発達障害特有の偏食――醤油が好き
岡嶋裕史『大学教授、発達障害の子を育てる』

 

今回は回答編ではないのだが、食べ物のことはよく聞かれるので、もう少し書いておこうと思う。

 

発達障害特有の偏食についてだが、「偏食なんて、よくあるでしょ?」と問われる。

 

それはまあ、そうである。特に小さな子にはよくあることだし、大人になったって偏食の人はいる。

 

ただ、それを言えば、自閉的傾向も小さな子にとってはよくあることだ。よくあることだから大したことない、と収束しないのがこの問題の悩ましいところである。

 

ぼくの勉強しているネットワークの分野でも、HTTP通信はよくある通信である。Webを閲覧するときに必ず使う。よくある、ありふれた通信だから、どんなときも無害かといえば、1秒間に100万発もやれば、それはDoS攻撃と呼ばれる。ようは程度の問題である。

 

定型発達の子と、発達障害の子は地続き(スペクトラム)ではあるのだけれど、ひとくくりにするのはやっぱり無理っぽくて、偏食もかなり程度が違う。

 

 

ぼくの場合は、醤油が好きだ。

 

醤油好きの人など、世の中にいくらでもいるだろう。でも、飲めるかと言われたら、けっこうな数の人が躊躇すると思う。体に悪そうだし。

 

ぼくは飲みたいのである。醤油は飲みもの。

 

でも、さすがに大人になると人目が気になるので(いちいち、色々説明するのも面倒だ)、卵かけご飯にカモフラージュする。

 

卵かけご飯を好きな人はかなりいる。善良な人々の目から見ても、危険な食べものには見えにくい。

 

でも、ぼくの目的は無害なたまごではない。取り立ててたまごは好きではない。好きなのは、そこにトッピングする醤油である。がーーーーーっといくのだ。周りの目があるので、最近は控え目にしているが。

 

外界からはなるべくたまごをかき回している姿に見えるように気を配っているが、よくよくのぞき込めば剣呑な黒い液体でしかないのは一目瞭然である。これをなるべく少なめのごはんにかけて、飲みものとして飲む。至福である。

 

 

焼肉のたれや、うなぎのたれもいい。

 

あれも飲みものとして優秀な部類である。

 

でも、どこかの「焼肉のたれ」を瓶からごくごくいくわけではない。いちど肉やうなぎにくぐらせたものがいいのだ。だから、焼肉に行って一番心躍る瞬間は、そろそろ火を落とそうかという、あのみんなが満腹の余韻に惚ける時間にある。平和に弛緩している人たちの目を盗んで、いかに無害そうにたれを飲むかが勝負である。

 

うなぎの高騰にしたがって、慶應の学食ではうなぎのたれめしを販売したそうだが、本当に残念なことに食べに行く機会がなかった。単に開封したたれをかけただけなのか、うなぎがくぐった履歴をもつたれが使われているのか、とても気になる。

 

何が幸せかといって、映画館でポップコーンを食べることほど幸せなことはない。幸せに形があるとしたら、きっとあんな形をしているのだろう。劇場版アニメというだけでこの世の快楽をかき集めて悦楽で煮染めたくらい嬉しいのに、それを鑑賞しながらポップコーンを食せるなど背徳感すらある。

 

ただ、観劇の途中でポップコーンがなくなってしまうことだけが怖い。途中で幸せを失うのは、最初から幸せがないより悪いのかもしれない。

 

だから、ほとんどのケースで、ポップコーンのLサイズを2つ買う。ポップコーンのサイズやかさかさ感というのは、劇場や興業会社によってかなり違うが、Lサイズが2コあればたいていの劇場で安全圏に入る。

 

TOHOシネマズがたまにやってるMEGAポップコーンは最高だ。あれはプレスリリースによれば10リットル、ふだんのLサイズがたしか3リットルくらいなので、どんなペースで食べても途中でなくなる不安からほぼ解消される。サイズからいってトレイに載ることはなく、抱えて食べるしかないので、鑑賞スタイルとしてはけっこう不自由なのだが、不安からの解放というのは、溺れるほど気持ちがいい。不自由さを補って余りある。不自由による自由の獲得とは、とても現代的だ。

 

ただ、必ず(おてふきの数の確認のために)「何人でお食べになりますか?」と聞かれるので(Lサイズでさえ聞かれる)、それなりに気の利いた返答の容易が必要である。そこで目をそらしておどおどしていると、それなりに事案である。

 

最近は鑑賞マナーがだいぶ行き届いてきたので、観劇中にポップコーンを食べてたら悪いかなと思って、あまり買わなくなった。あれ、テイクアウトできたらいいのに。

ぼくの子の場合は、のりとソースにこだわりがある。海苔巻きせんべいが手放せない(そして分解して食べる)のは以前にも書いたが、セ○ンイレ●ンのものしか食べない。ロー△ンやフ▲ミマのものではダメなのだ。わからないように、袋から出して与えても見分ける。

 

ソースはどこでもいいっぽいのだが、量に過剰がある。

 

本人が主張するにはたこ焼きが好きなのだが、あれはぼくの卵かけご飯と一緒でたんにソースが飲みたいだけだろう。放っておくと、ソースの海の中でたこ焼きが泳いでいるような地獄絵図が立ち現れる。

 

自分が「腎臓や肝臓に悪いよ」と言われても、「好きなものを飲んで死にたいなあ」くらいにしか思えないのだが、さすがに子どもに「好きなんだから、好きなだけ飲みなさい」とかやると虐待を疑われるかもしれないと思って止めに入る。

 

「発達障害の子は社会的な楽しみが少なくなりがちなぶん、食べ物で楽しませてあげましょう」は、色々な療育機関で教えてもらう事柄なのだが、なかなかままならないのである。

 

発達障害に関する読者の皆さんのご質問に岡嶋先生がお答えします
下記よりお送りください。

 

大学の先生、発達障害の子を育てる

岡嶋裕史(おかじまゆうし)

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、学部長補佐。『ジオン軍の失敗』(アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです!』(以上、光文社新書)など著書多数。
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