだけサポートできるかでその評価が決まり、一個の人格としては認められない、という空気がある……いや、あった気がする。日本ってそんな国よ。
そう、この小説はきっと、革新的だったのだ!80年代の日本で「娘が母親に恨みを持っていることを表明する」という点で!
私は、「子供を産むのは素晴らしい」「子供を産まないとわからない歓びがある」といった意見を聞くと、眉唾だなと警戒する。そりゃ赤ちゃんは愛くるしいかも知らんが、血が繋がっているというだけで「無償の愛」など持てるものだろうか? 我が子であっても相手は他人だ。どんなことも苦にならないほど可愛く思える時もあれば、余裕がなくて「自分のことだけ考えてればよかった頃の身軽さが恋しい」と思う時もあるはずだ。実際、「我が子をどうしても愛せない」って人も何人か知ってるし、愛って出産すれば勝手についてくるようなお手軽な奇跡じゃないはずだ。そんなもん幻想だ! 神話だ!
物語のクライマックス、ドラマは急速に、文学的な抽象性を帯びた人間賛歌へと昇華されていく。(ので吃驚した)
主人公の「真実(まみ)」は、無条件で愛される喜びと、無条件で愛する喜びは、どちらもナルシズムであり、それが人間なのだ、と発見し、自分を赦し、母を赦す……。
「誰かのために生きる」のは時に幸福だが、不幸だ。「自分のためだけに生きる」のも、幸福だが、時に不幸だ。
「母の愛」って、美しい?それがなくちゃ、生きていけない? 幸せになれない?殺したいほど憎むような愛って、必要?
30数年の時を経て、作者・新井素子が、あらためて現代を生きる私たちに問いかけてくるようだ……。
『あなたにここにいて欲しい』ハルキ文庫(角川春樹事務所)
新井素子/著