akane
2018/06/15
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2018/06/15
スター声優たちの肉声から声優の歴史に迫る「創声記」インタビュー。吹き替えドラマの流入期は高度経済成長期と重なりました。高まる見知らぬ海外の文化への憧れ、そしてついに現れた「声」のスターたち――当時の思い出を交えながら、羽佐間道夫さんが語る第5回。聞き手は脚本家・映画研究家の大野裕之さんです。
ーー初期は、アメリカやイギリスのドラマが多かったのですか?
羽佐間 そうですね。でも、レギュラーのドラマはアメリカのほうが多いんだけど、映画はヨーロッパも多かった。ジャン・ギャバンとか、アラン・ドロンとか。イタリア映画も「鉄道員」とか、フェデリコ・フェリーニの「道」とか。人間ドラマが多かったですね。
対して、アメリカのものはマフィアの話の「アンタッチャブル」とか、ああいうのがテレビに出てきた時にはびっくりしたね。それから、「ローハイド」みたいに、ブラウン管の中から、牛がウワァーっと出てくるような、圧倒的なもの。「コンバット」も、人間が座ってダーンと飛んだり、そういうショック仕掛けみたいなのがすごく多かったですよね。新劇ではロシアの思想的なお芝居をやってたから、そのギャップも面白かった。
ーー日本の高度経済成長時代に、吹き替えドラマを通じて、日本人はアメリカに憧れを抱いたんですね。
羽佐間 テレビに映るアメリカの生活、憧れの食事、大きな車や冷蔵庫。トーストからポーンとパンが出てくるなんて、衝撃的でしたよ。そういう意味で、日本人は吹き替えドラマを通じてアメリカなど先進国の文化を知ったと思います。それに憧れて、追いつけ追い越せってね。外国のドラマと日本の経済成長がリンクしていました。
ーーとりわけ、この頃で思い出に残る番組は?
羽佐間 当時はね、コメディが多かったんですよ。「アボットとコステロ」、ディーン・マーティンにジェリー・ルイスとかね、「ルーシー・ショー」もそうですね。今はそういう外国のコメディが少なくなりましたね。あの当時のコメディはすごく勉強になりましたよ。喜劇に大切なタイミングを教わりました。僕と広川太一郎がやると、二人でアドリブが止まらなくなっちゃって、怒られたりなんかしてましたよ。
反対にシリアスな映画「ゴッド・ファーザー」のジェームス・カーンなんかもやりました。「謎の円盤UFO」は、結構衝撃的なドラマでしたよね。「Unidentified Flying Object」というのを、初めて英語でちゃんと言えた(笑)。
ーー羽佐間道夫さんは声優の草分けの一人として、声優の地位向上のために、1960年に東京俳優生活協同組合(俳協)を設立した時のメンバーでもあります。
羽佐間 その前に、太平洋テレビというのがあって、そこで海外の吹き替え作品をたくさん輸入したんですよね。それは良かったのですが、ギャラが安かったので太平洋テレビで労働争議になったんです。久松保夫さんという人が声をあげて、もっとギャラをあげてくれと言ったのですが、まあ、なかには経営者側に寝返る人もいたりしたので、僕たちが出て行くことになったんですね。いわば、太平洋テレビは僕たちの育ての親でもあり、捨てた親でもあった。
それで、マネージャーとタレントで独立して、マネージメントの組織を作った。その後、みんなで民主的に相談して決める、一人一票の組織にしようということで、協同組合にしたんですね。それが俳協です。当時の先駆者たち、中村正、来宮良子、小林清志、麻生美代子、永井一郎もみんないました。僕は財務をすることになったのですが、お金を経理に持ち逃げされたりして、大変な思いをしました。
ーー俳協が六〇年に結成され、その後、1962年に久松さんが、文部大臣に対して、声の演技権を主張された。ちょうどその頃に、「コンバット」が始まってます。
羽佐間 ああ、その辺が声優ブームの火が点き始めたころですよね。野沢那智とか、たくさんのスターが生まれてくるから。1963年に日本放送芸能家協会ができましたが、そこには徳川夢声や先代の坂東三津五郎など、ジャンルを超えて一緒にやってました。それが1971年の日俳連(日本俳優連合)の結成につながっていきます。組合を作って俳優の権利を守るために団結したのは、60年安保からの時代の熱を感じます。
ーー声優という新しいジャンルを拓き、またアーティストの権利も確立させていった。いろんな新しいこと、面白いことをやろうという熱ですね。
ーー始めてから5年ぐらいは舞台の夢ばかり見ていたとおっしゃっていましたが、この頃になると、もう声優として確固たる位置をしめるようになっていたわけですよね?
羽佐間 放送局のプロデューサーに選ばれてキャスティングされていたわけだから、そういう自負はついてきたのかな。もちろん、迷いもあったけど、だんだんファンレターが来るようになって、舞台時代には来たことなかったから、この商売もいいなあと思い始めました(笑)。
「コンバット」の時は面白いようにファンレターが来たよね。僕は、カービーっていう、軍曹を支えるGIの役をやってました。軍曹の身の回りのことまで面倒を見なきゃいけない兵卒なんだけど、ある日、手紙が来て、「私は、『コンバット』のサンダース軍曹の大ファンです。この贈り物を軍曹に渡してください」と(笑)。何かと思えば、印旛沼のフナの佃煮なんですよ(笑)。毎日送ってきて、「あなたは、軍曹の栄養管理をしなきゃいけない。これを食べさせて、軍曹がしっかりした骨で戦えるようにしてあげてくれ」って(笑)。
ーー羽佐間さん宛ではないんですね(笑)。
羽佐間 そう(笑)。声を吹き替えているのに、「コンバット!』の登場人物とごっちゃにして、ファンになっているんだね。ところが、「明日、『七人の刑事』というドラマの犯人役で、サンダース軍曹の声をやっている田中信夫がでますよ」と伝えると、それっきりフナは来なくなったね(笑)。実際生で見ちゃったら、ファンは減るんだよ(笑)。
ーー声のファンだったということですね。吹き替えの声が、役のイメージを決定づけるので、責任重大ですよね。
羽佐間 「刑事コジャック」はテリー・サバラスの声を森山周一郎さんがやったんだけど、東北の代議士がハリウッドでテリー・サバラスにあった時に、彼の肩叩きながら、東北弁で「おめぇ、日本語うめぇでねぇかい」って言ったらしいんだ。(笑)それだけリアルに喋ってたってことなんだね。森山周一郎の、ジャン・ギャバンと、テリー・サバラスは本当に傑出してたと思うよ。
(第6回につづきます)
羽佐間道夫(はざま・みちお)
1933年生。舞台芸術学院卒。劇団中芸を経て、『ホパロング・キャシディ』で声優デビュー。以来、声優の草分けの一人として数多くの名演を披露。代表作に、シルヴェスター・スタローンを吹き替えた『ロッキー』シリーズほか、チャールズ・チャップリンの『ライムライト』、ディーン・マーティン、ポール・ニューマン、ピーター・セラーズ、アル・パチーノの吹き替えなど多数。2008年、第2回声優アワード功労賞受賞。
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