「シブラク」が成功した理由【第75回】著:広瀬和生
広瀬和生『21世紀落語史』

21世紀早々、落語界を大激震が襲う。
当代随一の人気を誇る、古今亭志ん朝の早すぎる死だ(2001年10月)。
志ん朝の死は、落語界の先行きに暗い影を落としたはずだった。しかし、落語界はそこから奇跡的に巻き返す。様々な人々の尽力により「落語ブーム」という言葉がたびたびメディアに躍るようになった。本連載は、平成が終わりを告げようとする今、激動の21世紀の落語界を振り返る試みである。

 

『昭和元禄落語心中』などをきっかけに、2016年頃に「リアルな落語」に興味を持った初心者にとっては、「初心者でも楽しめる」というキャッチフレーズを前面に打ち出している「渋谷らくご」(略称「シブラク」)は便利だったに違いない。実は『昭和元禄落語心中』のコミックス最終巻(第10巻)の巻末には「渋谷に来ないか」という番外編マンガが掲載され、「シブラク」をわかりやすく紹介していたりもする。

 

2014年11月から渋谷のライブスペース「ユーロライブ」で始まった「シブラク」は、毎月第2金曜から5日間開催される定例落語会で、1日2公演。主な公演形態は(1)2時間で4人が約30分ずつ高座を務める「渋谷らくご」、(2)1時間で2人が30分ずつ演じる「ふたりらくご」、(3)1時間を1人が受け持つ「ひとりらくご」の3種で、平日は18時〜19時の「ひとりらくご」または「ふたりらくご」と20時〜22時の「渋谷らくご」、休日は14時〜16時と17時〜19時の「渋谷らくご」2本。予約料金は「渋谷らくご」が大人2,300円/学生1,700円/高校生・落研1,000円、「ふたりらくご」「ひとりらくご」が大人1,000円/学生700円/高校生・落研400円で、当日料金は各200円増し。

 

その他に「創作らくご」「しゃべっちゃいなよ」(サブタイトルが「林家彦いちプレゼンツ 創作らくごネタおろしの会」)、「まくら王」(5人の噺家がマクラだけ語り、トリの演者がそれらを受けて落語を一席)といった特別プログラムが入ることもある。

 

客席はゆったりしていて座りやすく(これは重要だ)、居心地はいい。チケット代も手ごろだし、渋谷は若者にとって身近な場所であるだけでなく、どこから行ってどこに帰るにしても便利だ。一度行って気に入ったら、「通う」という習慣は付きやすい。平日2公演を昼夜でなく夜の「1時間と2時間」の組み合わせ、というのは新しい発想だ。

 

「シブラク」のプログラムの特徴は、若手中心であること。二ツ目も多く出演し、むしろ主力とさえ言える。178席の会場でチケット代を安く設定するため出演料は安く抑えたいから、という身も蓋もない言い方も可能ではあるにせよ、この顔付けは新鮮で、若い観客を惹きつける要因になった。

 

二ツ目には未熟な演者も多い。当たり外れも大きいはずだ。だが、「まだ若手だから」という要素は大きなプラスになる。若い観客ならその未熟さもひっくるめての親近感となるだろうし、落語通なら「誰が有望かを先取りする愉しみ」がそこにある。小さなライブハウスでインディーズのバンドをチェックするようなものだ。

 

「とにかく寄席に行ってみよう」というスローガンが甚だ危険なのは、寄席の定席に出ているのは年配の演者が多い、ということだ。もちろん面白ければ年齢は問題ではないけれども、寄席には必ずしも面白い人ばかり出ているわけではない。若い人が初めて寄席に入ってみたときに、もしも年配の噺家の退屈な落語を聴き続けたら、「落語って年寄りの娯楽なのかな」と思ってしまうに違いない。

 

だがそれが若手ばかりだったらどうだろう。少なくとも「年寄りの娯楽」という発想は生まれにくい。また落語をよく知らないからこそ、若い演者の「未熟な落語」でも、その若々しさを純粋に楽しめるかもしれない。

 

「二ツ目を聴くのが当たり前になった」今の落語界を象徴する現象に「深夜寄席の人気」がある。深夜寄席とは新宿末廣亭で毎週土曜の夜21時30分〜23時に落語協会や落語芸術協会の二ツ目が4人出演する会で、昔は料金500円で出演者が必死に呼び込みをしても閑古鳥が鳴いていたが、今では行列が出来て満員の大盛況。2017年5月から料金が1,000円となったが、値上げの影響はなさそうだ。つまり、ただ単に「安いから人気」なのではなく、「二ツ目だからこそ観る」という人たちが通っているのである。

 

いわゆる「お笑い」の世界では、「若手を追いかける」というライブの愉しみ方が定着しているが、落語にもそれが起きている、ということだ。

 

だが「シブラク」は、ただ単に「二ツ目の落語を聴くのが当たり前になった」という現象に寄り掛かっていたわけではない。「シブラク」は自ら積極的にそういうムーブメントを生み出した。

 

それが可能だった最大の理由。それは、サンキュータツオ氏という「キュレーター」がいた、ということだ。

 

「シブラク」の公式サイトでは、サンキュータツオ氏が各公演の見どころをわかりやすく解説している。「この演者はどんな人なのか」という情報が一切入ってこない寄席の定席と異なり、「シブラク」には色々と手ほどきをしてくれるキュレーターがいる。だから初心者は「安心して足を運べる」のである。

 

ここで効果的だったのは、耳慣れない「キュレーター」という言葉を持ってきたことだろう。

 

例えば、2017年9月から横浜で始まった「関内寄席ねくすと」という二ツ目の落語会では僕が出演者と演目を決めていて、「広瀬和生太鼓判!」という謳い文句が付いている。その謳い文句は、僕が落語評論家だと知る落語ファンに対してのメッセージだ。

 

だが「シブラク」がサンキュータツオ氏という「キュレーター」を売りにしたのは意味がまるで違う。「シブラク」のサイトに出ているサンキュータツオ氏のプロフィールはこうだ。

 

「学者芸人漫才お笑いコンビ『米粒写経』のツッコミ担当。早稲田大学大学院文学研究科大学院博士後期課程修了。お笑いの学術的研究をするとともに、アニメなどのユースカルチャーにも造詣が深い」

 

ここでは彼が落語に造詣が深いことはおろか、落研出身であることすら書かれていない。むしろそういった情報を排除して、落語を「お笑い」と並列化する意図が見える。実際、サンキュータツオ氏による「シブラクマニフェスト」には、「渋谷だからこそ若い人でも気軽に落語を楽しめる場所にする」という第一項、「新しい切り口の興行内容でトレンドを作り、初めてでもふらっと入って楽しめる落語会にする」という第二項に続き、第三項では「演劇、映画、お笑い…そんな文化と落語を並列化する」と明記している。つまり、若い人たちから「敷居の高い落語という古典芸能」という概念を完全に取り除くことを第一義に考えているのである。

 

だからこそ、ありがちな「プロデュース」とかではなく、あえて「キュレーター」という言葉を選んだのではないだろうか。

 

「シブラク」のサイトにはサンキュータツオ氏のプレビューの他に、観客によるレビューも投稿されている。そうしたレビューを見ると、「落語という文化を知った喜び」がダイレクトに伝わってきて、実に清々しい。常連客同士の連帯感のようなものも生まれていて、一種のサークルのようになっている。

 

そして、そのサークルのような「シブラク」の楽しさは、SNSを通じてどんどん拡散していった。

 

当初から「サンキュータツオ=シブラク」という構図を積極的にアピールしたことで、「シブラク」は1つのブランドとなった。それゆえに、今までの落語ファンとは異なる「シブラクに通う若者たち」という新たなファン層を開拓することができたのである。その功績は、極めて大きい。

21世紀落語史

広瀬和生(ひろせかずお)

1960年生まれ。東京大学工学部卒。ハードロック/ヘヴィメタル月刊音楽誌「BURRN! 」編集長。落語評論家。1970年代からの落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に生で接している。また、数々の落語会をプロデュース。著書に『この落語家を聴け! 』(集英社文庫)、『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)、『談志は「これ」を聴け!』(光文社知恵の森文庫)、『噺は生きている』(毎日新聞出版)などがある。
関連記事

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を