あの頃は、お母さんは厳しくてお父さんは優しいと思ってた 長田杏奈さんの母(前編)
小川たまか『私たちの母の話』

ryomiyagi

2019/11/22

今年6月に発売された『美容は自尊心の筋トレ』が熱い支持を受けている、ライターの長田杏奈さん。彼女の母は、美容部員(BA/ビューティアドバイザー)として今も仕事を続けている。そして、シングルマザーなのだという。同じ美容業界で仕事をする母について、話を聞いた。

 

脾臓破裂から九死に一生

 

――『美容は自尊心の筋トレ』の中に、美容部員をされていたというお母さんのお話が少し出てきます。

 

長田:はい。母は今年65歳でもう定年しているのですが、パートで今も美容部員を続けています。父とは離婚していて、シングルマザーです。「長田」っていうのは母の姓です。

 

美容は自尊心の筋トレ
長田 杏奈/著

 

――お母さんのご出身はどちらですか?
神奈川県の津久井郡。現在は相模原市に統合されたところです。学校まで山道を歩いたって話を聞きます。おてんばだったそうで。弟と妹がいて。

 

――長女でしっかり者?
弟がいじめられたらやり返す、みたいな。でも、小さい頃に三輪車を逆さこぎしていて崖から落ちたことがあって……。落ちたときにハンドルがお腹にあたって脾臓破裂。死にかけたそうです。

 

――九死に一生……。

本当に心電図が一度ツーってなって、「この子は死んだ」とみんな思ったそう。昔の手術だから手術跡が今も残ってます。そこで死んでいたら私は今いないですね(笑)。

 

大家族の「次男の嫁」への風当たり

 

――本当に助かって良かった!
中学時代は勉強熱心だったみたいですけど、高校に入ってからは「とっぽい」生徒だったみたい。「とっぽい」って言葉、昔ありましたよね。

 

――サザエさんの原作で出てきたのを見たことあります。不良っぽい、みたいな意味ですよね。
そうそう。高校ぐらいから、「いい子」でいるのをやめたみたいで。当時アルバイトしていたのが、父の実家のお蕎麦屋さんでした。

 

――そこで出会いが。
1974年に20歳で結婚。母は高校を卒業してから美容部員をしていたのですが、結婚を機にいったんやめて、お店の手伝いを。77年に私が生まれました。

 

――家族経営のお店?
地下1階、地上4階の建物で、地下に蕎麦工場があって、1階に蕎麦屋、2階は父母がやっているモダンなパブレストランで、3階と4階が住居。父は4人兄弟の次男で、祖父母も兄弟の家族もみんなそこに住んでいました。住み込みで働いている人もいて。

 

――大所帯!
そうそう。おじいちゃんを頂点とする大家族。母は次男の嫁だから、地位が低い。でも気が強いから、ちょっと風当たりが強かったみたいですね。おじいちゃんは私には優しかったけど、母はよく「生意気だ」と怒られたみたい。みんな揃わないとご飯を食べられないとか、お風呂も順番とか、かなり窮屈なところはあったでしょうね。

 

今だからわかる、母よりも父のほうが好きだった理由

 

――お父さんはどんな人だったんですか?
父はのんびりマイペース。優しいけど優柔不断。母は真面目で几帳面なタイプだったから、父にイライラするところもあったみたい。「お父さんはチャームをいつまでたっても決めてくれない。私は前日までに用意しておきたいのに」って言ってましたね。チャームっていうのはお通しのことです。

 

――家族で自営業、何かと大変なことも多そう。
レストランでは父が「マスター」、母が「ママ」って呼ばれていました。ランチもあるけど夜は「とっぽい」お客さんが来て、ディスコナイトみたいのがあったりして賑わっていて。私は調理場に置いてあったビーチチェアーに座って、玉ねぎ剥くのを手伝ったり、本を読んだりしていました。

 

――長田さんはひとりっこですか?
そうです。母が私を3階で寝かしつけてからお店を手伝いに行こうとするんですけど、私は「まだ楽しいことがあるんじゃないかな」って思って寝ない子で、母を困らせてましたね。

 

幼少期の長田さんとお母さん

 

――なんか、その様子が目に浮かびます。
子どもの頃は、母は厳しい人って思ってましたね。ご飯でも何でも「早くしなさい」って急かされることが多かったから。自営業の子どもってそうなのかも。お母さんは厳しくて、お父さんは優しいと思っていました。

 

――うちも共働きで、同じように思っていたのでわかるかも。
今思えば、母から見て父は育児の甘い汁だけ吸う夫だったんだろうなとか、わかる部分もたくさんあります。でも当時は、「パパとママのどっちが好き?」って聞かれると、内心パパかな……って思ってました。そんなこと言えないから「2人とも好き」って答えていたけれど。

 

「慣らし保育」ならぬ「慣らし離婚」を経て……

 

――大人な子ども……(涙)。
そんな大家族生活が終わったのが、小学校に上る前。大所帯で住んでいたビルから、両親と私の3人だけが出て、少し離れた場所にあるアパートを借りました。その頃から「慣らし保育」ならぬ「慣らし離婚」が始まっていたのかも。最初はアパートから両親がお店に通っていたけれど、だんだん父だけ帰ってこなくなったんですよね。

 

――だんだんと心の距離が。
小学校に上がるときに、父方の名字から「長田」になって。大家族から急に母と2人になって、受け入れられなくて七夕の短冊に「お父さんもお母さんも、犬も猫もみんなで一緒に住みたい」って書いた覚えがあります。離婚後すぐ、母は美容部員の仕事に復帰したんです。

 

――ということは、放課後はひとり?
そう。当時まだ地域に学童保育もなくて、友達と別れた後にお母さんが帰ってくるのをバス停で待っていた記憶がある。母が帰ってきたら、自転車に二人乗りして帰る生活。

 

でも、母は父と結婚した時点で調理師免許を取っていて料理がめちゃくちゃ上手だったこともあって、人はいなくなってさみしかったけど食卓や生活が侘びしくなった記憶はないんです。

 

――お母さんも一生懸命だったでしょうね。
そうだと思います。真面目な人で、毎日同じ時間に出かけて、長時間の立ち仕事。それになんの疑いもない。家でも外でも怠け者だったところを見たことがないです。そこがすごいなあと思う。

 

――勤勉な人。
はい。それで、しばらくして母に彼氏ができたんですよね。母より年上のちょっとした小金持ちで。

 

【長田杏奈さんプロフィール】
1977年神奈川県生まれ。ライター。中央大学法学部法律学科卒業後、ネット系企業の営業を経て週刊誌の契約編集に。フリーランス転身後は、女性誌やWebで美容を中心に、インタビューや海外セレブの記事も手掛ける。ユニット「花鳥風月lab」主宰。
ツイッターインスタ 

 

【年表】

西暦  個人史 社会史
 1954年 母生まれる  
 1972年 高校卒業、美容部員として働き始める  
 1974年 結婚  
 1975年   この頃からディスコブームに
 1977年 長女(長田杏奈さん)出産  
 1984年 離婚  
 1990年 長田さん、中学校入学 湾岸戦争始まる
 1991年    
 1992年    バブル崩壊
 1997年頃~    就職氷河期
 2000年 長田さん、大学卒業  
 2006年 長男出産  
 2009年 長女出産  
 2015年 母、定年を迎える  
 2016年   労働力人口総数に占める65歳以上の割合は11.8%で上昇し続けている

 

(後編へ続く)

私たちの母の話

小川たまか

ライター
主に性暴力、働き方、教育などを取材・執筆。
性暴力被害当事者を中心とした団体、一般社団法人Springスタッフ、性暴力と報道対話の会メンバーとしても活動。
初の単著『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を』(タバブックス)が発売中。
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