Canon’s note 5. 『最強のふたり』
映画がすき。〜My films, my blood 〜

BW_machida

2022/06/24

「ピュア」

 

駅の階段でベビーカーを下ろそうとしている母親を見つけた。咄嗟に「持ちますよ」と声をかけ、彼女と一緒にベビーカーを下ろした。彼女は「ありがとうございます」と言ってホームの端へと消えていった。

 

昔、何か人の役に立つことをすることに戸惑いを覚える時期があった。目の前にSuicaを落とした女性がいたとする。私は反射的にSuicaを拾い上げようと前かがみになるが、ふと、ある考えが私の頭によぎる。「これを女性に渡して感謝されたときに、どんな顔をしたらいいんだろう?」当たり前のことをして感謝されるのも、何だか申し訳ない気がする…。そもそも、自分では「当たり前」とか思っているけれど、本当は「やらなきゃいけない」と思っていないか?義務感からの行動は、親切というよりも、むしろ偽善じゃないのか?
こんな風に思い出したらもう、動けなくなる。その間にSuicaは近くにいた男性に拾われ、無事に女性の元へと返される。その光景を見てまた、あぁ、自分は卑怯な人間だと落ち込む。そんな時期があった。

 

大学を卒業して大阪の実家に帰っていたとき、母と枚方にある映画館に出かけた。そこでたまたまやっていた「フランスで大ヒット!」したらしい映画を観ることにした。「最強のふたり」は、当時の私のちっぽけな悩みを吹き飛ばす、そんな作品だった。

 

©2011 SPLENDIDO/GAUMONT/TF1 FILMS PRODUCTION/TEN FILMS/CHAOCORP

「最強のふたり」(監督:エリック・トレダノ、主演:フランソワ・クリュゼ、オマール・シー、日本公開2012年)

 

「最強のふたり」は実話をもとに作られたヒューマン・コメディで、アメリカなど数々の国でリメイクされている。
パリに住む大富豪フィリップは頚髄損傷で首から下が不随であり、その気難しさから自分の介護人を何人もクビにしていた。新しい住み込みの介護人を探していたところ、失業保険のための書類目当てで面接に来ていた得体の知れない青年ドリスと出会い、フィリップは周囲の反対を押し切ってドリスを雇う。ドリスは仕事ぶりは雑ながら、フィリップがこれまで多くの人に感じていた、障がい者に対する行き過ぎた気遣いや、無意識の差別を微塵も感じさせない。時には周りが冷や汗をかきそうなブラックジョークまでフィリップにかます。フィリップに会いに来た友人は「怪しい人間を近づけるな。みんな心配している」と忠告するが、「あいつの過去なんてどうでもいい。あいつは私にうっかり受話器をわたす。私が障がい者なのを忘れているんだ」とフィリップは言う。ドリスは口は悪いが、目の前のひとをありのままに見つめ、思ったことを包み隠さずちゃんと言う。良くないことは誰に対しても良くないという。そんなドリスにフィリップだけでなく、フィリップの養女や他の使用人たちも心を動かされ、屋敷全体がみるみる明るくなっていく。

 

フィリップには長年文通をしている女性がいた。彼女のことが気になりつつも自身の身体のことを知られることを恐れ、会えずにいたフィリップ。ドリスはそんなフィリップの背中を押すが、フィリップは直前で逃げ帰り、またドリスの弟が屋敷を訪ねてきたのを見て、いつまでもドリスを自分の元に置いておくわけにはいかないと、彼を解放することを決意するが…。

2011年の震災直後、芸能を始めて4年ほど経った頃、決して多くはないけれど少しはあったオーディションや現場もぱたっとなくなり、大学も春休みだったため、私は時間を持て余していた。芸能の側面からは無力でも、今の自分に何かできることはないのだろうか。当時所属していた事務所はバイト禁止だったため、私は有り余ったエネルギーをどこかにぶつけたくてしょうがなかった。そこで私はボランティアに行こうと考えた。

 

けれども東北へボランティアに行く度胸もない。それでも何か身近で出来るボランティアはないかと、私は当時住んでいた三鷹のボランティアセンターを訪ねた。そこで紹介されたのが、病気で入院している17歳の女の子の話し相手をするボランティアだった。四つ歳下の女の子か、うまく話せるかなぁと少し不安になったけれど、何かのご縁かもしれないと引き受けてみることにした。

 

数日後、ボランティアセンターから連絡があり、女の子のご両親の連絡先を教えてもらった。彼女と会う前にまず病院近くのカフェでお母さんと話すことになった。カフェに着くと、お母さんだけでなくお父さんもいるのが分かって、更に緊張した。お二人は丁寧に私に挨拶をし、娘について話し始めた。彼女は生まれつき身体が弱く、中学二年から今までの4年間をずっとICUで過ごしていて、自身の力では四肢を動かせず、呼吸もできないという。けれど意識ははっきりしていて、アニメや特にテレビドラマを観るのが大好きで、看護師さんとよくその話をして盛り上がるらしい。17歳になり、病院に先生が来てくれる養護学級制度が終わってしまったので、社会との繋がりを絶やさないためにも、話し相手になってくれる人を探していたのだという。
話の最後でお母さんが「ゆうこは自分が良くなると信じています。どうかお願いです、ゆうこがもうこの先回復する望みはないというのは、あの子には黙っておいて下さい」と涙を流しながら言った。お父さんは下を向いて黙っていた。冷や汗が噴き出した。軽い気持ちでボランティアをしようと思った自分が恥ずかしくなった。

 

話を終え、ご両親に連れられ、ICUに通された。そこで初めてゆうちゃんと対面した。
ゆうちゃんの痩せ細った四肢、シューシューとなる呼吸器機、脳味噌が流れたかのように変形している頭と、それにつられて伸びてしまった右側の顔を見て、正直、私、大丈夫だろうかと思った。お母さんが、ゆうちゃんのきれいな顔の方に私を座らせてくれた。平静を装って「こんにちは」と話しかけると、ゆうちゃんは目だけをこちらに動かして、私の不安を溶かすような笑顔で「こんにちは」と応えてくれた。

 

それから毎週水曜日にゆうちゃんに会いに病院へと通うようになった。最初はゆうちゃんが好きなドラマや映画、アニメの話をしたり、自分の少ない仕事上での経験話などをしていた。私の他愛のない話にも、ゆうちゃんは楽しそうに耳を傾けてくれた。そのうち、芸能ネタもつき、だんだんと話すことがなくなって来て、これからのゆうちゃんとどう過ごしていこうかと考えていた時、私が初舞台で「銀河鉄道の夜」のカムパネルラを演じた話をすると、どんなお話しか読み聞かせてほしいとゆうちゃんが言った。それをきっかけに、宮沢賢治、樋口一葉、太宰治、夏目漱石、ミヒャエルエンデ、様々な作家の作品をゆうちゃんと一緒に読んだ。ゆうちゃんは特に樋口一葉と夏目漱石を好み、私たちは両者の作品を長い時間をかけて読み進めていった。

 

それから4年半の月日が経った。引っ越しをしたり、少しずつ芝居の仕事が増え、ゆうちゃんに会うのは月に1、2回になっていた。火曜日になると、明日ゆちゃんの所へ行こうかどうしようかと迷うようになっていた。行けないことはないけれど、支度をして行って帰ってくるとあっという間に夕方になるな、結構間が空いちゃったな、どんな顔していけばいいんだろう、でも行った方がいいのは分かってるんだよな、とか葛藤しては変な罪悪感に苛まれるようになった。自分から始めたことなのに、楽しみに待っていてくれる人がいるのに、なんで行かないの?

 

ある日、お母さんからメールが届いた。明日の連絡かしらと思ってメールを開くと、それはゆうちゃんの訃報だった。突然すぎてわけが分からなかった。少ししてようやくその事実を身体が受け入れ始めた。涙と共に、あぁ、何でさいごにもっと行ってあげなかったんだろうとか、いろんな後悔の念が芽吹いてきた。ボランティアといいながら、私はゆうちゃんに何かを与えられていたのだろうか、いや、むしろ私がゆうちゃんにもらったもののほうがはるかに多い。本を読みながら、純粋に「なぜ?」を探求する彼女に私も突き動かされるように、そのなぜ?を探求した。彼女と本を読みながら、私自身めちゃくちゃ勉強させてもらっていた。私のような無名の役者の話を目を輝かせて聴いてくれていたゆうちゃん。私こそが彼女に支えられていたのだ。

 

数日後、ご両親からお手紙が届いた。ゆうちゃんが私のことを本当の姉のように慕ってくれていたこと、私との時間を本当に楽しみにしてくれていたこと、「しつこい性分でしたので、ご本を読むのも大変だったでしょう、本当にありがとうございました」と、5枚の便箋にぎっしりと感謝の気持ちが綴ってあった。
それはこちらのセリフです。本当にゆうちゃんにはかけがえのない時間を頂きました。ゆうちゃんと出会えてよかった。感謝しかありません。ゆうちゃんと過ごした日々の思い出や、感謝の気持ち、そして最後にちゃんと行ってあげられなかった後悔など、正直な想いを込めた手紙を書いた。

 

安易な気持ちで始めたボランティアだったけれども、私はかけがえのない時間をゆうちゃんと過ごすことができた。初めは私でも誰かに何かを与えられるかもしれないと思っていたけれども、蓋を開けてみれば与えてもらっていたのは私の方だった。正直、病院にいくのが辛いときもあった。ボランティアなんて偽善じゃないのか。自分なんかが行って何になる?と鬱屈したときもあった。だけども、いつでも、病院にいけばゆうちゃんが本当に喜んでくれているのが分かった。彼女の笑顔を見て、自分の変な罪悪感とか、どうでもいいんだと思った。ただただ必要としてくれる人がいるなら偽善でも何でも会いにいけばいい。私がそうしたいからしてるんだ。

 

ドリスは相手が「障がいを持っているから」とか、「辛い経験をしたから」とか、そんな「~から」をひょいと飛び越えていく。彼の目の前には、私たちが無意識に設けがちな「垣根」が一切ない。自分がやりたいからやる。彼の濁りないピュアな笑顔に、周りの人達も自然と笑顔になる。はじめは神経質そうだったフィリップの顔が、ドリスと過ごすうちにどんどんと、ステキな表情で溢れてくるのを見るのがとても心地良い。ドリス自身もまた、フィリップとの触れ合いを通して成長していく。複雑な生い立ちから目を背けていた自身の人生に、ちゃんと向き合い始める。
そんな二人のラストシーンの表情を見ると、毎回思わず涙が出そうになる。あんな美しい表情ができる人間になりたいな。

 

咄嗟に差し出す手、助け合い、ありがとうの気持ち。
たまにちょっぴり照れくさくなることもあるけれど、そんな時はゆうちゃんと、あの二人の笑顔を思いだす。

 

ふいにカメラを向けられると、ふざけてしまう。恥ずかしがり屋。

 

発売中『最強のふたり』¥1,257(税込)
発売・販売元:ギャガ

縄田カノン『映画がすき。』

縄田カノン

Canon Nawata 1988年大阪府枚方市生まれ。17歳の頃にモデルを始め、立教大学経営学部国際経営学科卒業後、役者へと転身。2012年に初舞台『銀河鉄道の夜』にてカムパネルラを演じる。その後、映画監督、プロデューサーである荒戸源次郎と出会い、2014年、新国立劇場にて荒戸源次郎演出『安部公房の冒険』でヒロインを務める。2017年、荒井晴彦の目に留まり、荒井晴彦原案、荒井美早脚本、斎藤久志監督『空の瞳とカタツムリ』の主演に抜擢される。2019年、『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』にてニコラス・ケイジと共演、ハリウッドデビューを果たす。2021年には香港にてマイク・フィギス監督『マザー・タン』に出演するなど、ボーダレスに活動している。高倉英二に師事し、古武道の稽古にも日々励んでいる。趣味は映画鑑賞、お酒、読書。特に好きな小説家は夏目漱石、三島由紀夫、吉村萬壱。内澤旬子著『世界屠畜紀行』を自身のバイブルとしている。
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