「そもそも史料のない文明の方が多いんです!」歴史小説家の地味~な日常#1
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『賢帝と逆臣と』(講談社文庫)や『劉裕 豪剣の皇帝』(講談社)などの著書を持つ歴史小説家・小前亮先生による、“キャラ重視の人物事典”『世界史をつくった最強の300人』がついに文庫化! 世界の偉人たちのアクの強いエピソードを多数紹介した本作は、ひとりひとりが小説の主人公になりそうな程キャラが濃い!

 

これだけネタが豊富なら「小説を書くのに困らないのでは?」と思いきや……。

 

歴史を小説に昇華するのにはさまざまな苦労と過程が。歴史小説ができるまでの舞台裏を教えていただきました。

 

史料がないと歴史は描けない!

 

よく言われるように、歴史(history)と物語(story)の語源は同じです。歴史と物語には多くの共通項が存在します。もちろん、違いもあります。その点に留意しつつ、「歴史を描くとは」というテーマについて述べてみたいと思います。

 

最初に大事なことを確認しておきましょう。

 

歴史研究の対象となる文明やら文化やら民族やらのあいだに、優劣はありません。研究の蓄積があって、多くの史実が明らかになっているからといって、その文明がすぐれていたということにはなりません。

 

古代には世界各地に多くの文明が存在していましたが、詳細な歴史が判明しているのはエジプトとメソポタミアくらいです。

 

多くの文明には文字かその原形はあるのですが、充分なサンプルと手がかりがなければ解読できません。古代エジプトではヒエログリフの碑文が多く残されており、メソポタミアでは楔形文字の粘土板が大量に発見されています。ゆえに、人名もわかれば、何年にどんな出来事があったかも、ある程度まで再現できます。

 

一方、メソアメリカの古代文字やインダス文字、線文字Aなどは解読できていませんし、中国の甲骨文字や金石文は読めるものもありますが、占いの結果や青銅器の所有に関わる情報が多くて、史実の確定に用いるのは困難です。湿潤地域では、文字を記したものが残りにくいという問題もあります。

 

史料が少なくてよくわかっていないからといって、そこに歴史がない、人間の生活や社会がなかったとはいえません。それは、古代だけではなく、すべての時代にあてはまります。

 

一次史料、二次史料、どちらもそのまま使えるのか?

 

では、史料というのは具体的にどういうものをさすのでしょうか。

 

まず、文字が書かれたもの(文字史料)、文書類(文献史料)は、すべて歴史研究に用いることが可能です。古い時代では、建造物や自然の岩などに刻んだ碑文が重要になります。保存されやすく、つくった者の意思が明確なため(死者の業績を記録しようとか、大勝利を後世に伝えようとか)、利用しやすいのです。文献史料は多岐にわたります。歴史書や年代記から、個人の日記、文学作品、仕事の命令書や報告書、商売の帳簿、土地台帳、裁判の記録、税収の記録……それこそ枚挙にいとまがありません。

 

書かれたもの以外の史料(資料)もあります。考古学的な遺跡や出土物、遺物にくわえ、絵画などの芸術作品も史料になりうるのです。銘が入った剣や、出土した木簡など、文字の入った考古学的史料も多くあります。

 

これらの史料は、一次史料と二次史料に分けられます。

 

一次史料というのは、同時代史料といいかえてもよいでしょう。そのときその場にいた人の生の声であって、もっとも史料的価値が高いものです。

 

二次史料は後世の編纂物や回想などで、すでに当事者でない人の手や、後代の価値判断がくわえられているものです。中国や日本の「正史」や、歴史書、年代記の多くはこれにあたります。史料的価値は劣りますが、無視して研究するわけにもいきません。利用には細心の注意が必要になります。

 

一次史料と二次史料、どちらもそのまま使えるのか……というと、そうではありません。その資料は果たして本物なのかを確かめる必要性があるからです。

 

「史料批判」という言葉があります。史料の性格を把握し、信頼性をチェックして、いかにして用いるべきか検討する作業です。どんな史料であれ、すべて信用することはできません。この史料批判こそが、近代歴史学のよってたつ基礎になります。

 

【続く】

 

※この記事は『世界史をつくった最強の300人』より一部を抜粋して作成しました。

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小前 亮 こまえ りょう

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