コカ・コーラはなぜ薬局でしか買えなかったのか?『歴史を変えた6つの飲物』

清水貴一 バーテンダー・脚本家

『歴史を変えた6つの飲物  ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラが語るもうひとつの世界史』楽工社
トム・スタンデージ/著 新井祟嗣/訳

 

本書は、人類の誕生からおよそ一万年の歴史の歩みを「飲物」という視点と史実を基に綴られている。紀元前の石器時代から現代に至るまで6種の飲物(ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラ)は、時に人々の信仰と希望をかき立て、また支配と混沌をもたらし、また、ある時は国家的シンボルとなって数多の戦争と共に歩んできたことに驚嘆させられた。そして、この6種の飲物が誕生しなければ、今日はまったく異なる生物が地球を支配していたのではないかとさえ思わせられた。

 

冒頭に「のどの乾きは、空腹よりも重大な死活問題だ」とした上で、人類史と飲物の壮大で緻密な物語が紐解かれる。まず人類の営みが狩猟から農耕へと生活様式が移行する。それよって排泄物問題が浮上すると、細菌で汚染された生水よりも安全な飲物が必要となった。生水に火を通すことでより安全な飲物になることを、太古の人々は理解していたようだ。生水の中に穀物や木の実などを入れ、火を通して食す。ビールの誕生は人々の生死に関わる生活の営みに自然発生的に発見されたことに納得させられた。

 

ワインは、ローマ帝国の王族や貴族の権力や財力を測るもっとも有効な飲物として愛された一方で、宗教とワインの関係も実におもしろい。キリスト教がワインを象徴的に肯定しているのに対し、イスラム教は禁酒である。アラー曰く「ワインと賭け事は悪魔が作り出した醜悪なもの…(中略)…汝等の敵意と憎悪をかき立て、アラーの存在を忘れ、祈りを怠らせようとしている。これらを慎んではどうか?」とあるが、禁酒のきっかけは、二人の弟子が酒宴の席で酒に酔って衝突しただけのことだという。バーテンダーであるわたしが、毎夜目の当たりにしている情景が、イスラム教理のひとつとなっているのには、甚だ信じ難いものがあった。ワインは、ローマ帝国から現在に至る、普遍的な虚栄と格差の親と言ってもいいのではないか。

 

帝国が滅んだ後の10世紀頃には、蒸留技術と大航海時代の幕開けだ。ワインやビールの樽は重量オーバーになるため航海には不向きだ。それに変わって蒸留酒が満を持して台頭する。アルコール度数が高く、少量で手っ取り早く酔えたから船乗り達に人気となったというのが愉快である。歴史の流れの中で、酒の出生と必然性はこうして繋がれてきた。だが、この「酔い」については賛否があったようだ。時代が現代に近づくにつれて、朝に少量の酒を口にする習慣から、カフェインを含むコーヒーが、ヨーロッパの学識者の間で広がったという。著書には「飲む者を酩酊させる代わりに覚醒を促し、感覚を鈍らせて現実を覆い隠す代わりに知覚を鋭敏にする飲料」とあるが、コーヒーの登場は(とくにイギリスでは)人々の知性の欲求を育み、あらゆる学問と経済を飛躍的に成長させた立役者と言っていいようだ。この頃から昼酒は「古き悪しき習慣」とされ始めたようだ。

 

一方、黄河時代から独自の文明を進化させた中国は、16世紀に入りヨーロッパ諸国と貿易を開始する。お茶の登場だ。中国は緑茶を好んで飲んでいたが、貿易は緑茶葉を一日酸化させてできる紅茶だった。「中国人の中に、外国人には紅茶を飲ませておけばよいという考えが生まれた」らしいが、この紅茶の酸化した苦みが逆にヨーロッパでは爆発的に支持され、現在に至っているのだから皮肉なものだ。

 

 

さて6つ目の飲物は、近代の大発明でアメリカの象徴的シンボルとなったコカコーラだが、薬剤師が頭痛薬の開発中に偶然発見したことと、当時は薬剤飲料として薬局でしか商品を卸せなかったというコカコーラの冴えない下積み時代も滑稽でいい。それが偶然と奇跡のマリアージュによって、アメリカの象徴になっていく姿は、まさにアメリカンドリームの先駆者そのものだ。

 

残念ながらこの6種の飲物の中に日本酒は含まれてはいない。あくまでも世界規模という観点からみると納得であるが、なによりも日本には古来より、純度の高い生水が人々を支えたのだろう。もし劣悪な水の国であったなら、外国に安住の地を求め、われわれの祖先はさっさと旅立ったに違いないと想像してみる。

 

あらためて店の冷蔵庫やボトル棚を眺めてみる。人類が「生きる」という営みの中で苦悩の選択を繰り返し、発明され愛され続けた飲物がすべて揃っている。いつもより神々しく映るのは気のせいか? 今宵は、ギリシャ神話の酒神デュオニュソスや、ローマ神話のバッカス神に感謝しつつ本書の蘊蓄をさっそく披露しながら一杯やるのも悪くない。

 


『歴史を変えた6つの飲物  ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラが語るもうひとつの世界史』楽工社
トム・スタンデージ/著 新井祟嗣/訳

この記事を書いた人

清水貴一

-shimizu-takakazu-

バーテンダー・脚本家

1972年生まれ、石川県金沢市出身。  1999年、東京・中目黒でbar「パープル」をオープン、現在もバーテンダーとして働いている。脚本では、ショートアニメ「フルーティー侍」「マルタの冒険」などがある。

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