BW_machida
2020/11/18
BW_machida
2020/11/18
会社をやめて、ほとんどウチから出なくなったのが11年前。
それでも退社後しばらくの間はちょっとした出仕事が入ることも多く、会社時代のスーツやワンピースを引っ張り出して着ていたが、どうもしっくりこなかった。
初めての本が出版された頃、抗ガン剤治療で坊主頭と激痩せを体験した私は、四十半ばになっていた。着々と老化も進んでおり、それまで身に着けていたものがどんどん似合わなくなってゆく自分に、私は注視していた。
『毛のない生活』(ミシマ社・2012年)――編集者として本はたくさん出してきたが、著者としての本は初だった。乳ガン治療体験をつづったこのデビュー作の、版元であるミシマ社さんと、幻冬舎の後輩が幹事となって、出版記念パーティを開いてくださることになった。
パーティには出版関係者や同僚たち(退社した人ふくむ)を呼ぶという。
できればすっかり元気になった自分をみなさんに見てほしい。
身体を切ったり毛が抜けたりといった過酷なガン治療をのりこえてなお「若々しいね」と言われるような私でいたい。
・・・ではこんなとき、いったい何を着ればいいのでしょう?
世の中年女性が「ここぞ」というときどういうお洒落をしているのか、ギモンだったが、思い出した。そういえば、何度か仕事でご一緒していたユミリーさん(風水建築デザイナーの直居由美里氏)は、「ユキトリイ」を着ていた。私より十ほど年上のユミリーさんの、上品で華やかな装いに、「ステキだなあ」といつも感心していたのだった。そうだ、あれがいい。
ちょうどそう思っていた矢先、同居している母が、行きつけのデパート・柏高島屋で何パーセントかオフになってワゴンに吊るされてあったシマシマのワンピースを買ってきた。
「あんたにちょうどいいんじゃないかと思って」
それが偶然にも「ユキトリイ」だったのである。かなり細身だから、たまたま売れ残っていたのかもしれない。抗ガン剤で小さくなっていた当時の私に、ピッタリだった。
普段なら手の出ない高価な「ユキトリイ」のシマシマ・ワンピは出版パーティではもちろん、本のインタビューを受けるときや、対談などでも大活躍した。
ちょうどそのシマシマを着倒した頃、会社時代からお世話になっているアートディレクターの櫻井浩さんを通じて、新しいお仕事が来た。鳥居ユキさんの本「ユキトリイ・スタイルブック」の、コピーライター・・・? あの「ユキトリイ」のデザイナー、本物の鳥居ユキ氏が『毛のない生活』を読んで、私に文章を書いてほしいと、ご指名くださったというのである。
それからほどなくして、私は鳥居ユキさんご本人に呼ばれ、お食事をご馳走になった。
そのときお招きを受けたご自宅で、見せていただいたものがある。それは、箱に収められた大量の「ハギレ」だった。
半世紀を超えるデザイナー生活のなかで、溜まり続けた製作のかけら、小さなハギレの一枚一枚を取り出してみる。
どんな時代にも<自分だけのニュー=NEW>を見つける、そしてそれがずっとあとになって、少しずつ違ったかたちでまた自分のニューに戻ってくることがあるとユキさんはいう。大量のハギレは、その証拠品のようなものではなかったかと、いま思える。
「私はモノを捨てないの」
そうおっしゃって、宝石でも扱うようにハギレを箱に戻したユキさんの手もとは、あのときも、そしていまも、美しいマニキュアで彩られている。
『バブル』
山口ミルコ / 著
illustration:飯田淳
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