2018/09/03
田崎健太 ノンフィクション作家
『トマト缶の黒い真実』 太田出版
ジャン=バティスト・マレ/著 田中裕子/訳
世の中には多くのニュースが溢れている。例えば、こんな風だ。
〈中国政府の新疆ウイグル地区への弾圧〉
〈EU各国が頭を悩ます、アフリカからの難民問題〉
〈北半球の先進工業国と低緯度地区及び南半球の国々の南北問題〉
フランス人ジャーナリストの、ジャン=バティスト・マレはこれらが全て、「トマト缶」という地下水脈で繋がっていると書く。
この本は新疆ウイグル地区から始まる。ここには新疆生産建設兵団が置かれ、国家の指導により植民地経営が行われている。濃縮トマトの生産はその一つである。
新疆ウイグル地区は石油などの天然資源が眠り、核実験が出来る砂漠がある。それに加えて“農業工場”でもあるのだ。だからこそ、中国政府はウイグル民族を追い出し、徹底的に弾圧するのだと、膝を打つ人もいるだろう。
舞台はイタリアに移る。
この濃縮トマトはイタリアに輸出され、「水」を加えられて、イタリアの国旗を連想させる缶に詰めて出荷される。
〈あまりおおっぴらには言えないが、現在のヨーロッパでは、トマトペースト缶に関して消費者に選択の自由はまったくない。確かに、競合各社は「自由」で公正な競争を行ない、市場では商品が「自由」に流通されてはいるのだが。唯一、消費者が選べるとすれば、各社のマーケティング部門で考案された個性的なパッケージデザインだけだ。だがいずれのパッケージにも原材料の原産地はほとんど記されていない〉
中国産のトマトペーストは、「イタリア」製として欧州各国で売られていく。ブランドは違えど、その中身は同じだ。
もっともひどいのはアフリカ向けの商品だ。
原材料表記に「トマト、塩」しか書かれていないトマトペースト缶にトマトは半分以下しか含まれていないという。残りは添加物。この品質の低く、そして安価な中国産トマトペーストがアフリカ大陸を席巻し、地元のトマト栽培産業は駆逐。職を失った人間たちは、国を出て、難民としてヨーロッパに向かうことになる。
彼らの目的地の一つはイタリアである。
二〇一五年から二〇一六年までにイタリアにやってきた三〇万人のアフリカ人移民の多くは、故郷で農業に従事していたという。彼らは「ゲットー」と呼ばれる難民キャンプに押し込まれ、劣悪な労働環境の中で働かされることになる。そこに未来はない。
この本の中には、車の残骸の中で暮らしているアフリカ人が出て来る。彼は足に怪我を負い、仕事に従事することができなくなったのだ。
〈夏の暑さに参ってしまったのだろう。ほかのアフリカ人移民にめぐんでもらう食料だけを頼りに、なんとか命をつないでいる。ゲットーには野良犬がいるが、あたりを跳びはねたり、木陰でのんびり眠ったりしていて、この男よりもずっと幸せそうだ。男はゆっくり息を引き取ろうとしていた。目の前に広がるのは果てしない孤独だけだ〉
著者はアフリカに飛び、ガーナのトマト缶製造を仕切る中国人のリウ将官を捕まえる。彼は新疆ウイグル産のトマトペーストをアフリカ中に広めたいと語る。
「わたしがここでしているビジネスは、習近平国家主席による国家発展計画に組みこまれているんだよ。あの一大プロジェクト、新シルクロード(一帯一路)構想だ。あれを加工トマト産業風に言い表すなら、“新疆がスタートで、ガーナがゴール”というところだ」
一帯一路とは中国による世界の食支配でもあるのだ――。
実に刺激的で、背筋が寒くなる作品だ。
ただ、ぼくが本当に打ちのめされたのは、訳者による後書きだったことを告白せねばならない。
工場の“盗み見”、業者を名乗っての調査など手練れの取材を行い、本作品を書き上げた著者は一九八七年生まれだった。原書発売の二〇一七年時点では三〇歳。恐るべき書き手である。
『トマト缶の黒い真実』 太田出版
ジャン=バティスト・マレ/著 田中裕子/訳